先週金曜日からは、いよいよセ・リーグのペナントレースが開幕した。
我が愛するタイガースも、まだ2日間だけど最高のスタートを切ることができた。
やはり城島効果が大きい。ただ、戦うスタイルの確立、選手層の底上げという点では、まだまだ巨人や中日に及ばないと思う。
あの広い甲子園を本拠にする以上、戦うスタイルは自ずと決まってくるはずなのに、真のエースが育っていないし、守備力・走塁といった面でも気がかりな点が多い。
昨年も金本が4月に神がかり的な活躍を見せたにもかかわらず、その間に戦力の整備や戦い方の方向感が出せなかったことが、Bクラスに低迷した大きな原因だ。
今年はその轍を踏んではいけない。
城島効果が出ている間にこそ、冷静に次の次を見据えた戦略をたててほしいと切に願っている。
さて、先週金曜日から今週土曜日にかけては、私にとって大作鑑賞週間だ。
「神々の黄昏」「マーラー3番」「マタイ」と続くシリーズのトップを飾ったのが、読響定期のブルックナーの8番。
読響常任指揮者としてスクロヴァチェフスキが振る最後のコンサートだ。
<日時>2010年3月26日(金) 19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
<演奏>
■スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮
■読売日本交響楽団
生涯決して忘れることのできないブルックナーだった。
かれこれ100回近く読響の演奏を聴き続けてきたが、今回のブルックナーほど大きな感銘を受けたことはなかった。
感想を書くとしたら、もうそれだけで十分かもしれない。
むしろ書けば書くほど、一昨日の感動が自分の中で薄れていくような気がして怖い。
それほど素晴らしいブルックナーの8番だった。
ただ、物忘れがひどくなってきた自分用に、思いつくまま印象を書きとめておこう。
この日のマエストロの聴かせたブルックナーは、まずオルガンのごとく横に滔々と流れる大河のような響きが基本。
そして、劇的に大きなうねりをみせる。
しかし、それだけではないのがスクロヴァチェフスキ流。
まず、細かなリズムに物凄く気を遣っていた。
それは第一楽章冒頭から既に明らかで、16分音符と4分音符の組み合わさったリズムの主題が本当に新鮮に描かれていたと思う。
また、テンポはかなり変化したにもかかわらず、全体の見通しにはいささかの曇りもなかった。
終楽章は、まさにその典型で、ぐぐっとテンポをあげても節目節目の太い柱が微動だにしないので、聴いている方は安心できる。
音楽の流れに沿って、もう少し振り返ってみる。
第1楽章は途中からどうにも涙が止まらなくなって、「まだまだ先は長いのに、こんなことでどうするんだ」と自分を叱咤しながら聴いていた。
第2楽章では、3小節目からのヴィオラとチェロの主題が暖かくかつ逞しい表情で、それがとても印象に残っている。
そういえば、この日のヴィオラとチェロはともにソロ主席がダブル出演で、このメンバーのときの読響の弦は強力だ。
第3楽章のアダージョは、もう涙なしには聴けなかった。
藤原さんのソロも最高。
そして、フィナーレ。
先ほど書いたようにテンポもかなり変わるが、ひょっとすると、これはマエストロの気合いの現れだったかもしれない。
音楽への感動と感傷的な思いが交錯しながら、あっという間に時がすぎる。
いよいよコーダだ。
聴こえる。たしかにすべての主題がはっきりと聴こえる。
これが聴きたかった。
すべての主題が大伽藍を築くこのコーダを、こんな風に聴きたかったんだ。
これでこそ、ブルックナーの8番。
それと、この日集まった聴衆にも感謝したい。
家族あるいは友人のような暖かな雰囲気と、一種独特の緊張感が、ホール全体を包み込んでいた。
終楽章の最後のリテヌートは、ほとんどインテンポでなだれ込むような形の終わり方だったが、その後完全な静寂があって、マエストロが指揮棒を下ろしきった瞬間に、割れんばかりの盛大な拍手。
さすが定期演奏会の聴衆だ。
この素晴らしい聴衆と同じ時間に同じ感動を共有できたことに、私は大きな喜びを感じる。
この日のコンサートを聴くことができて、本当に良かった。
心からそう思っている。
我が愛するタイガースも、まだ2日間だけど最高のスタートを切ることができた。
やはり城島効果が大きい。ただ、戦うスタイルの確立、選手層の底上げという点では、まだまだ巨人や中日に及ばないと思う。
あの広い甲子園を本拠にする以上、戦うスタイルは自ずと決まってくるはずなのに、真のエースが育っていないし、守備力・走塁といった面でも気がかりな点が多い。
