クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

術後4日目から退院まで その2

2024年07月06日 | 日記

術後5日目 病床が変わったことから、私担当の理学療法士の方は新しい病床へ来られて、その環境整備まで手伝われた。午後のリハビリ時、一時的に私は歩行時の手と足の運びが分からなくなり、前に出した手と足が同じ側となって、それを訂正できなかった。私が「まるで阿波おどりみたい」というと彼女は頷かれた。6日目 洗髪する日のシャワー使用時は直前使用の方の持ち時間の余りを利用することを思いつき、それを実行した。そのことで余裕をもってシャワーできた(但し、私の持ち時間がまるまる余ってしまった)。7日目 担当理学療法士の方の付き添い・指導の下、病院内の通路の上り下りや通常歩行の様子が確認された。その結果、使用していた歩行器が撤収された。8日目 この日に、担当理学療法士の方の口から、そのお父さんの生まれられた月日が知らされた。年齢は59歳とか。(ということは彼女は私にとっては孫のような存在)彼女のアドバイスにより、この日から自主的に歩行訓練を開始した。病院の建物は言わば長方形みたいになっているが、その2階は各辺に沿って病室などが配置され、中央の部分は「島」のような作りとされている。その一角にナースステーションが在る。従って、2階に限ってその島の周囲を周回できる。患者さんはそこを利用して歩行訓練される方がおられる。私は、日に2回、それを実行することにし「2周歩き」と名付けた。9日目 抜糸の処置が入ったことによりリハビリ開始時刻が少し遅れた。1階の専用室に向かって階段を下りていると、すれ違う瞬間、「あっ、○○さん」と、女性の方が私の名前を呼ばれました。前述の方に代わってその日午後のみ私のリハビリを担当される理学療法士の方でした(このケースで、中国雲南省昆明空港での、現地ガイドさんとの出会いを思い出しました) 


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