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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【ビヴァ! 年末のロリータ!】

2007-12-25 17:27:04 | 書評
「暮れの忙しい時期、まだろくすっぽ年賀状も書いてないのに、何読んでるのかと思ったら『ロリータ』かい?
「そうだけど何か?」
「何かじゃないよ、遅すぎるんだよ。この小説は1955年に出版されているんだぜ。そして、それが評判になり精神病理学ではロリータ・コンプレックスという言葉まで生まれ、一般的にもロリコンというのはもはや普通名詞じゃぁないか」
「そりゃぁ知ってるさ。だけど、読む機会に恵まれなかったからしょうがないじゃないか。それにな、ちゃんと読んだら分かるけど、この小説の語り手、ハンバート・ハンバートは、この手記はロリータがその生涯を終える21世紀初頭に出すようにとわざわざ断っているんだぜ。だから今がちょうどその時期じゃぁないか」
「へ~、ボンクラのわりにはある程度読んでるじゃないか」
「ボンクラはないだろう。確かに僕は遅れてきた読者だけど、これがなぜ1955年に出版されたのかがよく分からないのだ」

 

「もう一歩ツッコミが甘いんだよな。お前、ジョン・レイ・ジュニア博士という署名入りの序文をちゃんと読んだか?」
「読んだことは読んだけど、そんな冒頭のことは忘れたよ。それと僕の疑問は何か関係があるのかい?」
「大あり名古屋は城でもつってんだよ。そこで実は、登場人物のその後が記されているんだ。ここでは主人公のその後と同様、ロリータ自身が被った運命とがちゃんと述べられているんだ。ただしロリータは、本編の中で分かるように変ってしまっているから、ロリータという名では序には出てこないんだ。だから、全部読んでから、もう一度序文に戻らないと分からない仕掛けになっているんだ」
「パラパラパラっと。え~と、あっ、なるほどそういうことか。作者もやるもんだねぇ」

    

「お前は本当に遅れてきた読者だなぁ。ところで読んでみてどうだった」
「面白かったよ。特にさ、通俗的なロリコン解釈のように、ロリータのようなニンフェッタが、単に無垢で汚れを知らぬ純粋な美少女ではないということがよく分かったよ」
「じゃぁそのニンフェッタ・ロリータはどんなものだと思うんだい?」
「そうだな、いってみれば、大人の女性よりは世間知らずで、飼い慣らされていないだけわがままで、したがって、手に負えないワイルドな面が、そのどこか頼りなげで一見うぶな、かわいげな容貌と同居しているということかな」
「それだったら、お尻ぺんぺんでお終いにすればいいじゃぁないか」

 

「そこなんだよ、そうした対象にどうしても惹きつけられ、それへの報われない愛の一方的な注入こそが描かれていると思うんだ。ロリータはそれに対して感興を示したり、あるいはそっぽ向いたりする。しかも、その法則性のようなものは分からない。分かったつもりでいても、それをスルリと抜けて遠ざかる。そして最後には逃げられてしまうだろう」
「まあ、そうだな。追えば逃げ、近くにあると思えば遠く、かと思えば思いがけず彼の腕の中でその欲望を充たしてくれる、この非対称な愛、まったき他性への愛といったところかな」
「そう、そうなんだよ。主人公もどこかでいっているが、このニンフエッタたちは、小さなものであるにかかわらずある大きな可能性を秘めていて、そのアンバランスと、それが順次表面化するその過程そのものへの慈しみ、愛おしさ、なんてね」
「だけどそれは、過程=時間であるからして、やがては消えて行くもの、その過程そのものを愛するがゆえに、彼は純粋な子供も、そして、成熟した女性も愛することは出来なかったのだろう」

 

「うん、だからこの愛というのはやはり儚いものなんだな。もっとも主人公は、それが人為的に奪われたものだとして、それを奪った奴に復讐を誓うのだが、誰かが奪わなくともそれはやがては果てるものではなかっただろうか?」
「そのとおりさ。だから、ロリータに再会したときの彼はその目の前の相手に対しては割合クールでいるのだ。そして、もはや関心は、自分の宙吊りの愛に引導を渡した相手との決着にのみ注がれる」
「う~ん、では、どうしてこの期に及んで、その終わりを認められないんだろうな」
「それは、やはり過程への愛を選んだ宿命のようなもので、その過程そのものに自らピリオドを打つためには儀式のようなものが必要だったんじゃぁないかな」
「ふ~ん、そんなもんかねぇ。そのために人をねぇ・・」

 

「そのヒントはこの作者、ナボコフが蝶の収集家として著名であったことと関連するかも知れないな。ひらひらと舞う蝶を、最も美しい様でピン留めしたいという夢。でも、それは叶わないのかも。どんなにきれいに処理された標本でも、現実に飛んでいる蝶にはかなわないもんなぁ。例えそれが、全く不規則な飛行で、やがては僕らの視界から消えてしまおうとも」
「なるほどねぇ。それって、文学や芸術そのものの見果てぬ夢をも象徴してるみたいだねぇ。ウ~ン、なるほど、なるほど」
「オイオイ、いつまでも感心してないで、年賀状はどうなったんだい」
「ア、いけない。今日は何日だっけ。え、もう後がないじゃない。時間よ止まれ!乙女の姿しばし留めんだなぁ」

 写真の女性たち、みんな成熟しすぎだな。作品の中のロリータは12歳だもんなぁ。
 もっとも、私に美少女を撮る趣味がないからしょうがないか(笑)。
 一枚だけロリっぽいのがある。



*以上は、ウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』の文字通り遅れてきた読者の感想です。
 付け加えるとすると以下の二点です。

1)この作品、女性に対する結構際どい決めつけのようなものがあるのですが、ジェンダーの方たちはどう評価していらっしゃるのでしょうか。

2)ニンフェッタ・ロリータの特色は、確かに上に述べたような様相を孕むことからして、それはある年齢層に特有であるといえるかもしれませんが、反面、女性一般に共通するものではないでしょうか。
 そうしたニンフェッタたちは、私の回りにも結構いて、老いてなお魅力的なのです。
 まあ、いってみれば私が幼いだけ、すべての女性はニンフェッタであり、なおかつ、私にとっては他者として現れるのかもしれません。

 余談ですが、この間少し勉強した、レヴィナスのまったき他性をもった者への応答としての愛といったことなどを思い出しました。












コメント
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