二人: その一!
ねこまた: ここに一個のミカンがある。ミカンをどうやって食べる?
きつね: えと、皮をむいて……ね。
たぬき: うん、中の皮は、そのまんま食べることもある。
ねこまた: そう、ミカンは、むいて食べる。
二人: はい。
ねこまた: じゃ、問題。ミカン一個は食べられる。三個でも、四個でも、五個でも食べられる。そうだね?
二人: はい。
ねこまた: では、二個のミカンは食べることができない。どうしてだ?
きつね: え……どうして?
たぬき: わたし……ぼく、わからない。
ねこまた: ようく考えて!
きつね: これってテストなんですよね?
ねこまた: テスト!
たぬき: 答えられたら、どっちなんですか?
ねこまた: そんなの言ったらテストにならないだろうが。
きつね: えと……えと……
たぬき: ううん……
ねこまた: ブー、時間切れ! いいか、ミカンが二つでムカン。ミとミ、つまり三と三で六。つまりム。でムカン。むかんではミカンは食えない。
二人: え……?
ねこまた: むかないミカンは食えないだろうが。
たぬき: で……
きつね: ね、ムカンでは食べることができない……
三人: ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!
きつね: それがテストなんですか?
ねこまた: そうさ。きつねとたぬきでは、きつねの方がかしこい。イソップの童話とか日本昔話とか、みんなそうだ。だから、このクイズで、正解を出した方がきつね……だったんだけどねえ……
二人: ……
ねこまた: よし、次にテスト。ここに酒びんがある。
たぬき: お、猫じゃら酒の大吟醸!
きつね: 飲みのこしですね。
ねこまた: いい酒だからチビチビやって、かえって悪酔いしちゃって……んなことはいいの。この半分のお酒を、言葉で表現して欲しいの……待った、口にするんじゃなくそこのメモ帳に書く(二人書く)書けたらかして……なんだこりゃ。「酒びんの中の二分の一の酒」「二分の一の酒の入った酒びん」
きつね: あの……
たぬき: 違いました?
ねこまた: 数学の答えじゃないんだから。半分という事実の前か後につく言葉があるでしょ。
きつね: と、いうと?
ねこまた: まだ半分残ってるとか、もう半分しか残ってないとか。
たぬき: で、これは……
きつね: どういうテストなんですか?
ねこまた: たぬきなら、楽天的だから「お、まだ半分残ってる。一杯やろうぜ!」になる。冷静なきつねなら「もう半分しか残ってない、いそいで買いに行こう!」と……一昔前なら、こういう答えがかえってくるんだがなあ……
二人: ……
ねこまた: よし、じゃあ次のテスト! 森の中の周回道路を、それぞれ反対側に走る。グルーっとまわって、また、ここで出会う!
たぬき: それって、早くついた方がどうとかあるんですか?
ねこまた: そんなこと言ったらテストにならないだろうが。いくぞ、ヨーイ……
きつね: 一周三キロもあるんですよ。
ねこまた: 全力疾走! と、その前に。化け葉っぱをよこしな。走ってる間に、また化けたら、ややっこしくってかなわないからね(二人、葉っぱを渡す)いいの持ってるね、ソフトマップの最新型だ。
たぬき: なくさないで……
きつね: くださいね……
ねこまた: さあ、いくよ。ヨーイ……ドン!
連載戯曲 たぬきつね物語・2
大橋むつお
時 ある日ある時
所 動物の国の森のなか
人物
たぬき 外見は十六才くらいの少年
きつね 外見は十六才くらいの少女
ライオン 中年の高校の先生
ねこまた 中年の小粋な女医
きつね: わ……!
たぬき: なんですか、これ?
ライオン: くちびるさ。口先だけで生きてきた人間のなれのはてだ。口びる以外は退化して無くなっちまったんだ。
二人: うわ……
ライオン: 人間といえども、生き物の仲間だからな。どこかのお寺にでも、持ってって供養してやろうと思ってな……な、こうはなりたくないだろ?
