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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

スターリンの亡霊と日本国憲法

2014-03-08 01:44:50 | 社会評論
 憲法論議がかしましくなりつつある折から、「おらは死んじまっただ」クラスの大新説にお目にかかることとなりました。
 なんといっても、「憲法自体が憲法違反だ」ということですから、私ども単純な頭脳では計り知れない深遠な摂理が秘められているようなのです。

 話は少しさかのぼりますが、2月26日、参議院の憲法審査会というものが開かれました。この冒頭で、自民党の副幹事長(あの石破さんとこのサブです)の赤池誠章さんがその冒頭でおっしゃったのが上のお話なのです。
 ですから、憲法を審査した結果、憲法違反であったということになります。

 ではこの場合の審査の基準はなんでしょうか。「憲法違反」というわけですから、憲法が憲法を審査したわけですね。しかし、こんなことが可能なのでしょうか。まるで、ショパンの「子犬のワルツ」のように、自分で自分のしっぽを追いかけるような話ですね。

 この場合、憲法を審査したのは実は憲法自身ではなく、赤池さんのオツムの中の基準がそういわしめたと考えるほうが自然ですね。
 この赤池さんという方、先にいいましたように、今でこそ自民党の副幹事長におさまっていらっしゃいますが、その経歴を拝見すると、新党さきがけ、新生党、新進党、民主党を渡り歩いた経歴が示しますように、とても幅広く、見識豊かな方だと想像されます。

                      
 ですから、「憲法は憲法違反だ」という、そこいら近所の並の憲法学者もでんぐりかえって悶絶するような新しいフレーズを「発見」なさるのですね。
 しかし、いかに俗論を超越したかに見える赤池さんでも、根拠なしにそんなことを仰るわけではありません。

 赤池さんはその根拠を三つ上げていらっしゃいます。
 その第一は、この憲法は、「米国への属国化、保護国化」によるものだとおっしゃいます。いわゆる、「押し付け憲法」のバリエーションでしょうが、「属国化」などの言葉が自民党の副幹事長から出るということは、やはり赤池さんの新しさかもしれません。

 その第二は、戦後日本が戦争のない新たな国を志向したことが社会契約説によるフィクションであるといわれます。赤池さんの言葉をそのまま紹介します。
 「人工国家、米国流の社会契約説であります。敗戦後の日本国民が契約によって、新しい国家をつくったフィクションに基づいています。」

 これもまた、赤池さん流の新しい視点ですね。
 というのは、ホッブスやロック、ルソーに戻るまでもなく、近代国家の立憲主義は多かれ少なかれ、この「社会契約」的な契機によって成立しているからです。
 ですから、その「社会契約」的な理念を否定するとしたら、「朕は法なり」という絶対王制に戻る他はないのです。

 赤池さんの独創性は、第三の理由に至って満開となります。そのおことばをそのまま掲載しましょう。
 「第三は、旧ソ連の1936年スターリン憲法に影響されており、共産主義が紛れ込んでおります。第24条の家族生活における個人の尊重や、両性の平等、27 条の勤労の権利および義務などは、その条項にあたるといわれております。社会主義者や共産主義者が護憲になる理由がここにあるわけです。」

 これはまた新しい展開ですね。
 日本国憲法は、アメリカからだけではなく、ソ連からも押し付けられていたのですね。
 それでは、スターリン憲法による影響がどのようなものかを、赤池さんが具体的にあげている日本国憲法の条文から見てみましょう。

           

 まずは第24条です。ここにはこう書かれています。

 第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。


 私はスターリンが嫌いですが、これを読む限り、なかなかいいことをいっているじゃありませんか。これのどこが社会主義的で共産主義的なのか私には理解不能なのです。赤池さんはひょっとして男女平等、あるいは個人の尊厳の強調そのものが「アカ」のたわごとと思っていらっしゃるのでしょうか。

 例に出されたもう一つの条文は以下です。
 第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
 2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
 3 児童は、これを酷使してはならない。


 私にはこれのどこがいけないのか全くわからないのですが、赤池さんはこれも社会主義者や共産主義者のたわごとだとおっしゃいます。
 逆に裏返せば、世にいう「ブラック企業」こそが労使のあるべき姿だとおっしゃっているように聞こえますね。

           
 
 以上が赤池さんの憲法審査の内容ですが、ようするに「属国憲法」であり、社会契約による「フィクション憲法」であり、「スターリン憲法」であるということです。
 しかし、それに大いなる示唆を受けながら私が「審査」したところによれば、「属国化」というのは憲法そのものというより、自民党が選択してきた政治外交姿勢そのものであることは明らかです。
 また、社会契約によるフィクションというならば、そもそも近代国家の憲法というもの自体が、そうした国家イメージのフィクションとして制定されるものなのです。それを否定するならは、絶対王制まで戻るべきことはすでに述べたとおりです。

 スターリン憲法の影響というのはおどろ木ももの木さんしょの木なのですが、それがアメリカの押し付け論とどう整合性をもつのかはともかく、具体的に例示された条文の内容はアカもシロもなく、近代国家としては当然のありようだと思います。
 しかし、赤池さんがわざわざ例におあげになったということは、それ自体が憲法改正の対象になっているということです。
 
 憲法改正というと、9条に絞られがちですが、基本的な人権の面でも大いに問題にされているということです。
 封建制とさほど変わりがなかった帝国憲法の軛から、戦争という甚大な犠牲を経て私たちのものとなった基本的人権そのものが、赤池さんたちからすれば、スターリン的な「アカ」い状況として、抹殺の対象となっているのです。

 なお、ここにはもうひとつの罠が仕掛けられていますね。
 というのは、赤池さんの発言にあるように、憲法改正に反対するのは社会主義者や共産主義者だということがさらりと述べられているのです。
 
 20世紀より21世紀のほうが変な人が多いですね。



コメント (4)
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