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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

川合玉堂展を見る なぜか惹かれるんです

2013-11-23 02:24:29 | アート
 先月、ルドン展を見た岐阜県美術館へ、今度は川合玉堂を見に行った。
 川合玉堂は好きな画家である。
 端正で明解な線を多用しながらも、どこかに暖かみがある。
 村落や里山、そして深山などを描きながらも、点描としての人や荷馬、そして牛などが配されていて、それらを見つけるとなんだかホッとする。

       

 彼がよく描く里山の風景は、私が子供の頃疎開していた田舎の風景とさほど変わらないのもどこか懐かしい。
 私が暮らしていたところは村落のはずれで、少し行くと「玉池」という灌漑用水用のかなり大きな池があった。これはたぶん「溜池」が訛ったものか、あるいはそのものズバリでは味も素っ気もないと玉池にしたのだろうと睨んでいる。事実、当時の老人たちの中には溜池という人もいた。

 そこをさらに西に進むと南側は養老山脈から三重県にまで広がる穀倉地帯だが、北側は緩やかな斜面を登るように昼飯大塚古墳(東海地区最大級の前方後円墳 もっとも子供の頃はそんなことを知る由もなかった)を経て山地へと連なる。ようするに、濃尾平野の突き当りである。
 その一帯は、雑木があり、また鬱蒼と茂る箇所があり、私たち子どもも、そして大人も、ただ「林」と呼んでいた(この辺は大江健三郎の「万延元年の・・・・」ぽいな)。

    

 その辺りにはいろいろ思い出があるが、そこにこだわるとどんどん逸れていきそうだ。ただ、大人たちからは、「あんまり奥へ入ると帰ってこれなくなるぞ」などといわれていたし、敗戦直後、米軍がやってきたらあの林へ逃げ込もうという話もあったことは記しておこう。

 回りくどくなったが、そのへんの里山の風景と玉堂の絵とが私の中ではどこかで繋がってしまうのだ。そこは憩いの場所であり、同時に臨界のような場でもあった。
 玉堂が描くあの端正で静謐な自然の中にも、これ以上は行ってはならないという禁忌のようなものが含まれているのだろうか。

        

 この美術展は、「川合玉堂と彼を支えた人びと 素顔の玉堂」と題している。
 これは、例えば彼の師匠筋である橋本雅邦などをも指すが、むしろ、隣の木曽川に生を受けた彼が、成人するまで育った岐阜の街での交流や交友を指していて、その記録を示す直筆の手紙などが展示されている。
 それが実に達筆で、それ自身、書として鑑賞できるのだ。

 そうした背景から、東京の青梅に住みながらも岐阜との交流は絶えなかったようで、手紙のやり取りはむろん、たびたび岐阜を訪れていて、鵜飼などを題材とした作品も多い。
 そんな縁もあってか、前回のルドン展同様、岐阜県美術館やこの周辺の美術館の所蔵がとても多く、「彼を支えた」というタイトルに秘めたこの美術館のプライドのようなものが見てとれる。

     

 それはともかく、好きな玉堂が堪能できていい時間をもつことができた。
 見終えて外へ出ると、天気予報に反して氷雨模様であったが、なんとなくほっこりとした気分を抱いていたせいか、さほどの寒さを感じなかった。





 

コメント (4)
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