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今年も残すところ、あと2週間になってしまいました。
思い返してみると、正直いろいろなことがありました。
公私共にまだまだ遣り残したことが多いですが、区切りの意味からも、何回かに分けて今年を振り返ろうと思います。
第一回目は、「今年物故した音楽家を偲ぶ」第一弾としてベルティーニを聴きました。
曲は、マーラーの第3シンフォニーです。
ベルティーニは1927年に旧ソ連で生まれ、その後イスラエルに移住。 1958年、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューし、その後いくつものオーケストラの首席指揮者や音楽監督を歴任しました。特に彼の名を有名にしたのは、1983年から91年まで常任指揮者をつとめたケルン放送交響楽団時代でしょうか。日本でも1998年に東京都交響楽団の音楽監督に就任し、そのマーラー演奏等は高く評価されていました。
今年3月17日永眠。
といいながら、私はベルティーニが亡くなるまで、決して熱心な聴き手とは言えませんでした。
ところが、先日ケルン放送響と組んだマーラーの交響曲全集をじっくり聴いてみて、ベルティーニの偉大さが良く分かりました。
素晴らしい指揮者ですね。
彼のマーラーは、どの曲をとっても何より音の響きが美しい。美しいといっても、華美に飾った美しさではなく、音の一粒一粒を精魂込めてこつこつ磨き上げた美しさです。
加えて抜群のバランス感をもっているので、音の見透しが凄くいい。
私はバーンスタインやテンシュテットのマーラーが大好きで、聴くたびに「あー、凄い音楽をきいた。思いきり感動した!」と感じるのですが、聴いた後襲ってくる疲労感も正直半端ではありません。壮大なドラマとして真に迫って聴かせられるわけですから、当然ですよね。でもベルティーニのアプローチは違う。
マーラーの複雑なスコアを見事に音の響きとして再現し、純粋に音楽として聴かせてくれます。ドラマと音楽の違いと言ったら、極端すぎるでしょうか。
決して微温的だとか迫ってくるものがないと言っているのではありません。むしろ全く逆です。しかし、デフォルメしないフォルムの美しさ、無類のバランスのよさ、各パートの歌わせ方の見事さで、非常に分かりやすく感じるだけなのです。
偉大な芸術家であるマエストロが、職人としての最高の良心をもって音楽を再現している、そんな印象を私はもっています。
だから、バーンスタインやテンシュテットのマーラーは、年に数回大切な時に取り出して聴き、身も心もくたくたになるくらい深い感動を味わいたい。でも、ベルティーニのようなマーラーなら、毎日でも聴いていたい。
そんなふうに感じています。
さて、この3番シンフォニーですが、まず第1楽章冒頭のホルンが奏でる深い響きに早くも魅了されます。
20分過ぎに登場するチェロとコントラバスのユニゾンの何と見事なこと。また続く行進曲がこんなに充実した響きで再現されることは稀でしょう。
十分すぎる迫力と緊張感を感じつつ、スコアに書かれたすべての音が聴こえてくるようです。
第2楽章は、何ともしなやかで伸びやかな歌わせ方が、第1楽章との見事な対比を見せてくれます。メヌエットを意識したマーラーの思いが伝わってきます。
第3楽章は、マーラー得意のレントラー風の雰囲気。郭公を模した部分なんかは、つい替え歌の一つも作りたくなるような・・・。
(おっと、あまり品がいいのは浮かんでこないので、やめときます!)
