ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





凸版印刷板橋事業本部。板橋区志村1-11
上:1990(平成2)年1月14日
左:1988(昭和63)年11月3日

玄関の上に「凸版印刷株式会社情報・出版事業本部」とあり、現在の門の表札は「凸版印刷株式会社情報コミュニケーション事業本部」である。一般には「凸版印刷板橋工場」というかと思う。当ブログのタイトルは『日本近代建築総覧』の「凸版印刷板橋事業部」に「本部」を加えた。3階建ての白いタイル貼り壁面のビルが広大な工場の事務所棟。1938(昭和13)に完成した。設計・施工者は情報がとれなかった。塔屋の部分がアールデコ風のデザインで、その下の階は玄関が立派なので貴賓室でもありそうな感じだ。
凸版印刷>沿革』には、昭和初期の不況期にあっても、事業を拡大させてきた会社は、将来の印刷需要の増大を確信して、大工場を計画する。『公文書館の活用術! 館所蔵資料で知る「いたばしの工業」』によれば、板橋の約2万坪の土地に昭和9年に工場を建設したとしている。土地を獲得したのが昭和9年なのかもしれない。「沿革」には「総面積約6万6000平方メートル。工場の建物は4万平方メートルあり、洋風庭園と運動設備を備え、当時の工場のイメージを一新する近代的な工場でした。第1期工事が終了した1938年に操業を開始、すべて完成したのは1940年でした」とあり、その洋風庭園と玄関前のロータリーは竣工時のままらしい。
『館所蔵資料で知る』には「昭和15年10月、板橋工場内に陸軍の専属工場が設置される。その後、陸軍関係の仕事が増加し、また秘密にしておかなければならない印刷物を製造するための特別工場が必要になったこともあり、昭和17年に工場の増改築を行った」ともある。
戦後は、印刷機械の大型化に伴い、安い土地を求めて神田や小石川から中小の印刷工場が凸版板橋工場の周辺に進出してきたという。印刷業は下請が支えているような面がある。

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