クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

私の方が少しは、カメムシより賢いかも?

2024年07月20日 | ブログ

今朝も黄唐辛子数個を収穫し、その後、カメムシ退治に入りました。今日の成果もやはり数百匹に上った、と思われます。昨日覚えたカップ利用での作業は今日は、前回よりその使い方が上手になったように感じました。自分で自分を褒めたくなる方法です。箸やピンセットで1匹ずつを掴んでいたことと比べると何と、合理的なのでしょうか。取り逃がしも少ないし纏めて複数匹をカップ内に落とすこともできます。葉や枝を叩くだけで自分からカップの中に落ちていきますから。この合理的な方法に辿り着いたことで以前の、松に巣食っていた毛虫のことを思い出しました。部屋から視た時、松の葉の部分で何か動く物を見つけました。近寄って観察しますとなんと、トゲの先に又、トゲを持つような毛虫が夥しい数這っているのが目にとまりました。その後、始めたのが箸で1匹ずつ掴んで除去する方法でした。毛虫は長さがありますのでその作業は特に困難を伴う物ではなかったのですが、何しろその数が甚だしく多く、根気を要するものでした。それを繰り返す内に偶然に遭遇した合理的な方法、それが極めて私にとって格段の恵みをもたらしてくれました。松の幹を揺らすと毛虫は全て地面方向に向かって下りる行動を採ったのです。即ち、細い枝から、強風でも揺るがない太い根元を目指したのだと推量しました。私の手が届かない高い位置の毛虫をどのようにして捕獲するかを考えていた私にとって、その現象は正に“救いの手”でした。

 


カメムシの究極の身の守り方かも・・・

2024年07月19日 | ブログ

昨日、妻が、黄唐辛子の実が黄色く色づいている旨を報告しました。現物の場所に足を運びますと、生り始めの為でしょうか大きく立派な実が沢山、綺麗な黄色に染まっていました。早速、収穫して冷凍保存しました。実際に使用する時期は12月になる筈ですのでそれまでの保存期間となります。今後は恐らく連日、数個ずつの収穫が発生すると思われます。ところで、その黄唐辛子の枝や葉には生まれたばかり、と思えるものも含めて数え切れないほどの大小の親子のカメムシが居ました。入院前にも数百匹を除去していましたが、今回目にしたのはそれを遙かに上回る量でした。従って、従来行ってきた1匹ずつをピンセットで掴みとる方法を変更して、本来は蚊取り線香使用後に火がついた部分を切り落したものを収める、水を張ったカップを利用しました。これは注ぎ口が広いため、虫を一度に何匹もそぎ落としてカップに入れる事が可能となり、とても合理的な方法となりました。虫の姿が確認出来ないほどになるにはかなりの時間を要しました。勿論、取り逃がしたものも在りますし、新たに発生することもありますでしょうから今後も同じ作業は繰り返す事になります。彼ら、彼女らは、捕まえようとすると茎の反対側にくるりと回り込んで逃げたり、枝を伝って逃げたりします。しかし、今回の作業で気づいたのは、身の危険を察知したら自分から地面に落下する、という行動でした。この方法はなかなかの方法で、何故なら、虫の体色が地面との関係で保護色なのです。落ちてじっと動かずに居たら私も確認出来ません(実際には暫くすると移動を始めますのでその時点で捕捉できますが)。羽根は持っているように思いますが、その使用を見たことはありませんので、その“誤魔化し”はヤオイカンことではあります。


3正面同時対応の危機は去ったように感じていますが・・・

2024年07月14日 | ブログ

私の、身の程知らずの行動が引き起こした転落事故、その後には3正面同時対応の危機が待っていました。つい最近、世界の情勢ではアメリカが3正面同時対応の危機に陥るのでは、との報道がなされていましたが、私自身もそういう場面に対応せざるを得ない状況に陥りました。腰痛、便秘、胃やけです。腰痛についてはこれまで多くをこのブログに書きましたので此処では省きますし、胃やけも相当強いものが長い期間に亘って起き続け、その解決には薬の他、昆布摂取(これは私の常套手段ですが)まで採り入れたりもして挑みました。そういう中でどうにもならない問題が便秘でした。腰痛については(骨折していることは知らず)それまでの痛みの継続と解釈していましたのでその侭の生活を続けることに慣れていましたし、胃の問題についても軈て解決するだろう、との勝手な思いを抱いていました。しかし、便秘は私にとっては極めて、極めて深刻な精神的状態をもたらしました。精神に異常を来すかも、と思えるほどの厳しさでした。自分ではどうすることも出来ないことです。便意は無いのに食べることは毎日続けなければならない、一体、この後どうなっていくのだろう、と翌日を迎えることの怖さが時間の経過と共に激しく募っていきました。地域で、専門では無いのですが大腸の検査を行われる(過去2度、大腸内視鏡検査をして戴いた)医療機関を訪ねてCTスキャンまでして戴いたりしました。熊本市内の専門病院受診は対称に浮かべはしましたが、頭の中だけで終わりました。当初の整形外科を含めて受診した3カ所の医療機関からそれぞれに適応の薬を処方して戴きましたし、自分で薬局で購入したものも在りました。有効だったり無駄に終わったりもしました。あの手この手を講じた結果、漸く正常と思える状態に戻すことが出来、現在に至っています。薬とは別に、サプリもネットで探し続けました。色んなサプリの宣伝を目にしましたが、その中に、極めて慎重に判断して購入に至った物が在りました。そしてそれを現在も毎日、呑んでいて今後も呑み続けるつもりでいますが、探しに探した結果出会った運命的な存在のサプリです。昔、チューインガムの宣伝で「お口の恋人○○○」というのが流行しましたが、現在の私にとって、出会ったサプリは「大腸の恋人」と云えます。


