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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場➄与話情浮名横棒

2016-09-28 06:26:45 | 青春高校
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場➄
与話情浮名横棒(よはなさけうきなのよこぼう)
 



 タイトルにルビを振るのは情けないが、読めなきゃ元も子もない。

 去年某地区予選で、いささか奇態な審査が行われたことは旧聞と言うには、釈然としない。
 しかし、このことは別の部員が触れているので、もう書かない。

 鬼は来年の事を言うと笑うらしいが、済んだ過去のことを言うとどんな顔をするんだろう?

 もう七十年も前の戦争のことを言いつのる国がある。天に唾するはなんとかと言うが、いずれおのが身に返ってくるのは世の習い……と、そこまで大きな話をするつもりはない。

 一昨年の巳地区の審査も奇態ではあった。

 世上に広まる噂では、審査に不審を持った出場校が「なぜ自分たちは、優秀賞と言う名の選外であったのか」を聞きただすために、審査員を呼んだということになっているが、実態は真逆のよう……と言ったら少しは鬼程度のリアクションはしてもらえるだろうか。

 実際は、呼びもしないのに、審査員が進んで弁明に向かったらしい。

 よほど自信のない審査をやったか、審査後の反応に困惑したかのいずれか、または、その両方であろう。
 おれは、いささか高校演劇の昔や裏の話には詳しいつもりだが、今さら言っても詮無いことが多いので、撫でる程度にしておこう。

 この学校の部員たちは、事の異常さに気づいた。でも相手は名こそ惜しけれの天下のプロ演劇人。粗略にも扱えず「お説ごもっとも」の微笑を絶やさなかったが、この某審査員が帰ったあとは「なんだと、コノヤローどの口が言ってやがんだ!」と容赦がない。
 俗に言う「憤懣やるかたなし」の心情である。

 忍ぶれど色に出にけりナントヤラ。回りまわっておれごとき者の耳にも入ってくる。

 生徒は、当然顧問には報告するし、愚痴にもなる。これはいかんと、大人が二人質問状を審査員に送った。
「子どもを間諜にして異を唱えるはなにごとか!」と曲解、この二人に原稿用紙にして四五十枚の〇〇書を送ってきた。仄聞ではあるけれど、あまりに大人げない所業にただ嘆息。

 弱い犬ほどよく吠えると、締めくくっておく。

 近頃演劇部のブログがちょっとしたブームだ。中には息切れし消えてなくなったものも多いが、コトリ高校は健闘中である。部長の三好は仲良しお人よし、あまり触れるところが無かったが。おれは言う。

 大本営発表みたいなことしか書かないなら止めておけ!

 太宰治の名言に、こんなのがある。
「明るさは滅びのしるしであろうか、人も家も暗いうちは滅びはせぬ」
 そんな明るさを彼らのブログから読み取ってしまうのは眇めであろうか。

 今年の連盟の講習会は東京や大阪の高校演劇同様七百人を超える盛況であったそうな。おれは、こう答えておこう。

 春はライオンのようにやってきて羊のように去っていく。竜頭蛇尾。鶏頭狗肉。

 いかん、またつまらないことを書いてしまった。書いたことは書きなおしてはいけないのが仁義。そのままとする。

 今日の昼休みは、ちょっといいことをやった。
 うちの学校にとても人柄のいい、そう若くもない先生がいる。この先生が、ある女の先生が好きなんだが、コクるなんてことはもちろん、本人の前では息もできないというくらいに惚れてしまい、先日は呼吸困難に陥り救急車を呼ぶ仕儀とあいなった。
 岡惚れで死なれちゃ後生が悪いので、今日は教官室で二人羽織。

 おれが、机の下で先生の声色。先生は大汗かいて口パク。とんだシラノ・ド・ベルジュラック。

 で、なんとかお付き合いまではこぎつけた。次回もよろしくと言われてるけど、あとは自分の甲斐性。

 グッドラックではあった。

                      根津甚八 

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・46『舟を編む』

2016-09-28 05:59:00 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・46
『舟を編む』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


