六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「高原の歌」・・・どれだけ知っていますか?

2012-10-27 17:40:22 | よしなしごと
 私のように平地に這いつくばって生きていると、高原というのはなにがしかの憧憬やロマンとともに思い起こされる言葉です。
 そこには特別な空気が佇み、特別は時間が流れ、そして特別な人たちがいる・・・、この歳になってもふとそんな感じを抱いてしまうのです。

 しかし、どうもそれは私ばかりではなく、主に都会住まいの人たちにも共通した思いがあるようで、いわゆる歌謡曲の中でも、雨や霧や北というほどの頻度ではないにしろ高原と名のつくものがいくつか出てきます。
 ざっと検索して以下のようなものを見つけました。

 

 しかし、しかしです。以下は新しい順に並べてみたのですが、その最新のものが1955年(昭和30年)とは・・・・、やはり高原への憧憬は私のような古い人間にみられる年代的な現象なのかも知れません。
 そしてこの4っつの歌、はじめの3っつについては、つっかえながらでもカラオケで歌えてしまうのです。
 さすがに最後の戦前の歌(「高原の旅愁」1940年)は歌えるところまで行きませんが、その唄があったことは知っていますし、そして聴いてみるとやはり聴き覚えがあるのです。

 4曲のうち、3っつはどこか悲恋や哀愁を思わせるのですが「高原列車は行く」(1954年)は底抜けに明るい歌です。そしてこの唄は、その後数年してはやり始めた歌声喫茶のお決まりのレパートリーでもありました。
 サヨク気取りの若い男女が、ロシア民謡などとともにこれらの「健全な」歌を歌ったのです。
 やがてそれらも、迫り来る60年安保の荒波の中でいろいろな曲折を経ることになるのですが・・・。

 写真はそうした古~いお話とは関係なく、21世紀の、今年の高原風景です。

 

?高原の宿
作詞:高橋掬太郎、作曲・唄:林 伊佐緒
 1955年(昭和30年)

1 都おもえば日暮の星も?  胸にしみるよ眼にしみる?  ああ高原の旅に来て?  
  一人しみじみ 一人しみじみ?  君呼ぶこころ
2 風にもだえて夜露に濡れて?  丘のりんどう何なげく?  ああ高原の宿にみる?  
  夢ははるかよ 夢ははるかよ?  おもかげ恋し
3 昏(く)れる山脈(やまなみ)哀しく遠く?  涙うかぶよ旅の身は?  
  ああ高原の 夜となれば ?  
  ともすランプも ともすランプも?  せつないこころ
 
?高原列車は行く
【作詞】丘 灯至夫【作曲】古関 裕而 【唄】岡本敦郎
  1954年(昭和29年) 
 
1.汽車の窓からハンケチ振れば?  牧場の乙女が花束なげる?  明るい青空 白樺林?   山越え谷越え はるばると?  ララ・・ ララ・・・・・・・?  
  高原列車は ララ・・・ 行くよ??
2.みどりの谷間に山百合ゆれて?  歌声ひびくよ観光バスよ?  君らの泊まりも 
  いで湯の宿か?  山越え谷越え はるばると?  ララ・・ ララ・・・・・・・? 
  高原列車は ララ・・・ 行くよ??
3.峠を越えれば夢みるような?  五色のみずうみ飛び交う小鳥?  汽笛も二人の 
  幸せうたう?  山越え谷越え はるばると?  ララ・・ ララ・・・・・・・? 
  高原列車は ララ・・・ 行くよ

 

?高原の駅よさようなら
作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一、唄:小畑 実
 1951年(昭和26年)

1 しばし別れの夜汽車の窓よ?  云わず語らずに心とこころ?  
  またの逢う日を目と目で誓い?  涙見せずにさようなら
2 旅のおひとと恨までおくれ?  二人抱(いだ)いて眺めた月を?  
  離れはなれて相呼ぶ夜は?  男涙でくもらせる
3 わかりましたわ わかってくれた?  あとは云うまい聞かずにおくれ?  
  想い切なく手に手をとれば?  笛がひびくよ 高原の駅

 

