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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

人間は死後どうなるのか?

2023-06-24 11:50:28 | よしなしごと

 別にちょっとした病にひっかかっているからといって考えたことではない。
 また、「六道輪廻」とか「最後の審判」とかいった形而上学的問いに答えようとするわけではない。
 話は魂や精神といった目に見えないものについてではなく、その肉体の処理に関してである。

 なぜそんなことを考えたかというと、最近、65年間付き合いのあった女性の葬儀に出たからである。彼女の頬は冷たかった。基本、家族葬だったから火葬場まで行って失礼したが、炉のなかで高温に燃え盛る炎に焼かれる彼女の姿が思い浮かび、振り返ったが、別に煙のようなものは見えなかった。

 小津の『東京物語』では、平吉の妻の葬儀の後、火葬場の煙突から出る煙を撮したシーンがあったあったと思うが、その頃に比べて、焼く技術も格段の進歩をしてるのだろう。
 ただし、最初にその映画を観た時、「へ~、尾道は火葬なんだ」と思ったことを覚えている。

 というのは、私が戦時の縁故疎開で1944~50年まで過ごした大垣郊外の母方の実家では、土葬だったからである。母方の親族、祖父や祖母などの葬儀は自宅で行われ、その後、その遺骸は御勝山という海抜100mに満たない山の中腹にある墓地に埋められた。

 この御勝山というのは、かの関ヶ原の合戦において、徳川家康がその本陣をここに敷き、もって勝利を挙げたことによって名付けられた山である。この山より以南は、西濃の田園地帯が広がる眺望のいい場所にその墓地はあった。
 一家族あたりの墓地の面積は決まっているから、代々、そこに埋めてゆくと、どういうことが起こるかというと、先人たちの遺骨が出てくるのである。掘るのは集落の人たちだから、先代などの事情も知っていて、「ああ、これは〇〇さんのお骨だ」と納得し、それらに対しては酒などをかけ、別途追悼の経が挙げられ、また埋め戻されたりした。

 では父方の実家ではどうであったろうか。
 福井県は九頭竜川の九頭竜ダムの下へ流れ込む支流、石徹白川沿いにある全部で20戸足らずの集落のそれは、やはり自宅での葬儀の後、火葬に付された。ただし、火葬といっても、墓地の一角にあるそれほど高くないレンガ積みの方形の場所に、棺桶を置き、周りに薪を積み上げて火を放つというなんとも原始的な野焼きのスタイルであった。
 ただし、私が目撃したのは昭和の御代であったから、補助手段として燃えやすいようにガソリンなど振りまいていたが、遡れば薪のみで時間をかけての焼き上げであったと思われる。

 ガソリンを補助にしても、現在の火葬場でのように短時間では済まない。その燃える間、会葬者たちは死者の家に引き上げ、酒盛りが始まる。焼かれる段階まで来たらもう大往生ということらしい。
 ところで、父の実家はその墓地の、そして焼き場のすぐ近くだったから、酒を酌み交わしている窓からその焼き場の炎がよく見え、その熱まで伝わってきそうであった。
 その炎のもとで今まさに灰になりつつある祖父を思いながら、複雑な気持ちで盃を乾していたが、今考えると、今様の流れ作業の味気ない火葬場よりも故人を偲ぶためにもかえってそのほうが趣があったともいえる。

 現在は、大垣でも、福井の山奥でも、今様の火葬場で焼かれるようになった。とくに大垣の火葬場は、その近辺の金生山が大理石の産地とあって、それをふんだんに使った豪華な造りである。
 それが出来たばかりの頃、大垣の親戚の葬儀に父と一緒に行ったことがあって、その火葬場を見るなり父が、「俺もこんなところで焼かれたい」というので、「オイオイ、縁起でもないこというなよ」とたしなめたのだが、おそらくその時、父の頭には、実家でのあの野焼きの風景が浮かんでいたことと思う。
 その父は、岐阜の火葬場で、普通に焼かれた

    

 そんなこともあって、現在は火葬が一般的になって、もはや土葬は圧倒的に少数だろうと思ったが、その実情を調べてみて驚いた。いまや、土葬が可能なのは、北海道、宮城県、栃木県、高知県、山梨県の5地方と、離島など伝統的なそれが認められているところに限定されているのである。
 これでみるとわかるように、北陸、東海、関西、中国、九州地方では土葬が不可能なのである。

 まあ、それはそれでいいではないかということかもしれないが、実は一部の人にとっては大問題なのである。というのは、遺体をどう遇するかは、その死生観、宗教的教義が深く関わっているからだ。
 例えば、イスラム教やユダヤ教においては死後復活の教義をもち、聖地メッカに頭を向けて土葬すると厳格に定められているという。日本にもそれらの人たちが増えつつあるなか、これは大変な問題だが、地方自治体などで近年、特別措置がとられつつあるようだ。

 では、キリスト教はどうかというと、やはり復活の教義をもち、伝統的には土葬なのだが、近年では火葬への抵抗も薄れつつあるという。しかし、私たちが観る欧米の映画では、圧倒的に土葬のシーンが多いのも事実である。そこで調べてみたら、火葬は、イギリスでは約70%、アメリカでは約20%だということである。
 他に、風葬、水葬、鳥葬、宇宙葬なんてのもあるようだが、きりがないので、この辺にしておく。

 さて、私はどうなるのだろうか。若い頃は、極上のウィスキーと睡眠薬を抱え込んで雪深い深山の懐で人知れず逝きたい、そして降り積もる雪の下で永久に人の目に触れたくないなどと考えたことがあるが、今はもう、それほどの覇気もない。


 写真はゴッホと彼を支えた弟テオ(テオドルス)の墓


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