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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

寂しい桜 終わりの始まり

2016-03-15 00:23:30 | 花便り&花をめぐって
 うちの桜がもう満開なのです。毎年、3月10日頃には開花しはじめますが今年は早く、もうこの雨で散る花もあります。桜ん坊がなる木で、ソメイヨシノより20日ほど早いのです。

            

 でも、この2、3年、花が咲いてもとても寂しいのです。
 以前は小ぶりながら木全体にパアッと花がつき、その一帯が明るくなるほどだったのですが、それがもう木それ自体の寿命なのか、どんどん枝が枯れていって、今や花がつくのは最盛期の10分の1足らずなのです。
 それを見ると、なんだかとても寂しいのです。

 この木同様、その生命の終わりの始まりを迎えようとしている私自分と重ね合わせるからでしょうか、やたら寂しい思いがするのです。
 それでも残された花は懸命に咲いています。ですから今年も一応写真に収めました。
 一番最後の写真は、全盛期の頃のものです。これから見ても、花の勢いが違うのがお分かりいただけると思います。

            

 当然のこととして、桜ん坊の収穫もかつての10分の1以下です。花が減ったところへもってきて、実がつく花が減ったのです。
 かつては、ちょっとしたザルに、毎日一杯ずつ、数回以上にわたって収穫しました。それらのほとんどは、娘の勤める学童保育のおやつになりました。
 子どもたちは目を輝かせて食べてくれたそうです。
 昨年は、かろうじて一回だけ持ってゆくことができました。
 今年はどうでしょう。
 とても心もとない気が致します。

            

 桜が咲くのを眺めてこんなに寂しい気分になるなんて、まさに「わが身世にふるながめせしまに」ですね。
 もっとも、小野小町は花が散りゆくさまを詠んだのですが、私のそれは木それ自体がその生命を終えようとしているのを目の当たりにしているのですから、翌年に期待をつなぐこともできないのです。
 寂しいです。
コメント (2)
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