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田母神票の年代分布と「戦後レジーム」について

2014-02-19 02:36:55 | インポート
 もはやいささか旧聞に属するのですが、都知事選での田母神陣営の票の伸びが予想以上で気になったので、その投票者の年代別分布を調べてみました。
 若年層に支持者が多いとは聞いていましたが、実際に数字に当たるとまさにその通りで、他の有力候補者との違いがくっきり見えてきますし、それ以上に見えてくるものもあるようです。

           

 上位4人の候補の年代別投票比率をみてみましょう。
 それぞれ、氏名 20代 30代 40代とその合計 そしてそれ以上年代の比率です。

  舛添氏    3.5% 10.9%  15.4% =29.8%   70.2%
  宇都宮氏   3.8% 13.5% 16.1%  =33.4%   66.6%
  細川氏    2.4% 13.0% 15.5%  =30.9%   69.1%
  田母神氏   10.5% 20.7% 27.5%  =58.7%   41.3%

 その差異は歴然としていますね。田母神氏が20代から得た得票比率は他の候補者の3倍以上になります。
 そして30代、40代も他の候補者のダブルスコアに近い比率で、結果として20、30、40代からの得票についていえば、他の候補が30%近くなのに対し、田母神氏は実に60%近くを占めています。

 舛添、宇都宮、細川の各氏がその保革や立ち位置の違いにもかかわらず共通した世代的な支持分布をもっているのに対し、田母神氏が著しく異なるということなのですが、ここにひとつの日本戦後史の亀裂のようなものがあるように思えるのです。
 その亀裂とは何でしょうか。

 安倍首相はその目指すところとして、よく、「戦後レジームからの脱却」を強調します。そしてこの「戦後レジーム」とは、現行憲法を枠組みとした主権在民、平和主義に基づく行政、外交、教育などなどを指すことは明らかで、したがって安倍氏も、「憲法改正」をもって「戦後レジームからの脱却」のひとつの目安としています。
 突然、安倍氏を引き合いに出したのは、実はこの「戦後レジームからの脱却」は氏の主観的な努力目標であると同時に、すでに始まりつつある客観的な出来事ではないかと思ったからです。

 私やそれより少し上の人たち、逆に少し下の団塊の世代を含んだ年齢層を仮に戦後第一次世代としましょう。ようするに、現行憲法が新たなルールとして確定した時代に自己形成をしてきた人たちです。政治的出来事としては60年安保や70年安保を担った世代です。ただし、ここでいおうとするのは、当時の左翼とか、安保反対を叫んだ人とかというのみではなく、安保改定に賛成した人や当時から憲法改正に傾いていた人たちをも含んだこれら世代全体のことです。

           

 この人たちには、保革さまざまな違いはあっても、もっと大きな範囲での社会的合意(コンセンサス)のうちにあったように思うのです。例えば戦争に対する忌避の感度の問題、あるいは、他者に対するある程度ヒューマンな眼差し(というか人権上の配慮)などがあったように思うのです。後者については異論もあるでしょうからいい添えますが、「他者への思いやり」とか「差異の承認」とかは現在のほうが言葉としてはいわれる機会が多いかもしれません。しかしそれらは、自分の仲間内での「絆」にすぎなく、その同じ口が仲間以外に対しては「死ね」とか「殺せ」を言い立てることがあるのです。
 したがって、最近のように「みんな違っていいんだよ」という社会の成り立ちとしては当たり前のことが、なにか特別の発見であるかのようにあえて言われなければならないことこそが異常だともいえるのです。

 いいたいことは、戦後一次世代にあったおおまかなコンセンサスが、その後の過程のなかで成立しなくなってきたのではということです。その後の過程というのは、戦後の第二次世代が自己形成をした1980年から90年、そしてそれ以降についてです。
 1980年代、日本は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と自他共に誇るほどの経済成長を遂げます。日本の資本がアメリカの企業を買収したり、不動産を買い取ったりし、アメリカでは貿易摩擦を始めとする反日運動すらが起こったのもこの頃です。
 
 世界情勢も大きく変わりました。社会主義圏の崩壊です。
 いわゆる冷戦体制もまた、保革両陣営ともに抱いていた戦後レジームの背景でした。
 それにつれて、国内のいわゆる55年体制=自・社を両極としたせめぎあいという、これまた保革ともに前提としていたレジームが崩壊します。
 この時期、私の記憶にあるのは、東大、京大でともに政党支持率の一位が自民党になったというニュースでした。

           

 繰り返しますが、戦後の第二次世代というのはこうしたなかで自己形成をしてきた人たちです。
 ですから、そこで形成されたものは、第一次世代が漠然とではあっても保革ともにもっていたある種のコンセンサスとは異なるものではないかと思うのです。あるいはそれを、極めてドライな新自由主義的世界観の増進といってもいいかもしれません。その意味では、最近の自民党そのものがもはやかつての「保守政党」ではないともいえるように思います。

