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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

フィンランドを象徴するような要塞島スオメンリンナへ

2019-09-02 02:00:43 | 歴史を考える
 フィンランドは、いまでこそ平和で国民の満足度も高い国のトップクラスに数えられるが、長年、デンマークやロシアなどの強国に支配されていて、その自治州になったりはしたものの、国として独立したのはわずか100年ほど前、ロシア革命のどさくさ紛れの1917年のことだった。

         
 しかし、その独立後も、ソ連の赤軍の侵攻によりその領土の10分の1を奪われるなど、その抑圧に苦しんだ。そのせいもあって、1941年に始まったナチスドイツ軍のサンクトペテルブルク包囲にあたっては、一時期、ドイツ軍と手を結んだこともあったが、途中でソ連と和解し、ドイツ軍の残党狩りに協力したこともあって、辛うじて敗戦国扱いから免れた。

         
 もし、あの折、第2次世界大戦の敗戦国側に位置づけられていたら、東欧諸国等と同様、ソ連の支配下に置かれたろうといわれている。
 ことほどさように、歴史のなかでもみくちゃになった経験を持つ国なのだが、その凝縮のような場所がフィンランド港から観光船で15分の海上にある、全島6島(ほとんどが橋で連結)からなるスオメンリンナ要塞跡であり、現在はその全域が世界遺産いなっている。

         
 この要塞を支配したり攻めてきた国々は多い。デンマークの支配、ロシアの支配、フィンランド湾の海上の要衝としてここを狙った大英帝国、フランス海軍などがそれである。
 先程、この要塞がフィンランドという国そのものの縮図のようだといった由縁である。

         
 ヘルシンキの中心部から、中央に帯状の公園を挟んで延びる優雅なエスプラナディ通りを東へ進むと、やがて賑やかなマーケットスクエアに至る。物売り独特の喧騒がさざめく一帯だが、その南側がヘルシンキ港の南港になり、そこからは小型の観光船、近くの島々や近郊の沿岸に至る小型の連絡船などが出ている。

         
 同じ南港でも、少し沖合の岸壁には、見上げるような豪華客船やおそらく外国航路とみられる大型フェリー、そして外洋巡りの貴婦人のようにスマートなクルーズ船などが停泊している。

         
            
 小型の観光船に乗り、15分もすればスオメンリンナ要塞跡に到着する。海上から見るヘルシンキの街も素敵だ。この南港は工業地帯などに面していないから、ここから遠望する街はほんとうにきれいだ。

         
         
 島へ近づくにつれ、いまは世界中からの観光客を招いているこの島が、実は外来者を排除するためにこそ装備された要塞であることがよく分かる。
 島のほとんどは、石垣で固められ、そこに穿たれた銃眼や狭間(さま)が、侵入者を狙撃せんものとまさに狙いをつけているかのようである。

         
         
 ここの建造物は、石垣と赤レンガが主であるが、それらが青空と海辺に映えて美しい。
 ただし、ここの石垣は、日本の城郭や砦とは基本的に異なる。というのは、日本の場合、石垣を土台としてその上に建造物が建っているのだが、ここの場合には、石垣の内側が建造物になっている。いわば建造物は、石垣の鎧をまとっているといえる。

         
         
 石垣自体の感じもいくぶん違う。
 ひとつは色合いだ。日本のそれもよく見るとそれぞれに色合いが違うのだが、全体的には灰色を中心としたモノトーンの感じが強い。
 しかしこのスオメンリンナの石垣は、その色彩がバラエティに富んでいる。とりわけ、赤や茶色の暖色系のものが混じっていて、石垣そのものがいくぶん華やいで見える。

         
         
 積み方も違う。日本の城郭のそれなどは、見事な反りを描いているが、ここのものはただ垂直に立つのみである。
 これは推測だが、先に見たように、上に建造物を乗せないため、それほどの強度を必要としないせいだと思われる。

         
         
 それにもうひとつ、私どもの地震列島と違って、北欧は世界でも地震が少ないことで有名で、したがって、それほどの強度を必要としないのだろうと思われる。
 今年の3月、スエーデンではマグニチュード3.2の地震があったということで大騒ぎになったようだが、M3ぐらいの地震は、日本では毎日どこかで起こっているもので、微小地震と小地震の間ぐらいに位置づけられている。ちなみに、2011年の東日本大震災のマグニチュードは9といわれている。

         
         
 島は、ハイキング気分で歩くには最高である。ちょっと飽きたかなという頃に、ひょいと日本では見られない大型の野鳥が、しかも人を恐れず目の前にいたり、いまの原潜からみたらオモチャのように彩色された潜水艦がぽっかり係留されていたりする。

         
         
 しかし、思わぬところに大砲が設置してあったり、銃眼が通りかかる私を狙う位置にあったりすると、やはりこの島は、ひたすら戦うために装備されたものであることを痛感するのであった。







コメント (2)
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