二人: は、はい……
ライオン: だったら、先生が言ったことを、しっかり肝に銘じ、相手の身になって考えるんだぞ。
二人: はい……
ライオン: よし、行ってよろしい。
たぬき: 相手の身になるって……
きつね: ……いえ、はい。
二人: し、失礼します!
たぬき、きつね退場
ライオン: 先生というのも因果な商売だ。けんかを見たら止めにゃならん。タバコを見たら叱らにゃならん。しょぼくれとったら、はげまさにゃならん。そうそう効き目なんてないのにな。普通の大人なら、道端のウンコみたいに無視すりゃすむんだが。しかし、この口びるは大成功だな。パーティーグッズが思わぬところで役に立った。そうだ、今夜の飲み会、診療所のねこまた先生も呼んでやろう(携帯電話を出す)090 12の4567と……なんだ、あの音は?(たぬきときつねの去った方からドロロン、ドロロンと音がする)……あ、ねこまた先生。おれ、アニマル高校のライオン丸。先日はどうも……
ライオンの通話と、ドロロンの音重なって暗転。明るくなると、上手に映画監督が使うようなテッキチェアに身をあずけた二日酔いのねこまた先生。周囲に医者のもろもろの道具。電話が鳴る。手さぐりで受話器をとる。
ねこまた: はい、あたし……ああ、アニマル高でおちこぼれ……え、診察? だめだめ、混んでんの、患者さんでいっぱい。まだ百人は待ってるかなあ、とてもこなせないわよ。今から来たって三日ほど先よ。え、百人も来てるわりに静か? あったりまえでしょ、泣く子もだまるねこまた病院よ。え、すぐ近くまで来てる? だめだって……
たぬきときつねが、携帯電話を手にあらわれる。
たぬき: そこを先生……
きつね: なんとか……
たぬき: お願いします……
ねこまた: だめ……(二人に気づき架空の患者に語りかける)はい、お大事にね。はい、次の患者さん。
きつね: はい、ここに。
たぬき: お願いします。
ねこまた: なによ、あんたたち。
たぬき: だから、すぐ近くまで来てますって……
きつね: 申しあげましたでしょ……
ねこまた: あのね……
たぬき: ねこまた先生、次の患者さんて、おっしゃいましたけど……
きつね: 見たところ、わたしたち以外に患者さんは、いないような……
ねこまた: いるわよ!
二人: え、どこに?
ねこまた: ここよ(虫めがねで、地面を見る)まあ、黒アリの奥さん、どうなさったの? まあ、お熱が……それはいけませんね。ま、そこにおかけになって。まあ、あとから続々と、アリモトさんにアリタさんにアリズミさんにアリガトさん……ちょっとあんたたち、アリヨシさんとアリカワさんを踏んづけてるわよ!
たぬき: え……?
きつね: どこ?
ねこまた: まあ、みなさんキリギリスに風邪をうつされちゃったの……
二人: ねこまた先生!
ねこまた: だめじゃない、大きな声だしちゃ。驚いて、みんな逃げていっちゃったじゃないの。
きつね: 先生、ぼく……いえ、わたしたち、本気でみてもらいたいんです。
たぬき: はい、とっても重い病気なんです。
ねこまた: わたし、今ね、そんな……
たぬき: そんな気じゃないのはようくわかっているんです。
きつね: 先生が夜行性で、日中は弱いことや……
たぬき: ゆうべ、ライオン先生と飲みすぎて、二日酔い気味なのも、百も承知。
きつね: 二百も合点。
ねこまた: あんたたちだって、夜行性でしょうが。
きつね: ええ、そうなんですが……
ねこまた: だったら、さっさと家に帰って寝なさいよ。わたしも夢の途中なんだから。
たぬき: 先生!
ねこまた: もう、なによ!
たぬき: 先生! ねこまた先生! 一生のお願いです。ぼくの……わたしの病気をなおしてください!
きつね: お願いします!
ねこまた: どこが病気なの!
きつね: わたし、ぼく、わたし、とっても重い病気なんです。
ねこまた: とても、そうは見えないけど。
たぬき: よく見てください! 病気なんです!
