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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ハンナ・アーレントと「高度な客観性」、そして思考すること

2013-11-26 15:49:18 | 映画評論
 映画『ハンナ・アーレント』(監督・脚本:マルガレーテ・フォン・トロッタ)を観ました。
 予告編などで想像したとおり、ユダヤ人虐殺に深く関わったナチスの高官・アイヒマンの裁判を傍聴しその記事を書いた彼女の『イェルサレムのアイヒマン』(最初は雑誌『ザ・ニューヨーカー』に、後にはその記事への非難に対する反論を「あとがき」として加えた単行本)を巡って起きた諸状況を通じて彼女の思想や行動を描き出すものでした。

 実は4年ほど前、今は8号を数える同人誌の創刊号に、私は同じシチュエーションを巡って、以下の様なタイトルで小論を書いたことがあります。
  
   「高度な客観性」とハンナ・アーレント
       『イェルサレムルサレムのアイヒマン』をめぐって

 この書き出しで私は、以下のように記しました。
 「ちょうど六〇年安保の攻防戦がピークに達しようとしている頃、地球の反対側、アルゼンチンではちょっとした事件が起こっていました。ヴェノスアイレスの近郊で、仕事帰りの一人の男がバスを降りて家路に向かっていたところ、待ち伏せしていた三人の男に取り囲まれ車に引きずり込まれ、そのまま拉致されてしまったのです。」

             

 この映画もまた、全く同様に、このシーン、アドルフ・アイヒマンがイスラエル当局の組織によって拉致される場面から始まっています。あまりの符号におののきに近いものを感じながら画面を観ていました。
 しかしもちろん、すべてが同じではありません。私の小論は、『イェルサレムのアイヒマン』という彼女の著作に即して、その言わんとするところを解明しようとしていたのに対し、映画は、その著が公にされることによって生じた事態(それは彼女に対する轟々たる非難を含むものですが)とそれに対する彼女自身の非妥協的な対応を描くことの中でアーレントの思想そのものを浮き彫りにしてゆきます。
 その集大成がラスト近くの大学の階段教室での力説のシーンですが、その彼女の演説は英語に暗い私にもドイツなまりの強いものであることが分かるもので、アーレントを演じたバルバラ・スコヴァの緊迫感溢れる演技が身にしみました。

          

 ところで、なぜアーレントの記事がそれほどまでの非難を巻き起こしたのかというのは、私も小論のタイトルに借用した、その「高度な客観性」にあるといえます。この言葉は、決して彼女を賞賛したものではなく、逆に彼女の著述がユダヤ人(とりわけ、その指導層やシオニストたち)にとって辛く、ナチであるアイヒマンに対して甘いのではないかという非難、ないしは揶揄を含んだものでした。

 しかし、私はあえてこの「高度な客観性」こそがアーレントがこのアイヒマン裁判を緻密に検証した結果として到達した彼女の境地であると評価したのです。
 ユダヤ支配層(主としてシオニスト=現実のイスラエルを立ち上げ、今も支配している層)や世間の常識が好んだ図式は、「ユダヤ人=無辜の被害者 vs ナチス=悪逆非道の鬼畜」というスタティックなものでした。
 
 しかし、この裁判が明らかにしたのは、ユダヤ人指導層がナチに協力していたという事実、そしてアイヒマンが何らの反ユダヤ主義者でもなく(彼はシオニズムを学んだある意味でのユダヤの理解者)、人や鬼畜でもなく、ただ単に、命令を粛々として実行した有能な官吏でしかなかったことなどです。
 だから彼は無罪を訴えます。「私は当時のドイツの法体系に従って命令を粛々と実行したまでで、ユダヤ人に対する憎しみなどは少しももってはいませんでした」と。

             

 ようするに、「ユダヤ人=無辜の被害者 vs ナチス=悪逆非道の鬼畜」では事態そのものが解明できないのです。なぜ「絶対に起こってはならない事態=人類に対する犯罪」が起こってしまったのかの説明がつかないばかりか、その再発に備える道も見いだせないからです。だからこそ、この図式を脱構築する必要があったのです。
 
 被害者の側にあった現実との妥協の数々、加害者の側にあったその事態そのものへの無頓着な加担、それらはようするに、立ち止まって思考することの欠落を示しています。そして、これこそが巨悪を支えていたのです。
 したがって、アーレントがこうした事態への対案として提起するのはただひとつです。
 「思考せよ」、ようするに「考えろ」ということです。
 思考とは他者との対話によって促されるものであると同時に、自己自身との対話によっても可能となるものです。「私がなそうとしているのは何なのか。これはほかならぬ私自身にとって恥ずべきものではないのか」と問うことです。

 映画は、それを語ったアーレントが、それをろくすっぽ読んでもいない周辺から理解されないまま、「ユダヤへの裏切り者、ナチスのシンパ」といったレッテルを貼られてゆくさまを伝えます。そして、それらに屈することなく、自分の主張を貫き通すアーレントの姿をも。

 それから半世紀を経た現在、私たちの手元には、あのホロコーストを実現した事態への最もラディカルな分析とその記述として、アーレントの『イェルサレムルサレムのアイヒマン』が残されているのです。


               
         1940年 ベルリンの日本大使館 三国同盟の旗が誇示されている

【重要な補足】この映画とは直接関係はありませんが、私たちがナチスの暴虐、とりわけ600万人に及ぶユダヤ人虐殺という事実に接する際、ともすれば遠い昔の遠い国で起こった、したがって私たちとはほとんど無関係な事実として受容されることが多いと思います。『アンネの日記』をはじめ、それらの書物や、映画などを観ても、「ユダヤ人、かわいそう」、「ナチスってなんて残虐なの」ぐらいで済んでしまうことが多いのです。
 しかし、これらユダヤの悲劇やナチスの暴虐は、私たち日本人と無関係ではないどころか深いつながりがあるのです。

 歴史を紐解けば誰にでも分かる事実ですが、ナチスが残虐の限りを尽くしていたとき、私たちは彼らと同盟を結んでいたのです。それ以前からのさまざまな経緯がありましたが、日独伊の三国が正式に同盟を結んだのは1940年です。そしてそれに呼応して1941年12月8日には、日本は真珠湾攻撃をもって大戦に参加します。
 これはドイツにとってはまたとないメリットをもたらすものでした。
 これまで一身に引き受けていた連合国側との応戦を、日本の参戦によって分断することができたからです。

 はたせるかな、ナチスドイツが、それまでのユダヤ人への迫害からその殲滅へとより決定的で残虐な一歩を進めたのは、日本参戦後の1942年からでした。
 日本の同盟への参画と太平洋での参戦は、かくして、ナチスドイツの延命と、それに比例したユダヤ人の虐殺を可能にする条件として働いたのでした。
 したがって、私たち日本人は、「ユダヤ人、かわいそう」、「ナチスってなんて残虐なの」と傍観者の立場に立つことは許されないのです。私たちはいわば「当事者性」を分かちもつのです。
 日本でのホロコーストの叙述などにも、この視点はほとんど見られません。
 繰り返しますが、私たちはそのナチと同盟を結んでいたのです

コメント (13)
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