この映画評は、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですがもったいないので、本人の承諾を得て転載したものです。


 とっても優しく 素敵な映画でした。 と共に安易に言葉を選んで喋ったり書いたりするのが ちょっと怖く成りました。

 原作は長めの中篇位の作品で、「まほろ~」なんかでもそうですが 三浦しをんの小説は「もうちょっと書き込めばいいのになぁ」と思わせながら 読後に一種独特な満足感を与えてくれます。  

 映画は、この小説の「もうちょっと」を埋めています。原作と映画が互いに補完しあうのは誠に幸せな現象です、めったにお目にはかかれません。
 ですから、どちらが先でもいいので 是非とも映画と小説 どっちにも接する事をお薦めします。私の感覚からすると、本作は原作を忠実に画像化していますが テイストが違っています。小説では“辞書編集室には外界とは異質な時間が流れており、人をして ゆっくりと「たゆたう存在」に変化させる病原菌に満たされている”主人公/馬締(松田龍平)は、元々保菌者だった感はあるが 配属即感染……以後 強烈な宿主となり 触れる者総てに影響を及ぼして行く。と言うように読める。

 映画は もっと1対1の人間同士が互いに影響しあう作り方に成っており、原作とは少し違ったテイストを持っている。 結果、編集室独特の時間はあまり感じられなくなったが 映画のエンタメ性はぐんと上がった。監督の石井裕也は まだ30歳、これまでの作品は ハッキリ言って嫌いだったが……これも出会いの結果なのだろうか 同じ人の作った映画とは思えない。

 映画では 馬締が主人公である事は変わらないが、登場人物があるがままに 適材適所 居るべき場所に嵌っていて キチンと自分の役割を果たしている。これはキャスティングの妙でもあって、各キャラクターが「この人以外考えられない」と思える。キャラクターが「老人と若者」に二分されるので、各人の色をハッキリさせる手法を採ったのだろう、その意味で脚本が素晴らしい。
 小説では「年代」が提示されていないが 本作はスタートを1995年とし15年後をラストとしている。すなわち、原作の普遍性をある程度犠牲にして現代に接続してある。これも映画のエンタメ性に貢献している。

 これは監督の手腕なのか、俳優の力量なのか微妙な所だが 老優と若手の演技バランスが これまた非常に心地よい。松田の演技は彼独特のギリギリ感(判っていただけますよね)で演じられるが これをベテラン勢が包み込むようにして受け止めている。まず渡辺美佐子の 下宿のバァチャンが抜群……誤解のないように、松田をくさしているのではない。龍平は本作でハッキリ 父・優作を凌駕したと見た。存在感ではまだまだオヤジの壁を越えられないにせよ 優作が悩んで悩んで……結果、大勘違いした役柄を ヒョイと簡単につかんでしまった。(簡単ってのは龍平に失礼?)
 助演の若手も それぞれに妙味を発揮している。池脇千鶴はいつも通りの巧さ、出番の少ないのが勿体無い。宮崎あおいは毎度の形、オダギリジョーは恐らく男性サラリーマンの共感を一手にさらう役柄で 演じきったと言うよりは ごく自然に見える所がさすが。ベテラン陣では、小林薫が渋い もはやアングラ出身の匂いなどどこにもない(アングラをくさしているのではない……しつこい?)加藤剛と八千草薫のカップリングは絵に描いたように嵌っているし、加藤と伊佐山ひろ子が同じスクリーンに並んでいるのは 昔なら信じられない。
 これらの要素が絶妙に混ざり合って本作を構成している、見ていて心地悪かろう筈がない。小説もベストセラーだし、映画もなかなかのエンターテイメントである。辞書編纂ってのは 地味なようでエキサイティングな作業なのかもしれない。 当然 愛の物語ではあるが、見る者が 己の仕事を見つめ直すキッカケになる作品でもある。例によって ウダウダ言うとりますが、ムッチヤ面白い映画です!華丸推薦。

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