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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

田園将に蕪れなんとす@茜部界隈=私の散歩道

2019-09-21 01:19:42 | 写真とおしゃべり
 行きつけのクリニックへ薬をもらいに出かけたついでに、ここ二、三日ほとんど歩いていないことにかんがみ、少し遠回りして帰ることにする。
 いわゆる「ついで散歩」だ。私の場合、わざわざ散歩に出たり、歩くために歩くということをする習慣がないので、いつもそんな調子だ。

 前々から書いているので、また蒸し返しかと思われる向きも多かろうが、最近、かつての休耕田とは違い、明らかに耕作放棄と思われる田畑が目立つのだ。
 理由はいろいろあるだろう。耕作者の高齢化、あるいは死亡、そして後継者の途絶。

         
 そのうちの一つが、私が長年ウオッチングをしてきた田んぼで、今年1月にオーナーが急逝して以来、耕作がストップしている。最初の写真の田がそれで、昨秋刈られた切り株から出たヒコバエが、他の田んぼの稲同様に穂をつけているのが憐れだ。
 「主(あるじ)なしとて秋な忘れそ」といったところか。

         
 この人の所有に係るものに、あまり広くないレンコン畑がある。蓮の花が咲き、レンコンも収穫されていた。
 それが二番目の写真であるが、ここは今後どうなるのだろう。

         
 三番めの写真は、この人の使っていたユンボ(油圧ショベル)である。その屋敷内に放置され雑草に埋もれようとしている。
 もっともこのユンボ、相当の年代物で、この人が亡くなる何年か前からもう稼働していなかったと思う。

            
 四番目の写真は、亡くなった人とは関連しないかもしれないが、つい二、三年前まで、きれいに耕された畝に、何種類かの季節の野菜類が絶えなかった立派な畑であった。
 そのなかには、仏花にするのだろうか、四季折々の花々を育てるコーナーもあり、さらにその端には、高さは二メートルを越え、花の直径は三〇センチを越えるひまわりが数本並んで立ち、ゴージャスさと端正さを同時にかもしだす空間だった。

 それが今はこのありさま。かつて、お花畑のあった辺りに、生き残った百日草が、「私はここよ」と叫んでいるようで、なんだか痛ましい。

 都市化の波がひたひたと押し寄せる地方都市の郊外、こうした情景は必然というべきで、私のような叙述は薄っぺらな感傷でしかないことは十分承知している。
 しかし、風景は歴史であり、経済であり、政治であり、次代に渡すべき資産でもある。
 だとするならば、私が八〇年前、この世に生を受け、先人から受け取った風景を、いま私たちが眼前にしているようなものとして次代へ引き渡すことは、後世、どう評価されるのだろうか。

            
 原発事故に関して、東電の幹部たちは無罪だという。ようするに、誰も責任を取らないような事態が認められたことになる。法的な展開が今後どうなるかはわからない。
 ただし私たちは、原子力をはじめて兵器に使い、転じて発電に使用し、その影響や効力を享受した世代として、あの福島の膨大な汚染水、膨大な汚染物質が累々として立ち並ぶ風景に、一人ひとりが責任をもっているのではないかと思うのだ。
         
         
 風景とは、そこへと私が生み出され、そこで過ごし、その過ごし方の痕跡をとどめて、次代へ引き渡すものであろう。

 最後の二枚の写真は、話題がシリアスになりすぎたのを軌道修正するためのもの。
 最初は、私の頭ほどもあるでかい柑橘類の実。そして最後は、岐阜の地産米「ハツシモ」の現状。稲刈りまで、あと三週間ほどか。

 





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