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マルタ・アルゲリッチ 室内楽の夕べ  at すみだトリフォニーホール

2008-12-19 | コンサートの感想
師走も半分以上が過ぎました。
さすがに忙しいです。
時間が・・・、嗚呼時間が足りない。

そんな中、「忙中閑あり」ではありませんが、16日にアルゲリッチとカプソン兄弟たちの室内楽を聴いてきました。
アルゲリッチのピアノを生で聴くのは、かれこれ10年ぶりかしら。
その時オーチャードホールで聴いたラヴェルのコンチェルトは、今でもよく覚えています。
バックは南米アルゼンチンのオーケストラで、粗っぽいことこの上ないサポートでしたが、アルゲリッチのピアノはさすがに凄かった。
そんなアルゲリッチを中心とする室内楽ですから、今回は何としても聴きたかったのです。

マルタ・アルゲリッチ(p) 室内楽の夕べ
<日時>2008年12月16日(火)19:00開演
<会場>すみだトリフォニーホール
<曲目>
■シューマン:バイオリン・ソナタ第2番ニ短調op.121
■ベートーヴェン:ピアノ四重奏曲ハ長調WoO.36-3
■シューマン:幻想小曲集op.73
■ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番ホ短調op.67
(アンコール)
■シューマン:ピアノ四重奏曲変ホ長調 op.47から 第3楽章
<演奏>
■マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
■ルノー・カプソン(バイオリン)
■リダ・チェン(ヴィオラ)
■ゴーディエ・カプソン(チェロ)

前半は、シューマンのバイオリンソナタ第2番で始まりました。
緊張感もあるし、音色もきれいなんだけど、何か違う。聴きながらずっとそう考えていました。
息の長いフレージングを使いながら歌として表現しようとするアルゲリッチに対して、ルノー・カプソンのフレージングが概して短めなのです。またルノー・カプソンは、「弱音でスタートしてフレーズの途中で急激にフォルテへ、逆にフォルテからがくんと音量を落として、最弱音をノン・ヴィブラートで囁くように奏でる」、こんな表現を多用していました。
この手の表現は、繰り返されると、「またか・・・」と感じてしまうものです。
私にとっては、少々欲求不満気味のオープニングでした。

劇的に変わったのが、後半のステージ。
まず、チェロとピアノで弾かれたシューマンの幻想小曲集が素晴らしかった。
語りたいことを山ほど持ちながら、一方で人一倍傷つきやすかったシューマン。
そんな彼の心の叫びを、ゴーティエ・カプソンは、ものの見事に表現してくれました。
こんな感動的なチェロを聴いたのは、ブルネロ以来じゃないかしら。
けだし秀演と申し上げておきましょう。

そして、紛れもなくこの日の白眉だったのが、ショスターコーヴィチのピアノトリオ第2番。
冒頭チェロのフラジオレットから、すでに素晴らしい緊張感です。
チェロ、バイオリン、ピアノという順にテーマが引き継がれていく頃には、もう完全に深遠な世界に浸りきっていました。
それにしても、第3楽章ラルゴの冒頭でアルゲリッチが放ったあのピアノの一撃。
私は生涯忘れないでしょう。
何という音。何という響き。
一音でホール全体を震撼させ、何かとてつもない世界に引き込んでしまいました。
そのあと登場するバイオリンもチェロも、もはや楽器が奏でる音楽ではありませんでした。
ただ、あるのは心の叫び。
日本語で表現するとしたら、「慟哭」以外にないでしょう。
そして、ラストのラスト。
この日の演奏を聴いて、なぜこの曲が最弱音で、しかも長調のアルペッジョという形でエンディングを迎えるのか、少しだけわかったような気がします。

こんな深い感動を味わった後でしたから、できればアンコールはやめてほしいと、正直思いました。
でもアンコールはあったのです。
しかも、嬉しいことに、曲は私が泣きたくなるほど好きなシューマンのピアノ四重奏曲の第3楽章。
何という幸運!
当日風邪で熱っぽかった私の体の隅々に、シューマンの最高に美しい音楽がみるみる沁み渡っていきました。
聴きながら、「生きていて良かった。このコンサートを聴けてほんとに良かった」
大袈裟ではなく、心からそう思いました。

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2 コメント

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なんと、うらやましいことでしょう。 (tomato)
2008-12-21 16:15:44
すばらしい音楽に出会うと真底、生きていて良かった、こんな素敵な音楽にめぐり合えるなんてしあわせって、いつも思います。他のいやなこともふっとんでしまいますね。
アルゲリッチの一音を私も聴きたかったです。ほんとうにうらやましいです。
やはり、本物の人の音ってたった一音でものがたっていますね。
そんな本物に出会うことが一番のしあわせですね。いつも素敵な感想をありがとうございます。
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>tomatoさま (romani)
2008-12-21 23:11:11
こんばんは。

心に響くコメントをいただき、ありがとうございました。
本当に素晴らしいコンサートに出会った時は、「演奏者も聴衆もない。ひたすら生きてて良かったと思える時間と空間を、みんなで共有しているんだ」と感じます。
もちろんすべてのコンサートでそのような体験を得ることができるわけではないのですが、私は、「そんな場面にひょっとしたら出会えるのでは?」という奇跡を信じて、可能な限りのコンサート通いをしているのかもしれません。

この日のショスタコーヴィチは、楽器のの音が響いているのではなく、まさしく「人の心の叫び」がきこえてきました。
今でも、アルゲリッチのあの一撃とともに鮮烈に思い出すことができます。
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