ねこまた: あたし眠いの。頭も痛いし……
きつね: だったら、ほんのちょっとだけでも、見ただけでわかりますから。僕の、わたし……かな、ぼく?
たぬき: ぼくは、わたしだから。わたしは……いや、やっぱり……
きつね: わたしが……わたし……
たぬき: いや、ぼくのわたしが、わたしのぼく……あれ?
ねこまた: なによ、ぼくのわたしのって。一人称の使い方も知らないの?
きつね: イチニンショー?
ねこまた: 自分の言い方よ。ぼくとかわたしとか。男と女じゃちがうでしょ。
たぬき: それならわかっています。男がぼくで、女がわたし。
ねこまた: だったらちゃんと言いなさい。ぼくとかわたしとか。
きつね: その……ぼくかわたしかがわからないんです。
ねこまた: きつねさんがわたしで、たぬきくんがぼくでしょうが。
きつね: 本当に、わたし、ぼく、きつねなんですか?
たぬき: ぼく、わたし、たぬきなんですか?
ねこまた: なに?
二人: じつは……ごにょごにょごにょ(二人それぞれ、ねこまたの左右の耳にないしょ話をする)
ねこまた: え……え?……え!?……アハハハ……お互いがお互いに化けっこしているうちに、自分がどっちかわからなくなっちまったって……アハハハ……そんなバカなこと、信じられるか!
きつね: でも、ほんとなんです。
たぬき: ほんとなんです(二人、うなだれる)
ねこまた: ……ほんとなの?
二人: ……はい。
ねこまた: どうしてそんなことに?
きつね: ぼく、わたしたち、つまんないことでケンカばかりしてるから……
たぬき: ライオン先生が、お互いの身になって考えなさいって……だから、わたし、ぼく、わたし……
きつね: わたし、ぼく、わたし……つまり、お互いの身になったんです。
たぬき: きつねがたぬきに化けて。たぬきがきつねに化けて……
きつね: それでもわからないから、きつねに化けたたぬきが、たぬきに化けて……
たぬき: たぬきに化けたきつねが、きつねに化けて。そいでまたたぬきに化けて……
きつね: 一晩中化けっこしてたら、もうどっちがどっちか分からなくなって、わたし、ぼく、わたし……
たぬき: いや、ぼくは、わたしだから、わたしがぼくで……
きつね: え、わたしと言ってるわたしは……いえ、ぼくで、わたしが……
二人: ああ、もういやだ!
ねこまた: こっちもいやだわよ。長いことこの森で医者やってるけどさ、化けすぎて、自分が誰かわかんなくなっちまったなんてははじめてよ。
きつね: ぼく、わたし……
たぬき: わたし、ぼく……
ねこまた: ややこしいから、とりあえず見た目で、こっちがわたし、そっちがぼく。いいね。
二人: はい。
時 現代
所 ある町
人物 のり子 ユキ よしみ
のり子: よしみ!
よしみ: ほんとに間にあってよかった。
のり子: どうしたの?
よしみ: 先生がもどってきてほしいって!
のり子: 先生が?
よしみ: さっき帰ったら「トドロに会ってきたんだろう」って。先生みんな知ってんのよね。そいで先生「もういっぺんタバコ買ってこい」って。この期におよんで、まだタバコが大事なのか! あたし腹たっちゃって、聞こえないふりしてベタ塗りしてたの。そして、やっと気づいたの。「もういっぺんタバコ買ってこい」って、トドロを呼びもどしてこいってことだったのよね。「タバコ買ってきま~す!」って叫んで、ドアを開けようとしたら「タバコ屋にこれ渡してこい」って……(大型の封筒を渡す)ん……だれかいた?
のり子: え……ううん。
よしみ: そっか。早く開けてごらんよ。
のり子: うん……再来年の劇場用アニメの企画書……
よしみ: 「トコロの森」
のり子: え?
よしみ: 原案、轟のり子。
のり子: ……
よしみ: トドロのアイデア半分もらったって。常呂の森が人の心を癒すところが、とてもいいって。
のり子: 先生……こないだの先生の旅行先……北海道だったよね?