 安倍氏が憲法改正でもってひとつの目安としようという「戦後レジームからの脱却」は、現実に着々と進行しつつあるのではというのがこの論考の出発点でした。そして、そうした新しいレジームが行き着いた先のひとつが田母神氏の得票とその年代別得票率の著しい特徴ではないでしょうか。
 
 ところで、「戦後レジームからの脱却」というのは安倍氏(や田母神氏)の背負ったイデオロギーや展望はともかく、すでにみたように、戦後第二次世代にとってはもはやそうした「戦後レジーム」そのものが無効になっているとしたら、私のような戦後第一次世代など、「戦後レジーム」に一定の価値を見出してきた人たちはそれにどう対応すべきなのでしょうか。
 もちろん私がそれに対する回答を持ち合わせているわけではないのですが、安倍氏などのいう「戦後レジームからの脱却」が彼らのこれからの課題というより、すでに着々と進行しつつある事態を踏まえた制度的な完成(その頂点としての改憲)を目指すものであるとしたら、その方向に危険性を感じる人たちはやはり新たな布陣を迫られているのではないでしょうか。

 思えば、民主党政権の成立とその崩壊は、すでに内実は壊れてしまっていた戦後レジームの最後の徒花だったのかもしれません。そして、その政権が瓦解して以来、そうした見せ掛けのレジームすら残る余地がなくなり、そのポスト・レジームがその全貌を見せ始めたのだといえます。 

           

 昨年末、私などの感覚からいえば完全な右翼団体である「勝兵塾」というところの月例会の記録を読みました。例の田母神氏を始め「真の近現代史観」という論文(いわゆる歴史修正主義です)を書いている慶応大学の教授やその教え子と思しき慶応の女学生などが講師として威勢のいい花火を揚げているのですが、その塾長にして最高顧問の元谷外志雄氏の締めの挨拶が象徴的でした。
 
 「左翼は戦後68年かけて様々なところに食い込んで、いつの間にかこういう国になった。5年前に田母神論文騒動がなければ、日本はどうなっていたかと感じ る。日本は良い国だったという論文を書いたら政府見解に反するとして航空幕僚長を解任されるなどということは、世界中を見渡しても今の日本以外ではあり得 ないことだ。世界78カ国を訪れその国の有力者とディベートをすれば、日本は今も昔も素晴らしいと賞賛される。それが日本の中にいると日本が悪い国だった と思ってしまう。本当のことを知れば保守になる。私は右も左も関係なく、『本当はどうなのか』を求めていく会として『勝兵塾』を開催している。田母神論文 をきっかけに日本は覚醒した。教育やメディアの改革も大事であるが、左翼が68年かけて今の日本を創ってきたのだから、これを変えていくのには時間がかか るだろう。だから『Apple Town』や勝兵塾、懸賞論文、夕刊フジの連載などと通じてより多くの人に広げていくことで大きな流れを起こしていきたいと考えている。ある程度の線を超 えると一気に加速していくだろう。この5年間でも世の中が大きく変わったと感じている。

 ここには、その賛否はともかく、事実が含まれているように思います。
 当初は、「トンデモ文書」だと思われた田母神論文が次第にその波紋を広げ、結果として都知事選であれほどの票数を、しかも、冒頭に述べたような若い年齢層を中心に獲得したということにそれは如実に示されています。
 「トンデモ文書」がそれなりの地位を得、かつてなら泡沫であった候補があれだけの票を獲得するという事実は、政治的な平衡点も大きく右へと移りつつあることを示しています。だから、一昔前なら極右に近い元谷氏も上に引用したもののなかで「私は右も左も関係なく」としれっとしていえるのです。
 そうした右寄りのシフトチェンジは、政権党の自民党がもはや「保守政党」ですらないこと、労働組合の集合体である「連合」が完全に支配機構の一端であることを舛添支持で改めて明らかにしたこと、などなどにもみられます。

           

 こうした状況に対し、「左翼」やそれへの抵抗を主張する人たちは相変わらず「正義」や「真理」を主張し、政治的に敗れてもそれを主張し得たことに自己満足を覚えているかのようです。しかも、そうした空疎な「正義」や「真理」がまさに戦後レジームの病巣として受け止められていることにはほとんど無自覚です。

 ネット選挙の時代だといわれています。しかし、それをもっとも有効に活用したのが田母神陣営でした。彼らはまさに蜘蛛の巣のネットのごとくその支持者をつなぎ組織してゆきました。田母神陣営がマスメディアの予測や世論調査を上回って票を重ねたのはそうしたせいだと思います。

 何がいいたいかというと、「戦後レジーム」の解体はすでにして着々と進行しつつあるということです。
 それに抵抗する人たちは、安倍氏のその提言を虚妄なものだとして冷笑でもって扱うのですが、上にみたようにそれらは現実に進行しつつある事態なのです。

 かといって私は、「戦後レジーム」を改めて掲げろというわけではありません。むしろ、それからの脱却を安倍氏や田母神氏とは違ったベクトルで考えるべきだろうと思うのです。
 「戦後レジーム」を批判する安倍氏や田母神氏などは、それが桎梏となって日本の国威が発揚されなかったといいます。
 私は逆に、「戦後レジーム」への無批判的な安住こそが今日を招いたのだと思います。
 その意味では、加藤典洋氏などの認識と共通する部分があるかとも思います。

