ベドルジフ・スメタナ(1824年3月2日 - 1884年5月12日)はチェコ国民音楽の父と言われている。
彼の時代のボヘミア(今のチェコ)は、オーストリー=ハンガリー帝国の領土内であり、独立した国家ではなかった。だから、スメタナはその独立を願いながら、音楽の面でそれを表現したといえる。
ただし、その音楽家としての評価は、チェコとそれ以外のところではいささか違うようで、彼のとりわけ若い最盛期にはチェコではオペラの作曲者として著名だった。しかし今日、例えば私が知っているのは「売られた花嫁」ぐらいである。それとても、あのテンポの早い序曲と、そのストーリーをざっくりと知っているのみで、それを通しでじっくり聴いたことはない(スメタナさん、ごめんなさい)。
私たちがスメタナといわれて想起するのは、交響詩6曲を束ねた「わが祖国」の第2曲「モルダウ」が圧倒的に多いと思う。今から60年前、大学に入学した際、入学式のアトラクションにその大学のオケが演奏してくれたのは、ベートーヴェンの「エグモント序曲」と「モルダウ」だった。
そんなこともあって、私と同級生だった連れ合いは、クラシックへの造詣はほとんどなかったが、この「モルダウ」だけは亡くなるまで好きだった。
https://www.youtube.com/watch?v=WvR1Co9rV_Y
これぞ正統派 ラファエル・クーベリック&チェコフィル
ついでにいうならば、この「わが祖国」は、「モルダウ」以外にもいい曲が揃っていて、そのラインアップは以下のとおりである。
第一曲『ヴィシェフラド』高い城
第二曲『ヴルタヴァ』モルダウ下流はエルベ川
第三曲『シャールカ』伝説の「乙女戦争』があった谷(女性が奸計をもって男性軍を滅ぼしてしまうという男にとっては怖~いお話
第四曲『ボヘミアの森と草原から』文字通り
第五曲『ターボル』南ボヘミア州の古い町
第六曲『ブラニーク』中央ボヘミア州にある山
それぞれの曲にボヘミアならでのこだわりやアウラがあるのだが、この際は省略する。
モルダウ川
スメタナの曲で、ついで有名なのは、私が今般聴いた、弦楽四重奏曲第一番、同、第二番であろう。
この哀愁と壮絶感が混じったカルテットは聴きものだと思う。とりわけ、《わが生涯より》と題された一番は、ショスタコーヴィチの第八番に似ていて、彼が自分の生涯をどのように見ていたかが垣間見られる。
ついでながら、ショスタコの八番は、スターリングラード攻防戦をめぐる音楽としては悲壮すぎるとスターリニスト官僚ジダーノフによって批判され、以後約20年にわたって演奏禁止になったいわくつきの曲である。
歌劇「売られた花嫁」楽譜表紙
いささか話が逸れたが、「わが祖国」、並びにこの二つの弦楽四重奏に共通するものは何かというとそれらは、彼の死の10年ほど前からの後期の作品であるということと、この時期、彼の耳はほとんど聞こえなくなっており、その程度はベートーヴェンの難聴を遥かに超えて、ほぼすべての音を失っていたということである。
したがってこれらの音楽は、彼の研ぎ澄まされた音の蓄積のなかから記憶によってのみ引き出され組立てられた音の構成だということになる。
もちろん、それに彼自身の後半生を迎えた感慨がたっぷりと織り込まれている。
音楽を聴く場合、そうした状況を知って聴くのと、不要な先入観を排除して音楽そのものを聴くのとどちらがどうかという論議もあろう。
私の場合は、それと知らずに聴き、ここにあるこの激情のようなものはなんだろうかと改めて伝記的なものを追跡し、改めてその音楽を聴き直した次第である。
ラファエル・クーベリックによる「わが祖国」全曲盤
もうひとつ、彼の伝記的な事実を付け加えておこう。
この「わが祖国」や二つの弦楽四重奏を作って何年も経過することことなく、彼は梅毒によって狂死したとある。先にふれた聴覚障害もまた梅毒によるものだとする説もある。
梅毒は、クリストファー・コロンブスの率いた探検隊員がアメリカ上陸時に原住民女性と交わって感染し、ヨーロッパに持ち帰った結果、以後西洋世界に蔓延したとする説がある。
そしてそれによる著名人の死者は、あまりはっきりしない風評様なものをも混じえると以下に及ぶ(順不同)。
フランツ・シューベルト ロベルト・シューマン ベドルジフ・スメタナ
アル・カポネ フリードリッヒ・ニーチェ(?) シラノ・ド・べルジュラック ギ・ド・モーパッサン
梅毒は性交渉を媒介に伝染することはよく知られているが、必ずしもそうばかりではない。これ以外にも母子感染、輸血血液を介した感染もあるり、母子感染の場合、子供は先天性梅毒となる。
20世紀の中頃、ペニシリンが普及して以後、梅毒は制御しうる病いになったが、それ以前は不治の病いであった。
しかし、必ずしも過ぎ去った話でもない。この国では2012年から16年にかけて男女間性交渉による感染が急増し、先進国のなかでは異常に高い数値を示したことがある。ただしその年齢は、男性は25~9歳、女性は20~24歳ということだから、幸いにして私は圏外だ。
スメタナの晩年の話からとんでもない脱線になってしまった。
しかし、彼の晩年の音楽は素晴らしい。「モルダウ」を含む「わが祖国」全曲、並びに、弦楽四重奏第一番、第二番はとてもいいと思う。
いや、大丈夫。その音楽を聴いたからといって、梅毒に感染することは決してない。それよりも現実のあなたの生活のほうがはるかに・・・・(以下自粛)。