よしみ: うん、先生言わないけど、たぶん常呂の森のロケハン。トドロ……帰ってきてくれるんでしょ?
のり子: ……(上手に数歩ふみだし、心の中の彼方を走っているコネバスを思う。そして、ふっきるように振り返り、企画書をよしみに返す)
よしみ: トドロ……
のり子: 先生のタバコは、あたしが買ってくる……何年さきになるかわからないけどね。
よしみ: トドロ……
のり子: そんな顔すんなよ。あたし、もう先生のことなんとも思ってない。もとどおり……ううん、尊敬してるよ。あんなバラバラなパッチワークみたいなアイデアを一つに縫いあげてしまうんだもん。
よしみ: だったら、戻ってくりゃいいじゃないよ。いつも隣同士で仕事してたから……となりのトドロがいなくなっちゃったら、ハンチクなあたしは、なにもできないよ。
のり子: 大丈夫だよ。よしみは十分にアシスタント……ううん、ピンのマンガ家にだってなれるよ……「トコロの森」お願いしますって……先生によろしく。
よしみ: どうしても……どうしても……行くんだよね……
のり子: 行く! 轟のり子はだんぜん行く!
よしみ: ……うん。
のり子: あ、バスが来た。
よしみ: トドロ……(バスの接近音)
のり子: よしみも元気で……じゃあね! あれ、バスがまがった。
よしみ: あ、上郷のトンネルが開通したんで、昨日からバス停は、下の道に移ったんだ。ほら、あそこでバスが停まっている。
のり子: そ、そんな。おーい、そのバス! 乗るよ、乗ります! ちょっと待ってぇ!
所 ある町
人物 のり子 ユキ よしみ
ユキ: わたし、もうちょっとでトドロのこと殺すところだった。
のり子: ユキを人殺しの鬼にしたくないから、おやじさん、恥を忍んで開いてみせたんだよ……ほら、こんなに恥ずかしそうにしている。
のり子: さ、もうたたんでやんな。
ユキ: うん……(やさしく、捧げ持つように、ゆっくりとたたむ)
のり子: あ、姉さん起きてるよ。
ユキ: また、目を覚ましたの……じゃあ、子守歌……
のり子: 顔つきが……優しくなってる
ユキ: 姉さん……そう、姉さんも、やり直す気になってくれたの……常呂にもどったら人にもどれるかって?
のり子: もどれるんだろ?
ユキ: さあ、姉さんの心がけ次第ね。今までが今までだったから。
のり子: あ、ブヒブヒ言ってる。
ユキ: ハハ、まあ時間をかけてゆっくりやろうよ。ブタのままでも面倒みてあげるからさ、ね、あせんないで。
のり子: あ、なんか来る。
ユキ: バスだ……
のり子: どっち?
ユキ: こっち?
のり子: あっち?
ユキ: むこう、わからない?
のり子: 音……聞こえる。
ユキ: フフ、よかった。
のり子: え?
ユキ: ふつうの人には見ることも聞くこともできないの。
のり子: じゃ、あたしも、お仲間ってわけ?
ユキ: うん、友だちだもの。
のり子: え、友だち?
ユキ: いけない?
のり子: いけない……池ならあるよ。
ユキ: え?
のり子: 目の前に、ユキとあたしの友情の池。あ、魚がはねた! 見えない? 友だち同士なら見えるよ。だろ? ふつうの人には見ることも聞くこともできない池あるよ。いけないなんてことないヨ……なんてね。
のり子: なに?
ユキ: ……コネバス。
のり子: え?
ユキ: トコロにコネをつけにいくバスだから、コネバス(目をこらしているのり子に)見えない?
のり子: うん、輪郭がぼやけちゃって……
ユキ: そのうち見えるようになるよ。
のり子: そうだね(振り返る。差し出されたユキの手に驚いて)ユキ……
ユキ: ありがとう。のり子のおかげで気持ちよく常呂に行ける(握手)
のり子: また、会える?
ユキ: たぶん、もう……
のり子: もう……?
