六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

旅の終わりは切なくて・・・・@フィンランドナショナル・ギャラリー・アテニウム

2019-09-06 00:40:20 | 想い出を掘り起こす
 サンクトペテルブルクとヘルシンキの旅、ぐだぐだと一ヶ月近くにわたって掲載してきたが、実際のところは一週間、実質5日間の旅だった。長々しく書いてきたのは、要点をかいつまんで述べることができない私の欠陥と、旅慣れた人にはアタリマエの事物に、オノボリさんの私にはいちいち立ち止まって感嘆していたことによる。

         
 それはさておき、いよいよ旅は最終日で、午後にはヘルシンキを離れなければならない日の午前、選択した行く先は、ヘルシンキのナショナルギャラリーともいうべき美術館、アテネウムであった。
 この美術館、ヘルシンキ中央駅の斜め前に堂々と建っていて、ヘルシンキの初回に書いたように、この街のほとんどの見どころが、80歳の私の足で到達できるという意味で、私の身の丈に合っているといったまさにっその象徴のような場所にある。

            
            

 ホテルからも徒歩で10分ぐらいだが、チェックアウトをして荷物があったこともあり、最後に名残りのトラムに乗る。
 築130年ほどだが、この堂々たる美術館は、それ自体が国定文化遺産建築に指定されている。大きな荷物はフロントで預かってくれ、手荷物はロッカーに入れて身軽になる。

            
            
 この美術館のコンセプトは、フィンランドの作品を主体にそれを時系列で見せるということで、他国の著名な作品の蒐集にはさして力を入れてはいない。後述するようにそれらも多少は散見はできるのだが。

         
         
 前半は、フィン人=スオミ人の伝統を示す作品が並び、次第に近代へと進んでゆくのだが、こうしたほとんど予備知識のない美術館の作品を観るのも新鮮でいい。ひとつひとつの作品と無垢な気持ちで対面できる。

         
         
 この美術館所蔵で、唯一、私が知っていたのは、ヒューゴ・シンベリの「傷ついた天使」であった。象徴主義といわれるこの画家の作品には、さまざまな解釈がなされているが、それらはひとまず置くとして、私にとっては、担がれてゆく傷ついた少女風の天使もだが、担いでいる後ろの少年の、まさにこの絵を観ている私に対して注がれた視線が気になって、しばしその場を立ち去りかねたのであった。

         
          上の塑像ふたつの間にあるのが「傷ついた天使」
         
 先に、この美術館、フィンランドの作品が主体だが、ほかの著名作家のものも多少はあるといったが、それらのうち、目についたものを挙げておこう。

         
 ・ゴッホ「オーヴェル=シュル=オワーズの通り」

            
 ・ゴーギャン その作品集では、「豚肉と馬のいる風景」がアテネウム所蔵となっているが、この絵は明らかにそうではない。

            
 ・モディリアーニ 「画家レオポルド・シュルヴァージュの肖像」
 
 なお、セザンヌの「エスタックの道路橋」があるとのことだったが、それは見当たらなかった。貸出中かもしれない。あるいは私の見逃しか・・・・。

            
 ひと通り見終わった感想としては、楽しい時間だった。普通、美術展ではとても疲れる私なのだが、それもなかった。きっと、普段あまり見ないようなものを野次馬根性で観るという気軽さが、肩肘の張りをなくしてくれたせいだろう。

         
         これは絵ではない 美術館のビストロで食事をする家族

 まだ出発までには時間があった。空港行のバスは、目の前の中央駅の横から出ているので、乗り遅れる心配はない。
 美術館のビストロへ入りしばしの休息。ここはけっこう人気があるらしく、美術館のヴィジターではない人もかなり多いようだ。

         
 人気は、10ユーロのバイキングらしい。しかし、それほどの食欲もない。アラカルトの軽いものに、ビールを注文。ここのシステムは、カウンターでオーダーをし、料金を払うと、小さな旗をくれる。その旗をテーブルに立てておくと、そこへオーダーしたものが届く仕掛け。ただしバイキングは、大皿を一枚くれるので、料理が並んでいるところへ行って自分で勝手に盛り付けるシステム。

 少し歩いた後のビールは心地よい。これでこの旅はお終いかと思うと、ちょっとした感傷がツンツンと私を突っつく。
 この街は、どこへ行くにも分かりやすくてよかったなぁと改めて思う。

         
 わずか2日半なのに、何度もその前を行き来したヘルシンキ中央駅前を横切りながら、西側広場へ向かうと、もう空港行のバスが待っているのだった。
 そして、セントレアへとまっしぐら。

         
 地球は狭くなったが、もう二度と来られないだろうサンクトペテルブルクも、そしてヘルシンキも、私にとっては再びはるかな夢の街、そして思い出の街へと収納されるほかはないのだ。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする