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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

な~んでもない日記(いつもそうだけど)

2014-02-17 01:11:03 | 音楽を聴く
 各地の雪の影響はかなり深刻なようだが、TVも新聞もニュースは五輪中心、バリ島の7人行方不明の扱いも小さい。ニュース「バリュー」というのは誰にとってのバリューなのかをしばし考える。

           

 ず~っと蕾のままだった水仙が、雪解けとともにやっと花開いた。
 ほかではとっくに花をつけているのに、うちのはやはり私に似て慎ましい性格なのだろう。

 午後から名古屋へ。
 名古屋外国語大学の学長、亀山郁夫氏の「ショスタコーヴィチとスターリン」に関する講演を聞く。
 かつて左翼少年であった高校生の頃、「五番・革命」を聴き感動したのだが、1960年前後に、ソ連がもう一つの抑圧の体制にほかならないことを知って以来、ショスタコもそれに仕えたのだと思い少し敬遠していた。
 しかしやがて、ソ連崩壊後に、彼の新しい側面についての情報がいろいろ入って来始めて以降、また時々聴くようになった。

              
                  黄昏の名古屋TV塔
 
 政治的評価に左右されて聴いたり聴かなかったりするという態度はあまり良くないと反省している。これでは、「全聾の作曲家」という付加価値をもってゴーストライター付きの「音楽家」を持ち上げた人たちを批判することはできない。

 講演は、「抑圧ー被抑圧」という関係にとどまらず、その両者の間にあったアンビバレンツな側面を、とりわけショスタコーヴィチの実際の曲の構成やそのディティールを例証に語ったもので、面白かった。

           

 懇親会に出たが、終了後おとなしく真っ直ぐに帰った。
 最後の写真は名古屋駅での表示。
 20:00の列車に乗った。

 

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3 コメント

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Unknown (只今)
2014-02-17 11:33:05
3・ 11直後の六月八日、
 N響は〈ショスタコーヴィツチ第五)。
 監督は、チャイコフスキー・コンクール(1962)で優勝したアシュケナージ。
 彼はそのときの審査委員長であったショスタコーヴイッチの曲を「いつ逮捕されるかもしれない日々の中で創られた曲には張り詰めた悲劇がみなぎっています」
と評しました。
 第四楽章にカルメンのカバネラが登場しますが
 これは、「皆さん気おつけてください」
 と人々に訴えた楽章と解されていますが、
 親友にこんな言をショスタコーヴイッチは洩らしています。
 「私はいろいろのドキュメントに党員として署名していますが、私の真意は全て楽譜に込めています」
 この言を〈卑怯〉と云う人もいますが……。

 以上、ショスタコーヴイッチと戦前の中野重治に親和を寄せるゆえの「知ったかぶり」をお許しあれ。
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Unknown (六文錢)
2014-02-17 16:55:24
>只今さん
 ハバネラの「恋は気まぐれ、お気をつけなさい」ですね。ほかにも、この五番、なぜ第三楽章が葬送行進曲なのかや、第4楽章の終わりの大太鼓の八連打は棺に釘を打つ音ではと言われているようです。ロシアの棺の釘は八箇所打つことになっているというのがその根拠です。
 しかし、今となってはその根拠はわかりません。

 抑圧体制の中で表現者たちは、抵抗を貫き死に至るか、転向するか、あるいは面従腹背で危ういポジションを生きるかしかないのですが、ショスタコーヴィチがその最後の部類であったことは事実でしょう。
 
 ただしこれも、いわばスターリンと共存しながら反抗するというアンビバレンツな関係で、抵抗した死者たち(マヤコフスキーやメイエルホリド)に対してはある種の負い目をもたざるを得なかったと思います。
 したがって、ショスタコーヴィチの白鳥の歌は、ドストエフスキーの「悪霊」の中で革命家たちに惨殺されるレビャートキン大尉の詩に歌詞をつけたものになったのだというのが亀山氏の説です。
 短い曲ですが、バスが重々しく歌う中にどこか悲痛なものがあります。
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Unknown (只今)
2014-02-17 18:13:33
 花田清輝は中野重治について、
「中野重治は、わたしの創造をはるかに上廻る〈ぐにゃぐにゃ〉の抵抗者で、わたしのそれなぞは……」。
 
 杉浦明平さんは、この〈ぐにゃぐにゃ〉を「細工が多すぎる」と中野重治批判をしていますが、
 だからか、明平さんの書斎に積み上げられていたレコードのにはシヨスタコーヴイッチは見当たらなかった、と誰かが言っていたような…。
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