大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・『私家版・父と暮らせば・4』

2016-09-03 06:30:09 | エッセー
高校ライトノベル
『私家版・父と暮らせば・4』
         


 早いもので、もう1年と5か月になる。で、明日が、いよいよ納骨。久々に線香を焚く。

 家の機密性が高く、また電子機器が多いので、日常的に線香が焚けない。
 もう、今日が最後の日になるので、父が生前、なにかの法要の記念にもらったのだろう、5ミリ幅ほどもある特製の線香を焚いている。予想はしていたが、燃えた線香は崩れもせずに『南無阿弥陀仏』の六字が浮かび上がってくる。

 南無は、サンスクリット語の「ナーム」からきている。もとの意味は「もしもし」「おーい」と言うような呼びかけの言葉である。阿弥陀仏は、阿弥陀如来のことで、真言密教では、根本仏である大日如来の化身とされ、大日如来とは、ざっくり言って「宇宙」あるいは「宇宙の法則」のようなもので、本地垂迹(ほんちすいじゃく)の日本的なすがたでは天照大神と同じとされる。
 要は南無阿弥陀仏とは「もーし、仏様」という呼びかけにすぎず、浄土教の中ではこの六字が全てである。

 人は死ねば無になる。ゼロになると言ってもいい。この世の全てのものが、生まれ、いずれかは死んだり滅んだりしていく。この地球や太陽にさえ寿命がある。宇宙もビッグバン以来膨張し続け、いずれは縮んで無くなってしまうそうである。

 ここまで書いて、線香が燃え尽きた。黒々とした線香は、その形のまま白くなり、茶色く南無阿弥陀仏の六字をうかびあがらせている。

 浄土真宗では、死ぬと極楽にいくことになっている。極楽とは「無」の方便だと、わたしは思っている。無=0である。0とは不思議な存在で、「存在しないことを現す存在」 なんだか、訳が分からなくなってしまう。
 で、この電子顕微鏡でさえ見えない0を、初等教育さえ受けていれば、実に簡単に「あるもの」として信じている。
 話を変えてみる。X=1 Y=1をグラフに書けといわれれば、X軸から1、Y軸から1のところに点を打って「はいできました」と軽々と回答とする。だが、その点はエンピツであれ、ボールペンであれ、点は面積をもってしまっている。厳密な意味では正解とは言えない。正解である点は面積も体積も持ってはならないのであり、打った点は正解の偶像に過ぎない。

 なんだか、理屈っぽい。

 要は、ものは全て滅ぶのであって、ゼロになると言っていい。このゼロになる性質を仏性という。だから、この世の中のものには、全て仏性がある。と、生悟りしている。

 昔、父に捨てられたと本気で思ったことがある。

 ワルサをして「おまえなんか、うちの子とちゃう。出て行け!」と外に放り出されたときは捨てられたとは思わなかった。ただ父が怒っていると認識しただけである。

 幼稚園に行くか行かないかのころの話である。父が、なんの前触れもなく、「阪急百貨店に行こう」と言いだし、幼い姉とわたしは、市電に乗せられた。
 屋上のミニ遊園地で遊んだあと、お昼にしようということで、大食堂に行った。
「ほんなら、券買うてくるから、手えつないで待っとりや」
 そう言って、父は人混みの中に消えていった。何分たったのだろう……子供心には一時間ほどにも感じられる時間が流れた。心なし姉も不安になってきたのか、握る手の力が強くなり、汗ばんできた。

 そして、捨てられた……と、思った。

 当時、そんなふうに子供を迷子にして、捨てることが時々あった。父は貧しい職工であり、25日の給料日は、いつも中身をちゃぶ台に広げては、父と母がため息をつき、時には激しく罵り合っているのも心に傷として残っていた。
 もう、ほとんど泣き出しそうになったとき、姉が呟き始めた「大阪市旭区生江町……」と、住所をおまじないのように。姉もなにかしら覚悟しはじめたのであろう。
 要領の悪い父は、容易に食券売り場にたどりつけず、やっと二時間(わたしの感覚で)の後、父は茹で蛸のようになって、三枚の食券を手に戻ってきた。

 もう六十年近い昔の話である。話にも仏性があるようで、姉は、この時のことを覚えてはいない。姉にとっては、もうお浄土に行った話である。こういう話をいつまでも覚えているわたしは、往生際が悪いかも知れない。

「そんなことあったかなあ……?」

 骨箱の父がぼやいた。明日の今頃は、お墓の中である。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・23『のぼうの城/黄金を抱いて翔べ』

2016-09-03 06:12:45 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・23
『のぼうの城/黄金を抱いて翔べ』
    

この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


この映画評は、映画評論家の悪友・滝川浩一が、個人的に仲間内に流しているものですが、あまりにもったいないので、本人の了解を得て転載したものです。


☆のぼうの城

いやいやいや、映画館 マジで満席でしたわ。
原作を読んだ時ほど笑わんかったんですが、それは「笑えない」のではなく感心する方が先だったのと、野村萬斎のあまりに見事な「のぼう様」振りに見とれていたからです。

