東京の泰明小学校が、その標準服にアルマーニというブランド物を選び、その高額さとともにその是非が話題になっている。どういうことなのだろうと当事者の言い分を探していたら、その標準服を採用した件につき、和田利次校長が父兄に向けたという説明文を見つけた。
http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/07/principalletter_a_23355613/
私同様の長ったらしい文章だが、このなかで和田校長は、最近の在校生を見ていると「何のために泰明を選んだのかわからない」といい「言動マナーなどに泰明らしさがない」と嘆き、「生徒の内面を含めて泰明の子らしさを」実現したいとする。「愛校心、スクールアイデンティティ」で生徒を満たし「銀座の小学校」に相応しいものにすべく「ビジュアルアイデンティティ=標準服」を定め、「それを通じてスクールアイデンティティ」を構築したいとというのがその主旨だ。
ところでこの標準服、図で見るように男子で8万円、女子では8.5万円するとある。しかし、子供は成長するから、その段階での買い替えを考えればおそらくその二倍以上には必ずなる。
金がかかりすぎだとか、なぜアルマーニかなどの批判は当然あるし、私もそう思うが、そうした点を含めて、ここへ至るこの校長の思考の形にとても関心がある。
彼は、泰明らしいスクールアイデンティティを築かねばならないという使命感に燃えている。「泰明らしいスクールアイデンティティ」の内実は詳しく述べられておらず、この校長の頭脳の中で形成された主観的なものだというほかはなが、加えていうならば、教育の目的はスクールアイデンティティなどという不可解なものへと生徒を染めることだと固く信じているようなのが気になる。
百歩譲って、それが生徒にとって必要な価値であるとしても、それを生徒との対話の中で言葉でもって話されてこそ教育だろうと思うのだが、この人はいささか違う手段をとる。
この校長の選んだ手段はというと、ビジュアルアイデンティティをまず強要し、それを通じてスクールアイデンティティとやらを確立することであった。それこそがアルマーニ採用の理由であり、筋道なのだ。
ここには何やら悪魔的な統一への意志がある。要するに、個性の違いを前提にしながら、言葉を交わすことによってその個性に応じた生徒たちの有りようを考えようとするのではなく、まずもって外面の統一を通じて内面をも支配しようとする意志だ。
これは言ってみれば軍隊的志向であり、生徒の主体への働きかけをネグレクトした有無を言わさぬ統一への意志である。要するに外面の統一によって内面をも画一的に支配しようとする意志である。
私たちは、それについての古典的理論をミシェル・フーコーのうちに見出すことができる。彼は、近代においての刑務所、軍隊、学校の機能につき、その外面の儀式的統一を通じて、国家意識などを内面化するための手段と正当にも喝破している。
私たちは最近、その最も顕著で醜悪な例を知っている。それは例の森友学園が経営する塚本幼稚園において、園児に揃いの水兵服を着せ、教育勅語を意味のわからないままに朗詠させ、「安倍内閣総理大臣ありがとう」を唱和させるという「教育」である。
この教育方針に激しく感動した安倍夫妻が公人の枠を超えてこの学園の安倍小学校開設に肩入れしたことが森友問題の核心であることは疑いの余地はない。
泰明の校長の方針はこれとまったく同じく、悪魔的なものを含んでいる。悪魔的というのは、統一、支配への意志をあからさまにもっていることであり、しかもそれらを言葉を介在した教育過程を超えて、外部からの強制(ビジュアル・アイデンティティ)でもって実施しようとすることである。
彼はそれを、「銀座らしさ」という郷土愛を装って語るのだが、愛国心が民衆の素朴な「郷土愛」を土台にして醸成されることを考えると、そうした郷土愛の強制もいささか危険といえる。泰明の子らは、銀座を支えてゆくかもしれないし、また銀座から離れてゆくかもしれない。いずれにしても「銀座愛」などというチマチマっとした視点からではなくそれを相対化して見る視点が養われなければ、そこから出ることも、そこにとどまってそこを支えることも難しいであろう。
*郷土愛と愛国心は私のなかではむしろ相入れない。近代国家は、私が愛する農村共同体や町家の共同体を破壊し尽くすことによって生み出された。したがって、私が郷土愛に浸るとき、それは反国家的ならざるを得ないし、逆に愛国主義者になるならば、どこまでも郷土を犠牲に捧げる覚悟を強いられる。
もうひとつ、この校長には、どうしようもなく無内容なエリート意識がこびりついていて、それが「銀座」だとか「泰明」だとか「スクールアイデンティティ」だとかいったそれらしい記号に憑依し、それらと一体化することによる滅私的な実践が強要されているようにも見える。
まとめていえば、そこには家父長的な価値による支配、統一への意志がギラついていて、ビッグ・ブラザーによる全体主義的支配をも連想させ、とても気味が悪い。
私にいわせれば、もっとも教育に相応しくない人物なのだが、教育を体制順応型のクローン人間育成と考える向きには好都合な「教育者」ともいえる。ようするに「畜群の育成」(ニーチェ)こそが目指されているのだ。
【付記】
上を書き終わってからツイッターで見かけたのだが、この人、泰明幼稚園園長も兼任していて、その「園だより」にこんなことも書いている。
「『やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動か じ』は、山本五十六様のお言葉ですが、本当にそうですね。」
って、若い方はご存じないがこの山本五十六は真珠湾攻撃の折の連合艦隊司令長官で、往時、軍神と讃えられたひと。幼児教育にわざわざこんな軍人を引用するなんてと思ったら、どうやら、この人「アベとも」でもあるらしい。だから私が直感したように、森友の塚本幼稚園にも通底するのだと納得。
なお、この幼稚園だより、ほかにも実証抜きの疑似科学的な奇っ怪な叙述がなされている。
http://www.chuo-tky.ed.jp/~taimei-kg/index.cfm/1,230,c,html/230/20171204-103807.pdf