ユキ: もう一度……会いたいね。
のり子: うん。
ユキ: 父さん、姉さん、行くよ……じゃあ!
ユキ(声): さよならトドロ!(バスの発進音)
のり子: ユキ! さよなら、さよならユキ!
時 現代
所 ある町
人物 のり子 ユキ よしみ
のり子: ユキ!
ユキ: いや……もういや! いやだってば!
のり子: ユキ。どうした、大丈夫!?
ユキ: 大丈夫……大丈夫(後ろ向きのまま立つ)大丈夫よ(振り返る)憎しみは……また、再び体の中に、冷たくたぎりはじめたわ……
のり子: ユキ……
ユキ: 父さんをよこして……八つ裂きにしてやるわ。
のり子: ユキ……
ユキ: この五体をめぐる憎しみが、遠い昔の冷たく寂しい雪の心を思い出させてくれる……
ユキ: およこし、その傘男を。そしておまえもいっしょに死ぬがいい……
のり子: どうしてあたしが?
ユキ: むかし、若い男をあわれに思い助けてやって後悔したことがある。
のり子: (雪女のノリで)「山の掟をやぶった者を生かしておくことはできない……でもおまえの命は助けましょう……よいか、今宵のことは誰にも話してはなりませぬ。たとえ親であろうと、愛する者であろうと……話せば、そのとき、おまえの命はない……」てなこと言ったけど、結局雪女はその男を殺せませんでしたってことでしょ。その男に惚れちゃって。あたし、けっしてしゃべったりしないからさ!
ユキ: おまえは女だ。女の口に戸を立てるのは、茶柱をを立てるより一万倍もむつかしい。
のり子: え、それは差別だ。男女雇用機会均等法違反だ! ちゃんと友だちになったじゃんかよ。心が触れあった仲じゃんかよ!
ユキ: では、人と言っておこう。いっそ、おまえは猿だったらよかったのにね。うつろいやすい人の心を、そんな淡雪のように溶けやすいものを信じたわたしもバカだった。やはり四分の三ヒトであることの弱さか、わたしもしゃべりすぎた。理不尽だろうけどが死んでもらうよ。
のり子: な、なんとかしてよ。(傘に)だいたいあんたが悪いのよ。おやじさん! いい歳して、わがままで気弱く傘になって収まりかえってるんだから!
ユキ: 覚悟おし……
のり子: ね、お願いだから聞いてよ。ね、なんであたしが巻き込まれて死ななきゃなんないのよ! ね、お願い、どんなきれいで立派な傘になったからって、ずっと閉じることもないでしょ。ね、ちょっと、開いたくらいで減るってもんじゃあるまいし……
ユキ: さあああああああああああ、息を吹きかけてあげよう、絶対零度の冷たい息を。痛みも苦しみもなく、眠るように死んでいける……雪の世界に連れてってあげるわ……
のり子: ヒィ! ち、ちめたい! つ、冷たいよー。くそ、どうして、足から吹きかけんのよ。冷たい! どうして一気にやらないのよ。くそ、あそんでやがんなてめえ……あの、あのね、ただでもあたし冷え性なんだから。ね、おやじさんなんとか言って……ああ、足が……手が……手が……
ユキ: さあ、とどめをさしてあげるわ。フー……
のり子: ああ……眠くなってきた……眠く……あたし、死ぬの……死ぬのね……グー……
ユキ: 死ねえええええええ! フー……
時 現代
所 ある町
人物 のり子 ユキ よしみ
ユキ: ……(泣いている)
のり子: 泣くなよ。気持ちはわかるけどさ、世の中には通じないものだってあるんだよ。
ユキ: 苦労したのは、父さんだけじゃないんだ。北海道から内地へ。内地へ渡ってからも、秋田、岩手、高知で二回、鹿児島で三回。そしてこの町で二回引っ越したわ。雪女の血をひいてるもんだから、高知や鹿児島では、いつも死んだみたいに元気が無くって、度重なる引っ越しで、友だちのできる間もなかった……だから、わたし、ずっと十歳の女の子……それでも掃除、洗濯、食事の用意に、ご近所の回覧板、朝夕は新聞とヤクルトの配達のアルバイト……姉さんはずるいから、七歳の姿に戻って自分の成長を止めてしまって、世間の人は、みんな姉さんのほうを妹だと思っていた。
のり子: 苦労したんだ……
ユキ: 父さんは、行く先々で、仕事かわって、外でお酒ばかり飲んで。家じゃヘドはいてクダまいて……ロクなもんじゃなかったんだよ。父さん、父さん、聞いてるの父さん? 聞いてるの父さん?
