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静岡県知事の不適切な教育現場への介入と大阪市の公募校長

2013-09-12 00:55:17 | 社会評論
         

 静岡県知事は正常な思考力を欠いているといわざるを得ない。
 今年4月に実施された全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で、同県の小学校の正答率が全国最下位だった国語A(知識を問う問題)について、下位校10校の校長名を公表すると主張している。
 
 校長の名を公表するということはその学校も公表するということであり、学校間格差を公にすることでその下位校に携わるすべての教職員、そして何よりも在校生たちに対する差別を助長するものである。
 それに校長に責任があるわけでもあるまい。学力というのは地域や教育環境などなど様々な要因によって生じるもので、校長個人の問題ではない。ましてや校長は常に移動し、今年の4月に赴任した人もいるはずだ。

 問題は、校長の名を公表したら学力が上がるかということで、それが期待できるとしたら、校長がその圧力を受けて教員を締めあげ、教員は生徒を締めあげるということで、これはもはやいじめの構造とほとんど変わらない。
 さらにいうなら、ワーストテンは絶対になくならないのだから、つねに下位10校は晒しものにされるということである。

 県知事たるもの、もし自分の県の学力の問題があると認識しているならば、教育現場の責任として処罰的にそれに対するのではなく、教育現場や地域、保護者を交えた意見交換のなかで、子どもたちにとって何が必要な教育環境なのかを自ら考えなければならないはずだ。
 それをサボって、結果だけを現場に押し付けるとしたら、かつての全国統一テストで行われたように、当日は成績の悪い子を休ませたり、その子たちの答案用紙を統計に加えなかったりする歪んだ結果を生み出すだけだろう。

 教育現場を知らない、あるいは知ろうともしない権力者が、強権でそこに介入するとき、現場は混乱しろくなことは起きない。
 折しも、この静岡の恥ずかしい事態を伝える報道と同時に、大阪市の橋下市長の思いつきで今年の4月から始まった民間から公募の学校長が、セクハラで解任されたことを伝えていた。こうしたスキャンダルで辞めた公募校長は半年もしない間に二人目だという。

 公権力をもつ者は単なる思いつきで教育現場に介入すべきではない。
コメント (6)
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