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「ブラック・クランズマン」(スパイク・リー監督)について思うこと

2019-04-13 00:54:38 | 映画評論
 映画、「ブラック・クランズマン」(スパイク・リー監督)を観た。
 動機としては、先般、昨年度アカデミー賞をとった「グリーンブック」を観てけっこう面白く思っていたところ、そのアカデミー賞授賞式でのスパイク・リー監督に関するエピソードを読んだからであった。

          
 それによれば、当日、彼の作品も六部門にわたってノミネートされていたこともあり会場にいたリー監督は、最優秀作が「グリーンブック」とコールされると同時に、舌打ちをして席を立ちかけたが、思い直してその場にとどまったというのだ。

       
 ようするに、自分の作品に対してそれだけの自負があったということである。それならば、「グリーンノート」のみを観て済ますのは片手落ちで、リー監督の熱い思いにも応えるべきだと思った。
 「グリーンノート」に関しては、以下の拙ブログでその感想を書いている。だから、どうしても両作品を比較しながら観ることになる。
 時代は同様1960年代の後半、ともに人種問題を題材にしている。また両者ともに、実話を題材にしているところも似ている。
 https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20190331

       
 
 以下「ブラック・クランズマン」を「BK」、「グリーンノート」を「GN」と表記する。

 さて、映画自身に戻ろう。両者ともに人種問題を対象にしているが、「GN」の方が黒人対白人の葛藤を描いているのに対し、「BK」はもう少し複雑で、ユダヤ人差別をも含み、白人たちがより攻撃的に他者を排除する、ないしはテロルの対象とする場面を描いている。
 映画の作りも、冒頭と最後に、記録された映像を取り込むなど、「BK」の方がより激越でアジテーションの要素に満ちているし、それだけに、リー監督が「GN」をやわな表現とみなした事情もわかる気がする。

       
 しかし、そうした実録的な映像に挟まれた「BK」の本編の方は、ユーモアとサスペンスに溢れた面白い作りとなっている。
 主人公は、コロラドスプリングスの警察署で、初の黒人刑事として採用されたロン・ストールワース。彼は黒人差別団体、「KKK(クー・クラックス・クラン)」への潜入捜査を試み、その渡りをつけてしまうのだが、黒人の身、自らが組織へ潜入することはできない。そこで、同僚の白人刑事フリップに協力してもらうことにし、電話での応対はロン、実際の潜入はフリップが行い2人で1人の人物を演じながら、KKKの潜入捜査を進めていく。

       
 それに先立ち、ロンは、ブラックパンサー(黒豹党)の幹部の演説会に潜入し、それを招請した女子大生の組織の委員長、パトリスに接近し、いい仲になってしまう。
 この彼女と、KKKとがある接点で関連するところに映画の山場があり、物語が終焉する。
 これらの過程をいくぶんコミカルに、しかし山場ではけっこうサスペンスに満ちたものとして描き出してゆく。

       
 この映画では、KKKの当時の最高幹部だったデビッド・デュークも登場するが、彼は、電話で接近してきた相手が黒人のロンであることを知らないまま、ロンを称賛してやまない間抜けな役どころとして登場する。ただし、本編が終わったあとに付け足された映像で、私たちはこのKKKの幹部が単なる道化師で終わらなかったことを知ることとなる。

       
 映画の最後は、冒頭同様、実写によるモンタージュのような映像で締められる。そこに登場する人物こそドナルド・トランプであり、そこで彼が叫ぶ、「アメリカ・ファースト」、「アメリカ・グレート・アゲイン」のスローガンは実は上にみたKKKの当時の最高幹部だったデビッド・デュークのスローガンのそっくりそのままの再生なのである。
 ここに至って、私たちははたと知ることになる。リー監督が描きたかったのは決して過去の「お話」ではなく、現実に今日の世界に突きつけられている問題だということを。

       
 もうひとつ付け加えるなら、これらは遠く離れたアメリカの「お話」でもないということだ。KKKのメンバーが放つヘイトスピーチは、そのまま今日のこの国で、在日の人たちや近隣諸国の人びとに向かって放たれているものと寸分異なることはないし、「南京事件はなかった」とする歴史修正は、KKKのメンバーが語る「アウシュビッツはなかった」とそのまま重なる。
 また、KKKで連想されるビリー・ホリデイが歌うところの「ストレンジ・フルーツ」の歴史は、そのまま関東大震災で殺された6,000人に及ぶ朝鮮人や社会主義者の歴史に通じるのだ。
 なお、知らない人たちのためにいっておくと、彼女の歌う「ストレンジなフルーツ」とは、KKKなどによって吊るされた黒人のことなのだ。

 https://www.youtube.com/watch?v=Web007rzSOI

 奇しくも、同様の題材を扱い、アカデミー賞を争ったた二つの映画を観たわけだが、その優劣はいうまい。
 「GN」は「BK」ほど直接に状況を語らないが、洗練された映画の文法のうちにある。その点、「BK」は感傷を排し、極めて明快で直截的なアジテーションをぶっつけて来る。

 曖昧で𠮟られるかもしれないが、私は両方共あるべき映画の姿であると思う。その意味で、両方観てよかったと思うのだ。

 
コメント
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