若い人の感想を訊きたかったのですが・・・

2024年07月13日 | ブログ

先日、私が「外食の王様」と名付けたうどん店を久しぶりに訪れました。現地に着いたとき既に10人以上の方が、店先に置かれた予約表に氏名と人数を書かれて待っておられました。駐車場も漸く確保出来た、といった状態でした。順番を待っていると20歳代と思われる1人の若い男性が笑顔を見せながら私たち夫婦に近寄ってこられ「この店のうどんは美味しいですか」と問われました。彼ら(男女2人ずつ)は偶々、通りすがりだったのか、誰かから情報を得て来られたのかは訊かず仕舞いでした。私たち夫婦が常に注文するメニューを知らせ、私はその定食の一部を他の物に変更してもらっていることも付け加えて、味の良さ、量の多さ、価格もそれに対して安価であることを紹介しました。若い人には打って付けの食事であることも添えました。順番が来て店内に入れたのは私たちの方が早かったのですが、少し遅れて席に着かれた彼らは稍、離れた場所に席を取られました。その距離の関係で店内で会話することはしませんでした。食事を終えて店を出た後、妻と「(彼らの)感想を訊きたかったね」と。


戴いたコメントでの「ナンバ歩き」についての補充説明です

2024年07月12日 | ブログ

コメント戴いた方から「ナンバ歩き」について、それを知られた経緯が寄せられました。相当以前のことのようですのでその記憶は必ずしも全てが完璧ではないかも、との旨、お断りも添えてありましたが、内容はとても興味深いので敢えてその概要を此処にご紹介させて戴きます。藤沢周平原作の映画の1シーン。江戸末期、確か英国人だったと思いますが、城下で武士たちを軍事教練するシーンがあり、よーいどんで走らせたら、きちんと整列した大勢の武士たちが右手*右足で走る。すると、それは違う!とばかりに英国人教師が現代式の右手*左足の走り方を教えるのです。戸惑う大勢の袴を履いた武士たち。調べたらその走法が日本古来の走りであり、飛脚など遠距離を走る仕事ではナンバ走りが負担が少ないことを知りました。ナンバ走りの基本的な歩き方を実際にやってみたら、体が捻れない。」

ただ、1カ所のみ存在する我が家の「避暑スポット(3.5)」でのリハビリ               毎日、日に3度、1度について3種のリハビリを実行しています。1種あたり10回の動作の繰り返しです。「セラバンド」使用、ゴムボール使用そしてスクワットです。前2種については朝と夜はベッドで行い、昼が避暑スポット3.5でとしています。この動作で肝心なのは、尻が床から浮かないようにすることで、セラバンド時は両脚を拡げる、ゴムボール時は逆にボールを押しつぶしていく行動となります。ボールを押しつぶしの方が筋肉にとって刺激がきついようです。何れも息を吐きながら行います。スクワットは身体の様子を確認しながらですので姿見の鏡がある場所を宛てています。写真に在るガラス障子の開け具合で受ける風の強弱を選べますのでとても有難いです。

食卓で育つサツマイモの葉  

                                           奥の葉は「葉ボタン」、花は「キキョウ」、手前が「サツマイモ」です。サツマイモは水耕栽培みたいなものです。

 

 

 


