前回、土葬や火葬に付いて触れたが、そういえば一番最近みた土葬は12年前だったことを思い出した。
ときは2011年秋、当時中国山西省の賀家湾村に住んでいたOさんを訪れた折のことであった。省都太原市から直線距離で200キロ、実際には途中から山道をくねくね登るから、かなりの距離だった。
初めて見るヤオトン(横穴式住居)の集落は全戸数20ほどのまったくの山村であった。
やっと村へ着いた私たちはにぎやかな楽隊の演奏によって迎えられた・・・・のではなく、たまたま村で死者が出て、その葬儀の前触れのための楽隊を先頭とした行列を目撃したのだった。葬送の行列といっても、その音楽はまったくしめやかではなく、トランペットやシンバル、銅鑼などによって賑やかに演奏されるものだった。
村を一周した楽隊と行列は、死者の家近くのちょっとした広場で、引き続き賑やかな演奏を展開し、遺族が近くに立つなか、村中の人たちがそれを取り囲んで見物するという時間が延々と続いた。どうもそれ自体が供養のセレモニーらしい。
葬儀は翌日であり、それも覗いたが、前日の楽隊ほど賑やかではないにしても、日本の葬儀に比べれば遥かに賑々しく、交わされる言葉も高音でよく響いた。
葬儀から離れた私たちは、山の畑の方へ登っていったのだが、そこで偶然、長方形の穴をほっている人を見かけた。葬儀後の埋葬のためだとは思ったが、不思議なのはそこはどうみても墓地ではなく、畑の中だったことだ。そうか、遺体は自分の畑に埋めるのかと思ったがそれも間違いで、もともと決まった墓地や墓所というものはなく、風水師が死者が出る都度、占いを立て、その埋葬場所を決めるのだそうだ。
詳しく聞いて驚いたが、それは、私が思ったように自分の土地ではなく、たとえ他人の畑や土地でも、風水師がここと決めたらその土地の所有者もそれに従うのだという。突然、自分の土地に、他者が埋葬されるわけだ。
ところで、写真で見るように、ゆうに2m以上はある穴をたった一人で掘るのは大変だろうと思われる。しかしだ、ここは黄土高原地帯、そう、あの日本へ襲来する黄砂発祥の地なのである。
ようするにここは、黄河が運んだ黄砂の堆積した山で、樹木などはなく、従って木の根っこなどは全くなく、サクサク掘れてしまう土地なのだ。そうした土質もあって、麓から山頂までびっしり段々畑に覆われているが、できる作物はとうもろこし、大豆などの限られたものである。「水は天からもらい水」で干ばつの被害も時折襲うようだ。
さてそうして風水師によって畑の所々にある墓であるが、やや大きめの土饅頭のような形で、その天辺に墓標の代わりに石などを乗せただけのものである。
写真のものはどのくらい年月が経ったものかわからないが、一見、全体が岩のように見えるものの、土饅頭が風化したのみで、やがてもっと砕け、平になってゆく。
もっと前の100年以上前ものもみたが、そう言われればやや膨らんでいるかなぁといったぐらいで、もはや墓としての痕跡はない。
ようするに、墓自体が自然の風化に任せてやがてなくなってしまうのである。
周辺の山々に設えられた畑を見回しながら、果たしてこの範囲に何人の人たちが眠っているのかを考えてしまった。
「人間至るところに靑山(死に場所)あり」は禅の教えらしいが、ついそれを思い起こしたのであった。
もっともこの地は、黄土高原の真っ只中、「黄山」でしかないのであるが・・・・。
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