彼の時代のボヘミア(今のチェコ)は、オーストリー=ハンガリー帝国の領土内であり、独立した国家ではなかった。だから、スメタナはその独立を願いながら、音楽の面でそれを表現したといえる。
ただし、その音楽家としての評価は、チェコとそれ以外のところではいささか違うようで、彼のとりわけ若い最盛期にはチェコではオペラの作曲者として著名だった。しかし今日、例えば私が知っているのは「売られた花嫁」ぐらいである。それとても、あのテンポの早い序曲と、そのストーリーをざっくりと知っているのみで、それを通しでじっくり聴いたことはない(スメタナさん、ごめんなさい)。
私たちがスメタナといわれて想起するのは、交響詩6曲を束ねた「わが祖国」の第2曲「モルダウ」が圧倒的に多いと思う。今から60年前、大学に入学した際、入学式のアトラクションにその大学のオケが演奏してくれたのは、ベートーヴェンの「エグモント序曲」と「モルダウ」だった。
そんなこともあって、私と同級生だった連れ合いは、クラシックへの造詣はほとんどなかったが、この「モルダウ」だけは亡くなるまで好きだった。
https://www.youtube.com/watch?v=WvR1Co9rV_Y
これぞ正統派 ラファエル・クーベリック&チェコフィル
ついでにいうならば、この「わが祖国」は、「モルダウ」以外にもいい曲が揃っていて、そのラインアップは以下のとおりである。
第一曲『ヴィシェフラド』高い城
第二曲『ヴルタヴァ』モルダウ下流はエルベ川
第三曲『シャールカ』伝説の「乙女戦争』があった谷(女性が奸計をもって男性軍を滅ぼしてしまうという男にとっては怖~いお話
第四曲『ボヘミアの森と草原から』文字通り
第五曲『ターボル』南ボヘミア州の古い町
第六曲『ブラニーク』中央ボヘミア州にある山
それぞれの曲にボヘミアならでのこだわりやアウラがあるのだが、この際は省略する。
モルダウ川
スメタナの曲で、ついで有名なのは、私が今般聴いた、弦楽四重奏曲第一番、同、第二番であろう。
この哀愁と壮絶感が混じったカルテットは聴きものだと思う。とりわけ、《わが生涯より》と題された一番は、ショスタコーヴィチの第八番に似ていて、彼が自分の生涯をどのように見ていたかが垣間見られる。
ついでながら、ショスタコの八番は、スターリングラード攻防戦をめぐる音楽としては悲壮すぎるとスターリニスト官僚ジダーノフによって批判され、以後約20年にわたって演奏禁止になったいわくつきの曲である。
歌劇「売られた花嫁」楽譜表紙
いささか話が逸れたが、「わが祖国」、並びにこの二つの弦楽四重奏に共通するものは何かというとそれらは、彼の死の10年ほど前からの後期の作品であるということと、この時期、彼の耳はほとんど聞こえなくなっており、その程度はベートーヴェンの難聴を遥かに超えて、ほぼすべての音を失っていたということである。
したがってこれらの音楽は、彼の研ぎ澄まされた音の蓄積のなかから記憶によってのみ引き出され組立てられた音の構成だということになる。
もちろん、それに彼自身の後半生を迎えた感慨がたっぷりと織り込まれている。
音楽を聴く場合、そうした状況を知って聴くのと、不要な先入観を排除して音楽そのものを聴くのとどちらがどうかという論議もあろう。
私の場合は、それと知らずに聴き、ここにあるこの激情のようなものはなんだろうかと改めて伝記的なものを追跡し、改めてその音楽を聴き直した次第である。
ラファエル・クーベリックによる「わが祖国」全曲盤
もうひとつ、彼の伝記的な事実を付け加えておこう。
この「わが祖国」や二つの弦楽四重奏を作って何年も経過することことなく、彼は梅毒によって狂死したとある。先にふれた聴覚障害もまた梅毒によるものだとする説もある。
梅毒は、クリストファー・コロンブスの率いた探検隊員がアメリカ上陸時に原住民女性と交わって感染し、ヨーロッパに持ち帰った結果、以後西洋世界に蔓延したとする説がある。
そしてそれによる著名人の死者は、あまりはっきりしない風評様なものをも混じえると以下に及ぶ(順不同)。
フランツ・シューベルト ロベルト・シューマン ベドルジフ・スメタナ
アル・カポネ フリードリッヒ・ニーチェ(?) シラノ・ド・べルジュラック ギ・ド・モーパッサン
梅毒は性交渉を媒介に伝染することはよく知られているが、必ずしもそうばかりではない。これ以外にも母子感染、輸血血液を介した感染もあるり、母子感染の場合、子供は先天性梅毒となる。
20世紀の中頃、ペニシリンが普及して以後、梅毒は制御しうる病いになったが、それ以前は不治の病いであった。
しかし、必ずしも過ぎ去った話でもない。この国では2012年から16年にかけて男女間性交渉による感染が急増し、先進国のなかでは異常に高い数値を示したことがある。ただしその年齢は、男性は25~9歳、女性は20~24歳ということだから、幸いにして私は圏外だ。
スメタナの晩年の話からとんでもない脱線になってしまった。
しかし、彼の晩年の音楽は素晴らしい。「モルダウ」を含む「わが祖国」全曲、並びに、弦楽四重奏第一番、第二番はとてもいいと思う。
いや、大丈夫。その音楽を聴いたからといって、梅毒に感染することは決してない。それよりも現実のあなたの生活のほうがはるかに・・・・(以下自粛)。