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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

あのひとを送った日の金木犀の香

2011-10-06 05:31:31 | 想い出を掘り起こす
 もう何十年も前のことである。
 私をかわいがってくれた年上の女性がなくなった。
 彼女の相方もよく知っていて、男として私が出る幕はなかったが、どういうわけか、二人でしんみり話す機会が結構あった。

 彼女は、男勝りでテキパキものをいうことで通っていたので葬儀ももっぱらそのイメージで行われた。私はと言うと、彼女に親しい人たちからはいくぶん距離を置き、仕事への途上とあってネクタイだけ黒にして隅っこのほうで参加していた。

 彼女の既存のイメージに合わせて、勇壮な弔辞が読まれていた。私はと言うと、「う~ん、それちょっと違うんだがなぁ」という思いがあったが、弔問に異義を申し立てることなど出来ず、またできたとしても、「六!やめておいたほうがいいよ」という彼女の思いが聞こえそうで、黙ってその場を去ることにした。

       
 
 強烈な香りが私の鼻孔を襲ったのはそのときであった。
 折から咲き始めた金木犀の香りであった。
 そのとき、私は思い出していた。気丈な彼女が私の胸で体を震わせてオイオイ泣いたことがあったのを。
 引き返して棺の中の彼女を抱きしめてやりたい思いに駆られた。

 彼女は強い女だと言われそれを演じきってきた。
 彼女はしたたかで気が利く女だと言われそれを踏み外さないできた。
 そうした彼女も、赤子のようにオイオイ泣くもう一人の彼女と同居していたのだ。

 私はその双方の彼女と別れた。
 葬儀場の寺の一角にあった馥郁たる香を放つ金木犀の木に、まるで彼女の卒塔婆であるかのように合掌をしながら。

 「金木犀忌」というのが誰かの忌ですでにあるのかも知れない。
 しかし、私にとっての「金木犀忌」はまさに彼女の命日である、

 彼女との約束で果たせていなことがある。私が谷あいの地で、暮れゆく陽に向かって即興のトランペットを吹くという約束である。
 もはや聞く人はいない。でも試みてみたい。
 トランペットは無理だとしてもフルートは音階だけは習った。
 簡単な曲ならたどたどしく吹けるかも知れない。
 それがダメなら、今池のウィーン少年合唱団と言われる私が自らの声で歌うことだ。

 クストリッファの映画のように、今こそ恩讐を越えて歌うべきなのだ。
コメント
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