のり子: (何事かに気づいて、傘をつかんで下手へ)ダメだよ、ユキ! いくらダメなおやじだからって、親は親なんだからさ!
ユキ: わかっているわよ、そんなこと!
のり子: わかってないよ。あんたの心は怖いよ! 憎しみでいっぱいだ!
ユキ: そんなこと……そんなことないわよ……
のり子: あるよ! ユキ、あんた、この傘を、おやじさんをたたっこわそうと……
ユキ: 思ってないよ!
のり子: 思ってる!
ユキ: 思ってないよ。ないから父さんよこして!
のり子: ダメだ! そんなユキに渡せるわけないじゃんか!
ユキ: クク……心が通じるって、不便なこともあるのね(あふれるものを、こらえている)
のり子: ユキの心って、怖いものがいるんだね……
ユキ: わたしの心の底の底は雪女だもの……
のり子: ダメだよ、その心は!
ユキ: わかってるわよ。でも、あふれてくるのよ。いままでこらえていたものが。そう、わたしってこらえていたのよ。こらえるために、耐えるために十歳の子どもでいたのよね……きっとそう。ピーターパンも何かに耐えるために、ずっと子どもでいたのよね。だから、ピーターパンは人を殺さない。
のり子: そう、殺しちゃいけない! がんばって、あふれるものを飲み込んで!
ユキ: ごっくん! そうよね、ピーターパンみたいに。ああ、こんなとき、ピーターパンなら、きっと空を飛んでいたことでしょう、フライパンになって。それでもダメなら、アンコを飲んでアンパンマンに。でも、わたしは飛べない。雪見大福雪女……ああ、ダメ! 目から口から耳からあふれて、こぼれてくる……うわああああああ!(身体のあちこちから、蒸気のように恨みや怒りを噴き出させ、鬼の表情で『鬼滅の刃』の禰豆子のようにのたうち回る)
のり子: ダメエエエエエエエ! それをあふれさせては……雪女になっちゃダメだ、ダメだよ、ユキ! ユキ!(のたうち回るユキにしがみついて、きつく抱きしめる)ユキイイイイイイイイ……!
ユキ: ウーーーーーーーーーップ……ありがとう、のり子。なんとか、あふれないですんだみたい……
のり子: よかった、よかったね。
ユキ: うん、父さんを……(のり子、ためらう)もう、大丈夫。
のり子: そうだね(傘をもってくる)
ユキ: 父さん……父さん……ごめんね。ユキ、もうひい婆ちゃんみたいになったりしないからね。たとえ傘になっても、父さんは、父さんなんだもんね……ね、いっしょに常呂に帰ろ。常呂に帰れば常呂の森が、空が、海が、風が、そしてトコロが、わたしたちを迎えてくれるわ……ね。常呂に帰れば、仕事も世間も、態度の悪い高校生も、OLも、口やかましいだけで、コミュニケーションゼロのご近所も、なにも気にしなくていい。いいのよ。だから……(やにわに傘をかまえる。のり子もそれにならう)
二人: 開いてちょうだい、お願いだからああああああああああああああ!!
ユキ: ウーン……ダメだ、ダメだ!
のり子: (傘を取りあげ、立ちふさがって)ダメよ!
ユキ: ありがと。大丈夫、大丈夫よ……
のり子: (傘に)ねえ、おやじさん。赤の他人のあたしが言うのもなんだけど。ね、ユキちゃん、あんなにしょげかえっちゃって。ね、お願いだから……これだけ言ってもダメ…………ええい、このわからずや。こうしてくれるわ!(傘を振りあげる)
ユキ: (慌てて、止めに入る)やめてちょうだい。これじゃ立場が反対! 反対でしょーが!