昨年も金本が4月に神がかり的な活躍を見せたにもかかわらず、その間に戦力の整備や戦い方の方向感が出せなかったことが、Bクラスに低迷した大きな原因だ。
今年はその轍を踏んではいけない。
城島効果が出ている間にこそ、冷静に次の次を見据えた戦略をたててほしいと切に願っている。
さて、先週金曜日から今週土曜日にかけては、私にとって大作鑑賞週間だ。
「神々の黄昏」「マーラー3番」「マタイ」と続くシリーズのトップを飾ったのが、読響定期のブルックナーの8番。
読響常任指揮者としてスクロヴァチェフスキが振る最後のコンサートだ。
<日時>2010年3月26日(金) 19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
<演奏>
■スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮
■読売日本交響楽団
生涯決して忘れることのできないブルックナーだった。
かれこれ100回近く読響の演奏を聴き続けてきたが、今回のブルックナーほど大きな感銘を受けたことはなかった。
感想を書くとしたら、もうそれだけで十分かもしれない。
むしろ書けば書くほど、一昨日の感動が自分の中で薄れていくような気がして怖い。
それほど素晴らしいブルックナーの8番だった。
ただ、物忘れがひどくなってきた自分用に、思いつくまま印象を書きとめておこう。
この日のマエストロの聴かせたブルックナーは、まずオルガンのごとく横に滔々と流れる大河のような響きが基本。
そして、劇的に大きなうねりをみせる。
しかし、それだけではないのがスクロヴァチェフスキ流。
まず、細かなリズムに物凄く気を遣っていた。
それは第一楽章冒頭から既に明らかで、16分音符と4分音符の組み合わさったリズムの主題が本当に新鮮に描かれていたと思う。
また、テンポはかなり変化したにもかかわらず、全体の見通しにはいささかの曇りもなかった。
終楽章は、まさにその典型で、ぐぐっとテンポをあげても節目節目の太い柱が微動だにしないので、聴いている方は安心できる。
音楽の流れに沿って、もう少し振り返ってみる。
第1楽章は途中からどうにも涙が止まらなくなって、「まだまだ先は長いのに、こんなことでどうするんだ」と自分を叱咤しながら聴いていた。
第2楽章では、3小節目からのヴィオラとチェロの主題が暖かくかつ逞しい表情で、それがとても印象に残っている。
そういえば、この日のヴィオラとチェロはともにソロ主席がダブル出演で、このメンバーのときの読響の弦は強力だ。
第3楽章のアダージョは、もう涙なしには聴けなかった。
藤原さんのソロも最高。
そして、フィナーレ。
先ほど書いたようにテンポもかなり変わるが、ひょっとすると、これはマエストロの気合いの現れだったかもしれない。
音楽への感動と感傷的な思いが交錯しながら、あっという間に時がすぎる。
いよいよコーダだ。
聴こえる。たしかにすべての主題がはっきりと聴こえる。
これが聴きたかった。
すべての主題が大伽藍を築くこのコーダを、こんな風に聴きたかったんだ。
これでこそ、ブルックナーの8番。
それと、この日集まった聴衆にも感謝したい。
家族あるいは友人のような暖かな雰囲気と、一種独特の緊張感が、ホール全体を包み込んでいた。
終楽章の最後のリテヌートは、ほとんどインテンポでなだれ込むような形の終わり方だったが、その後完全な静寂があって、マエストロが指揮棒を下ろしきった瞬間に、割れんばかりの盛大な拍手。
さすが定期演奏会の聴衆だ。
この素晴らしい聴衆と同じ時間に同じ感動を共有できたことに、私は大きな喜びを感じる。
この日のコンサートを聴くことができて、本当に良かった。
心からそう思っている。
インバル、ティーレマン、そしてスクロヴァの3公演を聴かれた強者がいらっしゃってその方にお聴きしたところ、スクロヴァが一番よかった!とのことでした・・・ああやはり悔やまれます。
10月の7番はぜひ行きたいと思います!
私の方こそご無沙汰しており、申し訳ありません。
スクロヴァさんのブル8、私は本当に感動しました。「枯れた」とか「悠然とした」とは対極のスタイルですが、それがまた何とも魅力的なんです。
彼の音楽の特徴でもある「見通しのよさ」は、やはりブルックナーにうってつけだと思いました。
7番、私も今から楽しみです。
P.S
私は逆にティーレマンを聴けなかったことを、ほんとに後悔しているんです(笑)
良かったらしいですね~。
でもブルックナーの8番が連日3つの異なるオケで聴けるなんて、世界中でも東京だけかもしれませんね。