続 病床 おちぼ拾い

2024年07月11日 | 日記

退院後の過ごし方の内、具体的なものについて担当理学療法士の方に尋ねました。その中に、答えを出すのが困難かも、と想像したものも存在していましたし、結果はやはりそれに近いものでした。例えば、PC作業での許容時間、ウォーキングでの時間、立位でのそれ、草取りでのそれでした。質問の内、参考となる答えを戴けたのは、椅子に座っている時間、車でのドライブでの時間でしたがそれでも当然のことながら具体的な時間は示されませんでした。前者は「長くは駄目」、後者については30分ごとの休憩を挟むこと、のアドバイスを戴きました。ラジオ体操は3ヶ月間は見合わせるよう指導されましたが、定期受診時に改めて尋ねることを勧められました。体内に注入されたセメントは安定する迄1ヶ月間、コルセットは3ヶ月間の着用が求められました。入院中はベッドに横たわっている時間が殆どだったことからスマホの操作での私なりの進歩がありました。単語登録の方法、コピペのやり方、再起動の仕方そして写真撮影での強制発光の使い方でした。期間中、出された食事は全て撮影することにしましたが、どうしてもシャッターが切れないケースが2,3回発生しました。後で考えたら自然光の量が不足していたのでは、と思いました。そのことから強制発光機能の使い方の理解に達することが出来ました(通常は、スマホで撮影することは全く無く、カメラに頼っていますが)。

目から大きな鱗が・・・・                                  先日のブログに、リハビリ時に私が歩行の方法を完全に忘れて前に出す手と足が同じ側だったことを書きましたが、これについて極めて感動的なコメントを戴きました。その歩行方法にはちゃんと「ナンバ歩き」と名称が付けられていてしかも、腰痛改善に良い、と云われているとの内容でした。エッ、本当に、と思わざるを得ませんでした。そして昨日、用件を済ませて外出から帰宅しますと妻がスマホの画面を示して私にそれを視るように勧めました。ネット検索していたのです。正に、コメントの通りの記事で高齢者に良い、腰に良いとの記載もありました。しかも歴史的にも古いものでした。このコメントで世の中の“広さ”を痛感しました。コメントに感謝。序でに、全くその通りの徳島の阿波おどりの手と足の運び、400年の歴史を持つと云われていますので当時の手足の運び方がそのまま引き継がれているのでしょうか、それとも何処かの時点で意識的に変更されたのでしょうか。


病床 おちぼ拾い

2024年07月10日 | 日記

毎日、4回ほど訪れられる看護師さんは、血圧、体温、酸素濃度の測定、前日便通の有無、手術痕確認、痛みや痺れの有無を訊かれました。どの患者さんに対しても同様です。私が勤務していた職場での同僚の夢を見ました。起床後に訪れられた看護師さんのお名前がその彼と同じでした。偶然にびっくり。担当理学療法士の方の指導の下、スクワットに取り組んでいました。鏡の前で身体の格好を確認しながらの動作でしたが、その時、直ぐ横で他の患者さんの指導に当たっておられた、私担当の方の先輩に当たられる理学療法士の方が、私の上半身の向きが微かにではありましたが違っていることを指摘されました。私担当理学療法士の方は、違った角度から視ておられた為、気づかれなかったようでした。この病院への入院ではかなりの種類の書類にサインする必要がありました。10種以上在ったでしょうか。それらの殆どはコピーされて私にも渡されました。手術で起きるかも知れないトラブルなども含めてのそれでしたが、リハビリに関するものも在りました。その中で、リハビリに関する文書に目を通して驚きました。全面が虫眼鏡で視なければ読めないような小さな文字等でビッシリと占められていました。それでも読み取っていきますと、それまでに私が指導を受けた内容についての結果が、恐らく全て記されていました。指導の結果、私の能力がどのようになったか、実態はどうか、の記録です。退院日が具体的になった後、薬剤師の方が痛み止めとその副作用を防ぐ胃薬を処方して持ってこられました。そして、痛みがなければ服用する必要はない旨を告げられました。私には、手術による痛みは全く起きていませんでしたのでその薬は使わずに済ませていました。しかし、退院後、数日してふと、考えに変化が生まれました。もしかすると私はその薬に対して誤解していたのではないか、ということです。手術による痛みに対する薬、とばかり考えていましたが、昨年秋から続いている腰の痛みにも有効なのかも、という閃きです。私は手術とは無関係に腰痛を常に、看護師さんに伝えていましたし、それはカルテに記載されていた筈ですのでそれを承知で薬剤師の方は薬を処方されたのに違いありません。その推量を下に今、試験的に毎日、それを服用しています。

 


術後4日目から退院まで その5 (終)

