鼠径ヘルニア手術から10日目、医師の診断の日。
予後の経過良好なら、今日でもって手術以来の諸制限のすべて、あるいはほとんどが解禁になるはずだった。
重いものをもったり、しゃがんだり、自転車に乗るなどの運動の禁止(車の運転はOK)、入浴の禁止(シャワーはOK)、そして飲酒の禁止など。
これらをこの10日間、まじめに守ってきた。
しかし、医師の下した判断はNO !
自分でも否定的な状況を自覚していなかったわけでない。手術痕周辺の腫れがひかないこと、当てたガーゼに時折少量だが血痕のようなものが付くこと、目視でも傷の一部が赤みがかっていること・・・・などなど。
医師の判断は、手術箇所の内部での出血がみられること、傷口が完全に癒着していないことなどで完治にはまだ遠いということ。
そしてでた判決が、上に書いたような諸制限をあと2週間、7月7日まで続けるということだった。
なんでもないような制限だが、実際に実行してみるとけっこう危うい場面がある。ふと、重いものを運ぼうとして手を引っ込めたことが何度もある。しゃがむ動作も、草むしりのような作業はできないし、なにかを床に落として拾う場合にも、しゃがまないで前屈の姿勢で行わねばならない。
飲酒についてであるが、20代で酒に馴染んで以降、たぶん最長の期間になると思う。60代前半の脳梗塞、70代後半の骨折、急性気管支炎に依る高熱(41.5度)などによる入院に際しても禁酒はしたが、せいぜい、1週間ぐらいだった。
今回は、来月7日に解禁になるにしても一ヶ月近い禁酒期間になる。
さいわい今のところ、手が震えたり、やたらイライラして人に噛みつくような禁断症状は出ていない。でも、どこか覇気が欠けてきているような気もする。
沖縄慰霊の日の死者たちへの献杯が、七夕の二人の逢瀬への祝杯に変わったわけだ。
なお、蛇足ながら沖縄は過去についての記念ではない。ヤマトンチュウによる一方的な犠牲の強要は今も続いている。辺野古の新基地強行もそうだし、近年、騒々しい敵基地先制攻撃の配備も沖縄を拠点に展開されている。
いまなお、沖縄を矢面にしてはばかることないヤマトンチュウの代表、岸田のスピーチにある「平和」という言葉は、冷え冷えとして軽く、琉球処分の今日の実行者としてのそれであった。
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