?高原の旅愁
作詞:関沢潤一郎、作曲:八洲秀章、唄:伊藤久男
 1940年(昭和15年)

1 むかしの夢の 懐かしく?  訪ね来たりし 信濃路の?  
  山よ小川よ また森よ?  姿むかしの ままなれど?  
  なぜにかの君 影もなし??
2 乙女の胸に 忍び寄る?  啼(な)いて淋しき 閑古鳥(かんこどり)? 
  君の声かと 立ち寄れば?  消えて冷たく 岩蔭に?  
  清水ほろほろ 湧くばかり??
3 過ぎにし夢と 思いつつ?  山路下れば さやさやと?  
  峠吹き来る 山の風?  胸に優しく 懐かしく?  
  明日の希望を 囁(ささや)くよ

   http://www.youtube.com/watch?v=LNA6tsK9JmI&feature=related




コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国山西省での日本軍 | トップ | 戦禍から蘇った岐阜駅の思い... »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (杳子)
2012-10-27 20:45:26
私はここにあがっている歌はどれも知りません。
その他、高原の歌でぱっと思い浮かぶのもありません。

高原というと、「サナトリウム」を連想し、「サナトリウム」といえば、高校時代に好きだった福永武彦の小説を思い出します。
でもじっさいの高原に行ったことはあまりないのです・・・
返信する
Unknown (只今)
2012-10-27 21:06:03
 もくの会から白馬高原に行った十年前、乗車した大糸線を、“これって高原電車って言うのかねぇ”と言ったのは故M、I。
 このM、IとI、R子さんはロープウエイに乗らずに登ることを選んで、私たちを心配させた。
 やっと着いた彼と彼女に「高原列車の歌でも唄ってきたの?」と冷やかすと、M、I曰く
「行き交う人から、仲のいいご夫婦で良いですね、と言われ、えぇ、まぁとか、答えてそれどころじゃなかった」。
返信する
Unknown (六文錢)
2012-10-27 22:25:21
>杳子さん
 お若いのに高原→サナトリウムの連想ですか。
 
 かつて結核が不治とまではいわなくとも人の運命を左右していた時代、サナトリウムを舞台とした小説や詩がいくつも生まれています。文学には「結核文学」というジャンルがあったようです。
 日本では『春は馬車に乗って』(横光利一)、『風立ちぬ』『菜穂子』(堀辰雄)、『草の花』(福永武彦)など、外国では『魔の山』(トーマス・マン)といった作品がそれですが、私は全部読んだわけではありませんし、読んだものでも忘れています。

 上に掲げた歌でも「高原の駅よさようなら」が映画化された際、結核療養に高原のサナトリウムに来た青年と、そこで働いていた看護婦さんとの恋物語というシチュエーションだったようです。
返信する
Unknown (六文錢)
2012-10-27 23:31:22
>只今さん
 M・I さんらしいエピソードですね。
 でもそうしたことも含めていろいろ人生の妙味を貪欲に味わってきた方ですね。早すぎる旅立ちでしたが、そうしてそれぞれの時間を目一杯生きてこられたことがせめてもの救いのように思います。
返信する
Unknown (naja)
2012-10-30 17:24:37
同世代の私には歌い手の小畑実、岡本敦郎、伊藤久男が懐かしく感じられます。ここに藤山一郎とか近江敏郎とかが加われば・・・
 時々口ずさむのは「山小舎の灯」「夏の思い出」
そうそう、並木路子が歌う「森の水車」・・
{♪^♪^コトコトコットン^コトコトコットン^♪
ファミレドシドレミファ~♪}・・
 さわやかな高原の空気が感じられます~~
返信する
Unknown (六文錢)
2012-10-31 14:47:26
>naja さん
 やはりそのへんに思いが至るというのはご同輩ですね。
 昨夜、高校時代の文系サークルでいっしょだった連中で飲み、久々のカラオケに。
 そこでなんと六〇年ぶりに「高原の駅よさようなら」を歌いました。
 思えばこの歌、シベリアへ抑留されて(それ自体確実ではない)生死不明の父の帰還を待ちながら、内職に疲れた母の肩を叩きながら歌った歌なのです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。