ここ三日間、家から一歩も外へ出ませんでした。
もっとも昨日は庭で土いじりを三時間ほどしましたから、一歩もといっていいかどうかは微妙です。まあ、自分の土地からは一歩も出なかったということでしょうか。
おかげで今日は起床時に節々がギクシャクしましたが、若いせいもあって(?)午後にはちゃんと回復しました。
いざ脱獄へ! これは隣接する土地の内側から
しかし、こう閉じこもっていると、やはり閉塞感が溜まってきます。
夕方から、近くのスーパーへ買い物かたがた散歩に出かけることにしました。
ほんの三日間ほど見なかった間に、なんだか周辺の風景が少し変わったような気がしました。
なんだろうと思っていてふと気づきました。
このあたりでもやっと稲刈りが始まったのです。
私の家のすぐ近くの田はまだそのままだったので気づかなかったのですが、少し離れた所ではもう半分ほどの田が稲刈りを済ませていいます。
兼業農家がこの連休を利用して行なっているのでしょう。
この辺の稲刈りは結構遅いのです。
それは稲の品種が「はつしも」という、文字通り霜が降りそうな時期に収穫する遅場米だからです。
稲がなくなった田は一夜にして何もかもなくなったようでへんに寂しいものがあります。
しかし、しばらく行くと「はざかけ」をしている田にでくわしました。
「はざかけ」とは文字通り刈り取った稲を「はざ(稲架)」にかけて干す伝統的な方法で、ようするに天日干しなのです。そしてこれは、私の子供の頃はどの田でもこの時期見られたものでした。もっとも昔の「はざ」は丸太と竹で出来ていましたが、昨今のものはパイプの組み合わせでできています。
ところでこの「はざかけ」、一時は殆ど見られなくなった光景なのです。
それは、コンバインが高性能化し、刈り取ると同時に稲を脱穀し南京袋などに収め、稲わらはバラバラにして田に散らし、そのまま鋤き込んでしまう方法が一般化したからなのです。
こうして取り込まれた籾殻付きの米を人工的に乾燥させる乾燥機の発達も「はざかけ」という風景をなくすのに一役買いました。
しかしです、こうした合理化に逆行するように、最近はまた「はざかけ」が復活しつつあるのです。
結論をいえば、こうした天日干しの米の美味さが見直されるようになり、それを付加価値としてわざわざ「はざかけ米」を明記して売られるケースも出てきたからです。
さらには飲食店などでも、これまでのブランド米の頭に「はざかけ・はつしも使用」などとそれを強調する風潮も出てきたといいます。
お陰で、子供の頃から見慣れた田園風景が部分的に復活しつつあるということなのです。
さきに書いたように、一夜にして田がのっぺりするのは寂しいものです。そこへゆくとこの「はざかけ」は、たしかにそこに田が広がっていた痕跡を残してくれます。
「はざかけ」に近寄ると、刈ったばかりの稲のあの独特の匂いが鼻孔いっぱいに広がります。そして私を、田んぼを駆けまわって自然とすっかり馴染んでいた頃の少年前期へと連れ戻すのです。
B29による空爆がなくなり、空はあくまでも青くきょとんと広がり、やがて歴史の一大変換を迎えようとする日々のことです。
*これを読んで、この時期の悲しい思い出に涙するひとを知っています。
今年もその人を泣かせたかも知れません。
でも涙と共にであれ、去っていったひとを思い出によみがえらせることは悪いことではないでしょう。
もう、その思い出の中にしか生きていないひとなのですから。
もっとも昨日は庭で土いじりを三時間ほどしましたから、一歩もといっていいかどうかは微妙です。まあ、自分の土地からは一歩も出なかったということでしょうか。
おかげで今日は起床時に節々がギクシャクしましたが、若いせいもあって(?)午後にはちゃんと回復しました。
いざ脱獄へ! これは隣接する土地の内側から
しかし、こう閉じこもっていると、やはり閉塞感が溜まってきます。
夕方から、近くのスーパーへ買い物かたがた散歩に出かけることにしました。
ほんの三日間ほど見なかった間に、なんだか周辺の風景が少し変わったような気がしました。
なんだろうと思っていてふと気づきました。
このあたりでもやっと稲刈りが始まったのです。
私の家のすぐ近くの田はまだそのままだったので気づかなかったのですが、少し離れた所ではもう半分ほどの田が稲刈りを済ませていいます。
兼業農家がこの連休を利用して行なっているのでしょう。
この辺の稲刈りは結構遅いのです。
それは稲の品種が「はつしも」という、文字通り霜が降りそうな時期に収穫する遅場米だからです。
稲がなくなった田は一夜にして何もかもなくなったようでへんに寂しいものがあります。
しかし、しばらく行くと「はざかけ」をしている田にでくわしました。
「はざかけ」とは文字通り刈り取った稲を「はざ(稲架)」にかけて干す伝統的な方法で、ようするに天日干しなのです。そしてこれは、私の子供の頃はどの田でもこの時期見られたものでした。もっとも昔の「はざ」は丸太と竹で出来ていましたが、昨今のものはパイプの組み合わせでできています。
ところでこの「はざかけ」、一時は殆ど見られなくなった光景なのです。
それは、コンバインが高性能化し、刈り取ると同時に稲を脱穀し南京袋などに収め、稲わらはバラバラにして田に散らし、そのまま鋤き込んでしまう方法が一般化したからなのです。
こうして取り込まれた籾殻付きの米を人工的に乾燥させる乾燥機の発達も「はざかけ」という風景をなくすのに一役買いました。
しかしです、こうした合理化に逆行するように、最近はまた「はざかけ」が復活しつつあるのです。
結論をいえば、こうした天日干しの米の美味さが見直されるようになり、それを付加価値としてわざわざ「はざかけ米」を明記して売られるケースも出てきたからです。
さらには飲食店などでも、これまでのブランド米の頭に「はざかけ・はつしも使用」などとそれを強調する風潮も出てきたといいます。
お陰で、子供の頃から見慣れた田園風景が部分的に復活しつつあるということなのです。
さきに書いたように、一夜にして田がのっぺりするのは寂しいものです。そこへゆくとこの「はざかけ」は、たしかにそこに田が広がっていた痕跡を残してくれます。
「はざかけ」に近寄ると、刈ったばかりの稲のあの独特の匂いが鼻孔いっぱいに広がります。そして私を、田んぼを駆けまわって自然とすっかり馴染んでいた頃の少年前期へと連れ戻すのです。
B29による空爆がなくなり、空はあくまでも青くきょとんと広がり、やがて歴史の一大変換を迎えようとする日々のことです。
*これを読んで、この時期の悲しい思い出に涙するひとを知っています。
今年もその人を泣かせたかも知れません。
でも涙と共にであれ、去っていったひとを思い出によみがえらせることは悪いことではないでしょう。
もう、その思い出の中にしか生きていないひとなのですから。