第4楽章は、ニーチェの「ツァラトストラ」からの一節をアルトが歌います。キルブルーは良く知らない歌手でしたが、凛とした素晴らしい名唱。
第5楽章は、この季節(クリスマス前)にふさわしそうな天上の音楽です。ともすれば場違いの雰囲気を与えかねない意外に難しい部分ですが、明るく純真無垢な歌唱が心をきれいに洗ってくれます。
そして最後の第6楽章。
この演奏の白眉は、何といってもこの楽章です。
冒頭、厳粛に弦楽合奏で奏でられる部分が、ほんとにオルガンのよう。「終楽章」「アダージョ」「弦楽合奏」、といえば9番もそうですよね。でも9番のあの死の淵を覗くような独特の深遠な雰囲気はありません。その代わりに、この3番では、天国へ近づくための儀式でも見ているような、おごそかな優しい響きが・・・。
4分半くらいに登場する「椿姫」の前奏曲を思わせる弦楽器のすすり泣きは、泣き叫ばないぶんだけ一層胸をうちます。
18分過ぎから現われるフルート、ピッコロが奏でるフレーズは、もう言葉を失うくらいの美しさ。続く金管も実に見事。
最後の壮麗なコーダは、絶対団子のサウンドを作らないベルティーニの素晴らしさが最高に発揮されています。また有名なティンパニの4度強打も、心にぐさっと突き刺さるくらい印象的。
というわけで、それはまあ見事なマーラーでした。
真に充実した100分を保証してくれる名演だと思います。
<曲目>交響曲第3番ニ短調
<演奏>
■指揮:ガリー・ベルティーニ
■管弦楽:ケルン放送交響楽団
■アルト:グヴェンドリン・キルブルー
■ボン・コレギウム・ヨゼフィヌム少年合唱団
バイエルン放送合唱団
ケルン放送合唱団
<録音>1985年3月
思い返してみると、正直いろいろなことがありました。
公私共にまだまだ遣り残したことが多いですが、区切りの意味からも、何回かに分けて今年を振り返ろうと思います。
第一回目は、「今年物故した音楽家を偲ぶ」第一弾としてベルティーニを聴きました。
曲は、マーラーの第3シンフォニーです。
ベルティーニは1927年に旧ソ連で生まれ、その後イスラエルに移住。 1958年、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューし、その後いくつものオーケストラの首席指揮者や音楽監督を歴任しました。特に彼の名を有名にしたのは、1983年から91年まで常任指揮者をつとめたケルン放送交響楽団時代でしょうか。日本でも1998年に東京都交響楽団の音楽監督に就任し、そのマーラー演奏等は高く評価されていました。
今年3月17日永眠。
といいながら、私はベルティーニが亡くなるまで、決して熱心な聴き手とは言えませんでした。
ところが、先日ケルン放送響と組んだマーラーの交響曲全集をじっくり聴いてみて、ベルティーニの偉大さが良く分かりました。
素晴らしい指揮者ですね。
彼のマーラーは、どの曲をとっても何より音の響きが美しい。美しいといっても、華美に飾った美しさではなく、音の一粒一粒を精魂込めてこつこつ磨き上げた美しさです。
加えて抜群のバランス感をもっているので、音の見透しが凄くいい。
私はバーンスタインやテンシュテットのマーラーが大好きで、聴くたびに「あー、凄い音楽をきいた。思いきり感動した!」と感じるのですが、聴いた後襲ってくる疲労感も正直半端ではありません。壮大なドラマとして真に迫って聴かせられるわけですから、当然ですよね。でもベルティーニのアプローチは違う。
マーラーの複雑なスコアを見事に音の響きとして再現し、純粋に音楽として聴かせてくれます。ドラマと音楽の違いと言ったら、極端すぎるでしょうか。
決して微温的だとか迫ってくるものがないと言っているのではありません。むしろ全く逆です。しかし、デフォルメしないフォルムの美しさ、無類のバランスのよさ、各パートの歌わせ方の見事さで、非常に分かりやすく感じるだけなのです。
偉大な芸術家であるマエストロが、職人としての最高の良心をもって音楽を再現している、そんな印象を私はもっています。
だから、バーンスタインやテンシュテットのマーラーは、年に数回大切な時に取り出して聴き、身も心もくたくたになるくらい深い感動を味わいたい。でも、ベルティーニのようなマーラーなら、毎日でも聴いていたい。
そんなふうに感じています。
さて、この3番シンフォニーですが、まず第1楽章冒頭のホルンが奏でる深い響きに早くも魅了されます。
20分過ぎに登場するチェロとコントラバスのユニゾンの何と見事なこと。また続く行進曲がこんなに充実した響きで再現されることは稀でしょう。
十分すぎる迫力と緊張感を感じつつ、スコアに書かれたすべての音が聴こえてくるようです。
第2楽章は、何ともしなやかで伸びやかな歌わせ方が、第1楽章との見事な対比を見せてくれます。メヌエットを意識したマーラーの思いが伝わってきます。
第3楽章は、マーラー得意のレントラー風の雰囲気。郭公を模した部分なんかは、つい替え歌の一つも作りたくなるような・・・。
(おっと、あまり品がいいのは浮かんでこないので、やめときます!)