本作は単純に「原作」と「映画」を比べる訳には行かない。というのが、本作の原形脚本が先に有って、脚本家がそれを小説化、さらにそれを脚本化という制作過程を経ているからで、小説を映画のノベライゼーションとは言えないという事情がある。
元々が秀吉の小田原攻めに関するまごうことなき史実であり、埼玉県行田市に行けば当時の史跡がかなり残っている。タイトルロールに現在の様子が映し出され、たった今見た映画がそのまま現実の歴史であると実感できる。

さて、映画の出来ですが、こらもう見事と言う他無い。細かく言えば…水攻めで沈むシーンを模型じゃなくCGにすりゃいいのに とか ヤッパリ全体に音響が悪く、慣れるまで何を喋っているのか聞き取れない とか有るんですが、まぁそれは些末な事として切り捨て出来る。
音響が悪いにも関わらず、野村萬斎だけはハッキリと台詞を聞き取れる、舞台人というより狂言役者の真骨頂を目の当たりにしました。小説に登場する「のぼう様」は ボーっとした大男として描かれ、その表情は最低限の言及が成されるだけで、だから 読者は最後まで凡人なのか天才なのか判断がつかない。
小説の場合、眠っていた才能が危急存亡の場に臨んで眼を覚ましたと読める、対して映画では各シーンが映像として描かれる(あったり前) 萬斎の「のぼう様」はボーっとしているようで、一瞬表情にハッキリした意志が現れる。これを見る限り野村萬斎は「のぼう様」を堂々たる侍大将として演じている。可能性の中の一つの表現であるが、この一瞬の表情が観客に緊張を産む、本作の成功の半分は野村萬斎を起用した事に拠っている。
残り半分は成田長親を囲む人々を演じた俳優達の安定した熱演が担保した。榮倉甲斐姫、佐藤丹波守、グッサン和泉守、成宮酒巻~~~~一々言及出来ない、敢えて一人を上げるなら上地雄輔の石田三成が見事だった。正直、この人が一番不安だったのだが爽やかに裏切られた、もう「お馬鹿タレント」の皮を完全に脱ぎ捨てた。拍手を贈りたい。見どころはそれこそ「満載」なのだが、白眉はのぼう様が舟の上で踊るシーン、敵味方双方を飲み込む設定だが…設定を超えた、このシーン 野村萬斎の踊りには本物の力がある。見ていて身震いのする思いがした。
絶対の自信を持ってお薦めします。是非とも劇場に足を運んで下さい。

☆黄金を抱いて翔べ

 見事に久々の日本版フィルムノアールです。
原作と比べると、実にその30%にも相当する詳細な下見がほぼカットされているのですが、これは仕方が無いでしょうねぇ。
大阪に住み、中之島に土地勘が有れば、ほぼ犯行をトレース出来る。執筆時に詳しく取材したのだと思うが、こんな作品に成るなると判っていたら取材拒否されただろう、まさかそれをスクリーンに映せない。この点を除けば、井筒監督に手落ちは無い。
 まずはキャスティングの妙がある。主人公たちは恐ろしい程に荒んだ精神の持ち主ばかり、それを演じるに妻夫木、溝端、チャーミンはあまりにも整った顔をしている。本作のスティールを始めて見た時、それが一番の引っかかりであった。
 チャーミン以外の二人の演技力は充分知ってはいたが、小説から思い描く彼らは見るからに「悪」そのもの。ある意味、自分の状況に正直に生きている人物達。ここに西田敏之「爺さん」も含まれる。対して浅野、桐谷の二人は仮面を被り、社会に溶け込んでいる。この対比が一つの大きな見所、結論から言って私の危惧など全く杞憂、稀に見る堂々たる“ノアール”でした。
 チャーミンの芝居は初見でしたが見事なもんです。日本人がヤクザ、兵隊、警官なら誰でも演れる(最近はそうでもないでしょうが)と言われるように、韓国人にとっては「北の工作員」は誰でも演れるキャラクターなんですかねぇ。
現在、銀行強盗は陳腐な犯罪である。それはネット上に舞台を移してしまったのだが、その現代に身体を張って、然もわざわざ重い金塊を狙う。この時代錯誤が妙なリアル感を持って迫って来る。
 作戦成功の高揚も死の虚しさも無い、新しい(う~ん、でもないかな)ノアール感が現出している。フランスノアール全盛期には無理なく受け入れられた筈だが、今 本作を見るのにテクニックがいる(?)かもしれないが、どうかあるがままに一度受け入れて、後にジックリ振り返っていただけると、色んな事が見えてくる…なぁんてね、ちょっと「上から目線」過ぎる? 本作もお薦めです。但し、ジャリにはこの映画の本質は解りにくいやろなぁ(またまた上から目線?)
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