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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

5年前の日記から 事態は変わっていない!

2016-03-13 23:51:46 | 想い出を掘り起こす
 あの大震災と原発事故から5年目とあってメディアはその特集をこれでもかとぶつけている。復興はある程度進みつつあるが、原発事故に関しては今なお帰還不能地区があり、復興どころの騒ぎではない。
 人の住めない街ではイノシシの群れが我が物顔に闊歩し、それがまた汚染を運搬するのではとも懸念される。
 「除染」という名の「移染」はさしたる効果も挙げず、何十万トンという汚染物質が行き場もないままに放置され、それがまた復興の足を引っ張る。周辺のことを考えなければ、東電の本社、幹部の自宅、原発推進の政治家の自宅へ送りつけたいところだ。
 この実情があり、しかもその原因が明確になっていないにもかかわらず、他の原発の再稼働なんて天をないがしろにする所業だと思う。

 5年前の3月13日から21日まで、私は毎日日記を掲載した。そのうち、18.19日分は引用元がすでに消されているのでそれらは除き、他を再掲する。 

 原発!  2011・3・13

 私は、諸テクノロジーの発展に否定的に対応するのはある種の反動だと思っています。しかし、原子力だけは例外です。
 今回の東北地方の地震で、それはアクセルだけが付きブレーキが利かない欠陥車であることが実証されました。 ようするに原子力に関しては、大量殺戮のために開発されたそれが今なお人類によって馴致されたとは思えないのです。
 したがって、それが100%の安全性が確証されるまで、封印さるべきテクノロジーだと思います。

 当然のこととして、新たな設置など全面的に凍結すべきです。そして、国内の既設のものすべてを廃炉にすべきだと思います。

 ちなみに日本は原子力発電大国で世界第三位です。
 その基数は、アメリカの半分、ロシアの2倍です。

 末尾になりましたが、今回の災害で罹災された方々へのお見舞い、とりわけ亡くなられた方々への合掌と鎮魂の意を表明いたします。

 原発崩壊!   2011・3・14 

 私が前の記事を書いた折には3号炉のトラブルについては全く知りませんでした。
 1号炉についてのみ問題が起こっていると思っていました。
 東電など原発に関わっている人以外のすべての人はそう思っていたと思います。
 ところが、3号炉も同様の事態、それが公表されたのはその事態が発生してから三日目。これは事実が隠蔽されていたとしか思えません。

 なぜでしょうか?
 考えて見れば1号炉の事態も、外壁が吹っ飛んだという紛れもない映像があってしぶしぶ公表されたのでした。
 3号炉についてはそうした外見がなかったので三日目まで隠蔽されたということでしょう。

 なぜかくも隠そうとするのでしょうか?
 それはおそらく、公表すると人々がパニックを起こすのではないかという公の「政治的判断」と原発推進者の「政治経済的判断」が一致したからでしょう。
 ということは逆に言うとこの技術は、とても公にできない危険を内包していることを認めたことになります。
 ようするに、人が制御できない技術、その事実を公表すれば人々がパニックに陥る技術、したがってその詳細な情報を隠し通さなければならないのが事実だということになります。

 補足として、新しい技術が伴うリスクについて述べたいとおもいます。
 
 ひとつは、それによりしばしば不都合が生じるが、それらの不都合はは軽微であり深刻な影響を伴わないもの、例えば、電力そのものは感電をするとか台風などで断線するとかいうリスクを背負っていますが、それを理由にそれを否定する人はいないでしょう。

 もうひとつのリスクは、めったに不都合は生じないがそれが生じた場合には壊滅的な打撃をもたらすものです。原子力発電はこれに属します。 しかも、どうやら「めったに生じない」のではなく、しばしばヒヤリとする不都合が生じている模様なのです。
 
 これに関する問題は、今回の事態もそうであるように、それらの不都合がつぶさに公表されていないということです。
 今回の件も、何も分かっていない段階で20キロ以外への住民の避難が一方的に命令され、それからずいぶん経ってから「実はこんなことが起こっています」と知らされたのです。
 しかもその公表内容も極めて不十分で、各TVの解説者や各紙の解説者が、まるで暗闇を覗き込むように微妙に違った解説と見通しを述べています。
 