第4楽章は、ニーチェの「ツァラトストラ」からの一節をアルトが歌います。キルブルーは良く知らない歌手でしたが、凛とした素晴らしい名唱。
第5楽章は、この季節(クリスマス前)にふさわしそうな天上の音楽です。ともすれば場違いの雰囲気を与えかねない意外に難しい部分ですが、明るく純真無垢な歌唱が心をきれいに洗ってくれます。
そして最後の第6楽章。
この演奏の白眉は、何といってもこの楽章です。
冒頭、厳粛に弦楽合奏で奏でられる部分が、ほんとにオルガンのよう。「終楽章」「アダージョ」「弦楽合奏」、といえば9番もそうですよね。でも9番のあの死の淵を覗くような独特の深遠な雰囲気はありません。その代わりに、この3番では、天国へ近づくための儀式でも見ているような、おごそかな優しい響きが・・・。
4分半くらいに登場する「椿姫」の前奏曲を思わせる弦楽器のすすり泣きは、泣き叫ばないぶんだけ一層胸をうちます。
18分過ぎから現われるフルート、ピッコロが奏でるフレーズは、もう言葉を失うくらいの美しさ。続く金管も実に見事。
最後の壮麗なコーダは、絶対団子のサウンドを作らないベルティーニの素晴らしさが最高に発揮されています。また有名なティンパニの4度強打も、心にぐさっと突き刺さるくらい印象的。
というわけで、それはまあ見事なマーラーでした。
真に充実した100分を保証してくれる名演だと思います。
<曲目>交響曲第3番ニ短調
<演奏>
■指揮:ガリー・ベルティーニ
■管弦楽:ケルン放送交響楽団
■アルト:グヴェンドリン・キルブルー
■ボン・コレギウム・ヨゼフィヌム少年合唱団
バイエルン放送合唱団
ケルン放送合唱団
<録音>1985年3月
ホンマに綺麗なマーラーです。これだけ美しいマーラーはそう聴けないと思います。2番と3番がスゴイ名演だと思いました。
4番もなかなかです。TBさせていただきます。
それからコーダは楽器のバランスがいいですね。最後のティンパニの強打は、ただ強いだけでなくて、重量感があって、ドスンときます。凄いですね。
火曜日が迫って来ました!
楽しみにしております!
こんばんは。ありがとうございます。
ベルティーニ、完全にやられました。
こんな素敵なマーラーを聴かせてくれていたんですね。聴き方が足りなかったと猛省しております。
>5番までの選集(フランスEMIが発売していました)を持っているんですが、この秋に出た全集、欲しいんです。
実は、私も全く同じ状況でした。
そして悩んだあげく、選集のほうを手放して輸入盤の全集を買ってしまいました。
6番、8番と聴きましたが、どちらも素晴らしかったです。そういう意味では、ちょっと勿体ないけど正解だったと思うようにしています。
こんばんは。
いつもありがとうございます。
とくに終楽章の素晴らしさに、ご賛同いただけてとても嬉しいです。
こんなに素晴らしい音楽を聴かせてくれていたのに、今まで何を聴いていたんだろうと、少々落ち込んでいます。
でも。こんな素敵なマーラーが全集で、しかもとびっきりの録音で残されていたことに感謝しなければいけませんよね。
いつもありがとうございます。
>都響の音楽監督就任記念公演の復活を聴きに行きました
おー、何とうらやましい!実は私も彼のマーラーの評判は聞いていたのですが、これほどとは思いませんでした。
しかもお聴きになった曲が「復活」とは・・・。ほんとうらやましい限りです。都響は若い活力のあるオケですから、さぞかしハマッタことでしょうね。
20日に、是非そのときの感想を詳しく聞かせて下さいね。
楽しみにしております。
こんばんは。
いつもありがとうございます。
このマーラー、ベルティーニも勿論素晴らしのですが、この演奏を実現したケルン放送響は本当にいいオーケストラですね。
ヴァントのシューベルトやセルのチャイコ5番のライブ盤等でもお墨付きですが、改めて感心しました。
>当時コンミスは四方恭子、obの首席は宮本文昭であり、va、cbの首席も日本人でした
なるほど。四方さんは知っていたのですが、宮本さんもこの時期ケルンにいたんですね。
なんだか、同じ日本人としてとても嬉しい気持ちです。
拙ブログのかなり前のエントリになりますが、TBさせていただきました。間違えて4番のエントリもTBしてしまいました。すみません。
それにしてもこの3番は本当に素晴らしい演奏ですよね。ハイティンクのマチネー・ライブと並んでマイ・ベストです。
今後ともよろしくお願いいたします。
こんばんは。ご訪問いただき誠にありがとうございました。
ベルティーニの素晴らしさを、今さらながら実感しております。見透しがいいということは、マーラーではほんとに重要なことだと思い知らされました。
こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願い致します。