のり子: そ、そうよね(;^_^)。
ユキ: ありがとう……トドロの気持ち、とっても嬉しい……
のり子: 嬉しいのはいいけど、どうするんのこれから?
ユキ: 開かなくても、父さんを常呂に連れて帰る……
のり子: でも、開かなきゃ……元にはもどれないんでしょ?
ユキ: 閉じたまま放っておくと、ほんとうの傘になってしまう。二度ともどれなくなってしまう……それでも連れて帰る……帰るしかないもの……
のり子: ユキ……
ユキ: 常呂の森に、傘の父さんをひっそりとさすの……そうすれば……
のり子: そうすれば……?
ユキ: いつか芽がでて、枝がのびて。そして、ゆっくりと森の中の一本の木になる……父さん、苦労知らずの気の弱い人だったから……人間でいるより、木になったほうが幸せかもしれない……
のり子: 木に……?
ユキ: 木になれば、だれとも会わず、わずらわしいことも何もわからなくなって……ただただ風に枝をそよがせて、静かに幸せになれるわ……そして……わたしはひとりぼっち(膝に顔を埋めて泣く)
のり子: ユキ……かわいそうなユキ(母のように、肩を抱く)
ユキ: (はじけるように、身をそらせる)
のり子: (したたかに、ユキの頭で顔を打つ)ウーン……どうしたのよ、ユキ?
所 ある町
人物 のり子 ユキ よしみ
のり子: それとこれとはね……
ユキ: トドロのつっかけ……じゃなくて、きっかけは……高校生のときに初めて観た「となりのトトロ」 初めてのデートでケンカ別れして、おまけに門限に遅れ。お父さんからこっぴどく叱られて、部屋にこもってたまたまつけたテレビでやっていたのが「となりのトトロ」 世の中に、こんなに優しく美しく懐かしいものがあるのか……
のり子: どうして、そんなこと……
ユキ: ともだちだからよ。
のり子: え……?
ユキ: でしょ。知り合って、まだわずかな時間だけれど、ずっと前からの知り合いみたい。トドロは、単なるノスタルジーや、ほのぼのしたぬくもりに流されるのじゃなく、真にリアリティーをもった作品、それもけして生々しいものじゃなくて、ファンタジーとドラマの中間をねらいたい。で、先生は「そんな器用なことができるか!」って怒っちゃう。だって、トドロの頭の中にあるのは、バラバラにしたパッチワークみたいなアイデアでしかないんだもんね。
のり子: そうだよね、バラバラの布きれ見せられて、これがニューモードの服でございって言われたら、怒るわなぁ……
ユキ: こうやって分かり合えるのを友だちっていうのよね。違う?
のり子: そうだな……
ユキ: だったら、もう説明なんかいらないわ。アハハハ……
のり子: アハハハ……いるよ、いるよ! なんでだれにもしゃべったことのない秘密を、あんたが知ってるわけ?
ユキ: だって、友だちでしょ、わたしたち。友だちって、心の通い合うもんでしょ。通い合うっていうのは、たとえ言葉に出さなくても相手の心がわかるってことでしょ。
のり子: そりゃ、あたしだって、アイデアだけで作品ができるとは思ってないわよ。でもね、アイデアって大事なものなんだよ。だって、どんな名作だって、最初はひとかけらのアイデアなんだから……そりゃね、先生の怒る気持ちもわかるわよ……でも、待って。わかるってことと許せるってことは別なのよ……え? だって、そうでしょ。そりゃ、あたしは未熟よ、いたらないわよ。でも真剣に考えてるんだから、あんな全人格を否定するような言い方しなくたって……甘えだ? それはないでしょ! あたしだって、こんなに苦しんで考えてるんだから……
ユキ: ほらね。
のり子: え?