 もちろん私には、具体的な指針を示すことなどはできません。
 ただ、私が自己形成をしてきた「戦後」という時代を、そしてそこで生きた私自身を批判的に振り返りながら、安倍氏や田母神氏とは違ったイメージでそのレジームを葬る方策を考えるしかないと思っています。


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6 コメント

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Unknown (杳子)
2014-02-19 08:20:53
朝刊の「是非もの」記事だけ拾い読みしたあと、こちらのブログ記事を拝見し、そのシンクロに驚きました。
朝日新聞「文化」欄の「『反知性主義』への警鐘 」です。

「反知性主義」とは、「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」であり、「新しい知見や他者との関係性を直視しながら自身と世界を見直していく作業を拒み、『自分に都合のよい物語』の中に閉じこもる姿勢」をさし、この言葉が昨今の「論壇」で、しばしば取り上げられているというのです。それは当然、こちらのブログで問題にされている「田母神現象」をはじめとする幾多の動きを念頭においているわけですが、その議論自体が新聞の「文化欄」だの「論壇」だのという言葉のなかに包摂されているところに、さらなる問題がかくされているようにも思えます。
ともあれ、その「反知性主義」において「とりわけ問題になるのは、その物語を使う者がときに『他者へ何らかの行動を強要する』から」であって、「反知性主義に対抗する連帯の最後の足場になる価値」は、「誰かが自分に都合の良い物語を抱くこと自体は認めるが、それを他者に強要しようとする行為には反対する」という「リベラリズム」であるというのが、この記事の結論です。

田母神的なムーヴメントに対抗する具体的な「処方箋」を提示するに至らずとも、とりあえずこの「自由」を守るという一点では、できるだけ多くの非「田母神的」な人々は共闘しなければならない。すべてはそれができるかどうかにかかっているような気がします。
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Unknown (Tです。)
2014-02-19 09:23:07
ちょっと話は飛びますが、トルコへの原発や戦車の販売、武器の輸出などが安部政権で進められていますが、安部さんの兄は三菱商事の重役のようですね。現在のエルドアンさんと安部さんの関係から生まれる未来が具体的に気になっています。
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Unknown (只今)
2014-02-19 12:04:02
 安倍氏、田母神氏の言辞を上品に言えば
「日本人であることを卑下しない」?
 歴代ドイツの大統領は、ホローコスト前にひざまずきますが、これは卑下ではなくドイツの廉潔さを示すものと受け取られています。
 同様に一見、「日本人であることを卑下」するかにみられ、時に批判もみられましたが、同様の経験をした小生がヒューマニーあふれた作品としてたいせつにしている詩があります。紹介させてください。

=大森区馬込四の三〇/大森区馬込四の三〇
 おれは二度も三度も腕章をはめた大人に答えた
  迷い子のおれ
 夕日が消える少し前に/坂の下から斜めに
 リイ君 がのぼってきた/おれは上から降りてった
 ほそい目ではずかしそうに笑うから
 おれはリイ君好きだった
 リイ君おれ好きだったか
 
 夕日が消えたたそがれのなかで
 おれたちは帆前船や雪の降らない南洋の話した
 そしたらみんなが走ってきて
 綿アメのように集まって 飛行機みたいに叫んだ
  くさい くさい チョウセンくさい
 おれすぐ リイ君から離れて 
 口ぱくぱくさせて 叫ぶふりした
  くさい くさい チョウセンくさい
 
 それを思い出すたびに 
 おれは夜中の餃子屋に駆け込んで 
 なるたけいっぱいニンニク詰め込んでもらって
 食べちまうんだ
 二皿でも三皿でも!=

 この作者は岩田宏。先日「読売文学賞」を受賞した小笠原豊樹氏です。八十歳。
 

   
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Unknown (六文錢)
2014-02-21 03:46:53
>杳子さん
 私もその記事読みました。
 ある意味では誰しも「自分に都合のいい物語」をもってしまうのですが、それを復数のパースペクティヴのなかのひとつとする自覚をもたず、それを即普遍性であるかのように強要するところに田母神―安倍ラインの反リベラリズムがあるように思います。
 ただし、そうした言い切りが、「決められる政治」としてある種の快感をもって受け入れられるところに危険性があるように思います。
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Unknown (六文錢)
2014-02-21 03:56:40
>只今さん
 岩田宏の詩は他のものを読んだ記憶はありますが、それが知りませんでした。氏の年齢からするとほぼ実体験といっていいでしょうね。
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Unknown (六文錢)
2014-02-21 04:04:10
>Tさん
 中東地区への武器ないしは将来核兵器に転化しうるものを売り込みは危険ですね。
 貴兄の死海に関するプロジェクトの構想も、その地区の安定を前提とし、かつ、その平和と安定を目指すものだと理解しています。
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