ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





同和病院。千代田区神田淡路町2-8。1986(昭和61)年12月30日

『日本近代建築総覧』には「同和病院(旧東京医師会館)、建築年=1929(昭和4)年、構造=RC5階建、施工=大倉土木」で、戦前は東京医師会館だった建物。
以下、『東京建築懐古録Ⅲ』(読売新聞社編、読売新聞社発行、1991年、2000円)による。
建て主は東京医師建築信用購買利用組合で、この組合は大正13年に125人の医師が参加して設立された。『保険・相続・税金2000年度コラム/ある男の不幸』というサイトには「関東大震災後の病院復興を目的として東京都衛生局の主導で設立された」とある。組合の目的は医師の貯蓄や診療所建設資の融資、資材の販売などで、建物は社交クラブであるだけでなく、組合業務をここで行った。一階の事務室は金融機関そのもので、地下には巨大な貸金庫がいくつも残っている。4・5階は一部吹き抜けで、700人収容のホールである。
組合は戦時中に強制解散となり、戦後は連合軍に接収されたのち、昭和24年に同和病院が建物を引き継いだ。
それから約50年が経過し、1998年12月に同和病院は明和病院と改称して神田須田町1-18に新病院を建てて移った。『 廃景録>消えた近代建築>同和病院』によると、解体されたのは1998年暮れである。



左:1987(昭和62)年9月13日、右:1987(昭和62)年

同和病院には小川三知(おがわさんち)によるステンドグラスが施された。ネット上では『収蔵庫・壱號館>同和病院』でその写真を見ることができる。また、東京医師会館は小川三知の実弟である小川剣三郎が設立したという。
不忍池の南、台東区上野2丁目に黒沢ビルという建築ファンには知られた建物がある。1階には小川眼科医院が入っているが、これが小川剣三郎が開業した医院である。黒沢ビルは元は小川眼科病院として昭和6年に建ったものだ。このビルも小川三知のステンドグラスが有名である。



左:1983(昭和58)年8月、右:1986(昭和61)年12月30日

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