 1号炉の外壁が吹っ飛んだという映像を見せられてから、それがどんな事態かを知らされるのに半日を要し、なおかつそれも不十分でした。 3号炉でも同様な事態が生じていることも隠し続けられ、三日目にしてやっと公表されたのです。

 その基本姿勢は、「臭いものに蓋」でしかありません。
 なぜ事実をひた隠しにするのか?それはこの技術が今なお人の制御になじまないという危険性をもち、壊滅的なリスクを背負っていることを人々に知らせないためといわざるを得ません。
 
 原発崩壊と隠蔽体質と石原知事  2011・3・15

 一号炉、三号炉に続いて二号炉でも同じ問題が起こっていることが明らかになった。
 しかも二号炉はメルトダウン(炉心崩壊)寸前まで行ったようだ。
 現場の担当者や下請業者の作業員などが懸命に回復に努力をしていることは疑う余
地はないし、その不眠不休の活動に期待したいと思う。

 問題は、東京で全く恣意的な情報のみ流し続ける東電の幹部連中だ。
 だいたい最初は、ほとんど問題はないと言っていたのに、一号炉の外壁が吹っ飛ぶ
に及んでやっと問題が生じていることを認め、一挙に周辺住民の避難にまで至った。

 そしてその時点ですでに三号炉や二号炉にも問題が生じていたにもかかわらずそれ
には頬かむりを続けた。

 三号路の爆発はそれ自身凄まじいもので、よく数名の負傷者で済んだともいえる。
 二号炉は外壁は無事だが内部では最も深刻な事態が起こっているようだ。
 冷却水が入らず、燃料棒が露出したままで、放射能の漏出はすでにかなり進んでい
るものと思われる。
 最悪の事態も想定されるが、それだけはなんとか防いでほしい。

 そして東電の幹部は、自分たちの「政治的判断」のみで恣意的に情報を操作するの
ではなく、すべてを明らかにすべきである。

 ついでだが、今回の事態は「天罰」であると公言してはばからない高邁な都知事を
いただく東京で、食料や生活物資の凄まじい買い占めが起こっているという。
 停電などが予測される中で気持ちはわからぬではないが、彼らが買い占めている物
資は実は最も被災地で必要とされるものなのである。
 都知事がいう「我欲への天罰」ということなら、次の津波は東京を襲うことになる
がそれでいいのか。

 もちろん私はそれを望むわけではない。

 原発事故は原発に反対した人々の責任???   2011・3・16

 私が見たツイートで複数の人たちがおおよそこんなことをいっています。
 「今回の原発事故は原発反対派の責任だ」というのです。
 その論理は、東電は原発反対派の抵抗にあって、新しい原発を設置し得ず、古い原発を使い続けた結果今回の事故に至ったのだそうです。
 私たちはどんなテクノロジーであれ、それが危険をはらむものであればNOというべきです。
 その設備が新しかろうが古かろうが、それを安全として使い続けた東電にこそすべての責任があります。

 上の論理は、強盗殺人にあって殺されたのは彼が抵抗したからであってその犯人には全く責任がないという言い分です。

 ようするにお上や権威の言う事を聞かないお前たちが悪いというわけです。

 センセーショナルな言動の問題  2011・3・17 

 東京で凄まじい買い占めが行われていることが報じられ、TVはことさらに空の食品棚を写します。
 私もてっきりそうした状況が一般的なのかと思っていました。
 
 しかし、東京の友人によれば、必ずしも東京全域でそうした状況にあるわけではなく、少ないとはいえ食品が売られているところもあるのだそうです。
 彼によれば、むしろメディアのそうした報道が買い占めを扇動する結果となり、それが広がっているのではないかと言っています。

 名前の知られた人の幾分不用意なツイートも見られます。
  http://htn.to/8Ga2JN
 それによれば以下のようです。
 
 ”元科学技術庁長官が、今回の原発事故について「東電と政府の情報を絶対に信じてはいけない。信じたら大変なことになる」と個人的に打ち明けた。ご参考までに。なお、それをどう解釈するかは、皆さんの問題。”