ユキ: わたし、なにもしゃべってないのに……ね、ちゃんと会話になってる。
のり子: ほんと……
二人: アハハハ……
※ 無料上演の場合上演料は頂きませんが上演許可はとるようにしてください 最終回に連絡先を記します
所 ある町
人物……女3
ユキ
よしみ
ユキ: お父さん……
のり子: 悲しい歌だね……
ユキ: 常呂に残っていればよかったね。わたしや姉さんのために内地になんか来なくてもよかったのにね……
のり子: あんたたちのために?
ユキ: 本当は……お父さん、おじいちゃんから逃げ出したかったのかもしれない。
のり子: え?
ユキ: おじいちゃん偉い人すぎたんだ……お父さん、おじいちゃんみたいに世の中の傘になりたかったんだ。おじいちゃんとは違うやり方で……
のり子: それで、とうとう本物の傘になっちゃったの?
ユキ: トコロは恩返しのつもりだったの……お父さん、酔うとこの歌しか唄わなかったから……トコロは早手回しに、おとうさんは傘になりたがっていると誤解して……傘にしてしまった。
のり子: ……それで?
ユキ: それで?
のり子: それで、どうするの? 傘になったおやじさんと、ブタになった姉さんしょって、バスを待って……どうするの?
ユキ: トコロに元にもどしてもらうの。
のり子: 元にもどるの?
ユキ: もどるわ、その気なら……本人がその気なら……(傘を、父の心を開こうとする)お父さん。お願い、開いて! 開いて、お父さん! 開け、開け、開け!……開いてよ、お父さん……
のり子: そのままじゃ、閉じたままじゃダメなの?
ユキ: ダメなの、傘を開いて、心を開いて、前向きにならなきゃ、いくらトコロの力でも元にもどせやしないわ。
のり子: でも、トコロが傘にしたんだから……
ユキ: たとえ、トコロがどんなに大きな力を持っていても、お父さんの心がゼロなら……そうでしょ、ゼロにどんな大きな数字をかけても、出てくる答えはゼロ。そうでしょ。
のり子: そうだね……
ユキ: お父さんお願い。このわたしに、たかが十歳くらいにしか見えないけれど、実は十八歳の……
のり子: あんた十八歳?
ユキ: と言っても人が驚くのに、本当のところ二十五歳……
のり子: 二十五?
ユキ: なんて言ったら、人が目をむくのに、真実は四十五……
のり子: 四十五? ほとんどあたしの倍じゃん!? うそでしょ……
ユキ: ほんとよ。
のり子: あんたねえ、ユキ。あたしは真剣にあんたの話につきあってんのよ。それをね、それはないでしょ。
ユキ: ほんとうは、自分の歳なんか忘れてしまった……もう何十年も十歳を続けているって言えばわかってもらえるかしら……
のり子: あのなあ……
ユキ: そんなの世間じゃ珍しいことじゃないでしょ?
のり子: 珍しいよ、しっかり珍しいよ!
ユキ: だって、サザエさんなんか昭和二十一年からずっと二十四歳だし、カツオ君とワカメちゃんも何十年も小学生。
のり子: そりゃね……
ユキ: 名探偵コナンも、ルパン三世も歳をとらない。スヌーピーもミッキーも、世界最長寿のイヌとネズミだけど、若さは昔のままでしょ?
のり子: そりゃマンガでしょ?
ユキ: でしょ……でしょはないでしょ、そうでしょ! マンガだって感動するときゃするでしょ。人生を変えてしまうこだってあるわ。現にあなただって、どっぷりマンガに首まで漬かって生きてるんじゃない。逆に生きてる人間でも、マンガほどに感動を与えない人もいるわ。大切なことは心よ。心の感動よ。その心に感動を与えてくれるものなら、それがマンガだろうが生きてる人間だろうが関係ないことじゃない。サザエさん読むとき、サザエさんは何十年も二十四歳やってるんだ、変なやつだ! なんて思いながら読んでる? ただおもしろい、ああなるほどとか感動するわけでしょ。
のり子: そりゃあ、そうだけどもぉ……
ユキ: まだわからない? 思い出してよ、あなたがマンガ家になろうと思ったきっかけを。
のり子: きっかけ?