 「科学技術庁長官」というのは政治的なポストで特に科学技術に詳しいわけではありません。たしかに私も東電や政府の情報開示はきわめて不十分だと思いますが、「絶対に信じてはいけない」とは思っていません。もしそうだとしたらどの情報を手がかりにしたらいいのでしょう。
 元科学技術庁長官や宮台氏が正しい情報を与えてくれるのでしょうか。

 上の氏の言動は、自分は「権威ある人」から「個人的に打ち明けられる関係」にあるという自己顕示以外のどんな内容も持っていません。むしろ、現実の背後で庶民が知らないことが進行しつつあるという陰謀論のようなもので、結果として人々にいたずらに必要以上の行動を煽る結果になると思います。

 危機管理についての点検や責任論は後から論じればいいと思います。
 とりあえずは、現場で不眠不休で被曝や負傷の危険性をも顧みず事態の鎮静に努力している作業員の皆さんの尽力が、その成果を見ることを願い、また彼らの無事を祈りたいと思います。

 こうした事態での過剰報道や陰謀論的発言が、関東大震災に際しての朝鮮半島の人々への虐殺に繋がったという歴史的経験を噛み締めるべきです。

 東浩紀氏の民族派への転向??? 2011・3・20 

 以下は、NYタイムズへの東浩紀氏の寄稿です。
 いってることは至極まっとうですが、やはり、国家や民族の問題でのナイーヴさ、底の浅さが露呈しているのではないでしょうか。

  http://blog.livedoor.jp/magnolia1977/archives/52018307.html

 私もこの状況の中で人々が助け合い、忍耐をしている状況を大いに評価しますが、それを日本民族や日本国家の固有性に還元するのはいかかがなものかと思います。とりわけ次のようにいわれてしまうとやはり引いてしまうところがあるのです。

 「有害なシニシズムの中で麻痺していた、自分の中の公共精神や愛国的な自分を発見した経験は色褪せることは無いだろう。」

 公共精神はいざ知らず、愛国的な自分の発見とはいささか危ういのではないだろうかと思ってしまうのです。
 私はゆえあって氏の書いたものをざっと観たことがありますが、いささかの危惧を感じたのがいまわかるような気がします。1980年代以降のポストモダン世代は、国家や共同体との相克を経験してはいないのです。

 だからそれへの違和感をもった経歴を単なる「シニシズム」で片付けて、何かの契機で日本人万歳、日本国万歳に容易に「転向」しうるのです。

 繰り返しますが、私はこの事態への人々の冷静な対応を敬意をもってみています。もちろんそこには、買い占めといった不協和音などもあるのですが、全体としては感服せざるをえない状況にあると思います。

 ただしこれを、日本国家、日本民族の固有性のようなものに還元する氏の論調には危ういものを感じざるを得ないのです。ましてやそれが、「愛国的な自分を発見した経験は色褪せることは無いだろう。」などといわれてしまうとなおさらです。
 こうした「転回」を遂げた氏の論調が今後どのようなものになるかを見守りたいと思います。
 (デリダ読みがどしてああなるかなぁ?単なるコンストラクションではないの?)

 写真掲載とコンサートの話 2011・3・21

 時節柄、写真の掲載をしてきませんでしたが、少しずつ再開いたします。
 「琵琶湖落日」の写真です。

                        
               陽が山の端に近づいて・・・

 また先般、前々からチケットを購入してあった大阪フィルの第三十四回岐阜定期公演へいった来ました。
 演奏の全プログラムに先立ち、「G線上のアリア」が粛々と演奏されました。

                   
                落日寸前と釣りをする人

 演奏が終わっても、拍手をしていいものがどうかみんなが迷いました。
 最初はパラパラと、やがて一斉に盛大な拍手が沸き起こりました。
 それは演奏者を称えるというより、被災地への激励の拍手でした。

                    
                     落日直後

 プログラムの中に、ベートーヴェンんの「第六」があったのですが、嵐の場面でつい東北の状況を想起してしまいました。

 指揮は延原武春氏。
 







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