2024年07月09日 | 日記

術後17日目 ① 先ずは、反省ごとです。前12日目の②で記した、妻を若い男性に引き合わせた時のことです。その病床を訪ねた時、区画を仕切ってあるカーテンを私はいきなり開けて彼に話しかけました。彼はPC操作をされておられたようにも思いますが、少し、びっくりされた様子でした。私の反省は、カーテンを開ける前に声かけをすべきだった、ということです。事務室などで、其処に入る場合にドアをノックするように。考え起こしてみますと、私のもとを訪れられる担当理学療法士の方も毎回必ず、私の名前を呼ばれた後、カーテンを開けておられました。②この日の午前のリハビリが初めて時刻変更となり40分遅れでした。そしてその内容も、いつもとは異なり、私の身体構造の確認のみとなりました。午後の分は通常のやりかたに戻りました。超嬉しい事実です。午後のリハビリ中、何の話題から話が其処へ飛んだのか記憶ありませんが、私が“世界最高のスイーツ”としている饅頭の名前を出しますと何と、彼女もそれが大好物との返事が返ってきました。凄く驚き、喜びが湧き出ました。ただ、違いは彼女は白餡、私は小豆の(粒)黒餡好みということです。暫くの間、その話が広がることになりました。③リハビリ時に使われていた「セラバンド」なるものを退院後の自宅で継続して使用するため、その購入を担当の理学療法士の方に尋ねると、そのリハビリ室で手に入れられることが分かりました。彼女から、多種の関係物品が記載された用紙を戴き、それに希望の物と氏名を書き込み院内の売店で代金を支払い、店主の方の押印を戴いて、それを彼女に提出することで入手出来ました。④夕刻、入院費の概算が示されました。⑤10周歩きの第8回目と第9回目で偶然にも例の若い男性に遭遇しました。2回の間には相当の時間の経過あったので、その偶然に驚きました。⑥退院日の明日は天気情報では大雨で警報が出される見込みだったことから、妻の迎えが困難となることを考えて、看護師さんに頼んで退院の時刻を先に延ばす旨、了解を戴いていました。術後18日目 退院日 ① 早朝に1回、その後暫くして更に1回、10周歩きをしました。これが最後の歩きとなりました。累計回数は11回です。②看護師さんにより、左手首に付けてあったバーコードと氏名入りのバンドが取り除かれました。③早朝、毎朝来室、声かけされていた内科医の方がお見えになり、私が本日退院であることを告げ、降雨の心配を口にすると「何かあったら仰有ってください」との言葉が述べられました。④午前8時、最後の入院食を戴きました。⑤9時前、理事長さん直々に顔を出されました。丁寧に、厚いお礼を申し上げました。⑤9時20分、最後のリハビリが終わりました。担当して戴いた理学療法士の方に心からのお礼を申しあげ、更に退室時は後ろを振り返って専用室に向かって頭を下げました。⑥10時前、同室だった若い男性が退院の挨拶に来られました。私よりほんの少しの時間、それが早かったようです。その方は私より遙かに年齢が若いので私が、ご活躍されることを口にしますと、同じように私に返されました。(終)

 

 

 

 


術後4日目から退院まで その4

2024年07月08日 | ブログ

術後12日目 ① 担当の理学療法士の方が休暇の為、その代役として先輩理学療法士の方が指導されました。後に振り返ってみればその方は、入院当日、本来担当の方と共にリハビリについての案内をされていました。この日のリハビリは午前10時であることを知らせに私の病床を訪れられましたが、その後、周歩きをしているときに再びお会いし、リハビリ開始時刻を少し早めて良いかを尋ねられました。勿論私はOKしました。リハビリでは、退院後、杖を使用することを相談しましたが、それは使用しないよう指導されました。抱えていた課題の1つが解決しました。② 前病室で一緒だった若い男性を妻と訪れ、紹介しました。県外の勤務先での共通項があったからです。この病院では面会は20分以内と定められていますので会話時間は僅少でした。術後13日目 特に記すことなし 術後14日目 ① 本日のリハビリは9時と13時の予定でしたが午後のそれについては専用室のベッドに空きがないことから私の病床で行われることになりました。② 夕方の周歩きを10周に増やしました。これで、1回の歩数は1,000歩強となりました。術後15日目 この日は午後のリハビリはありませんでした。その午後、理事長さんが来室されて退院後1ヶ月~1ヶ月半経過後にレントゲン撮影をする旨を告げられました。術後16日目 ① 昨夜のことです。実に、実に奇妙な音「キュッ、キュッ」が夜通し発し続けられました。それは今までの私の人生で、就寝時に耳にしたことがない音でした。恰も、それは新しい革製品同士をこすり合わせた時に起きる音を想像させました。音量は大きくなったり小さくなったりの繰り返しでした。ただ、他には一切、何の音もなく、ただその音のみでした。隣ベッドの方の「歯ぎしり」だったのではないか、と想像しました。② 入院時最後のシャワー使用をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 


術後4日目から退院まで その3

2024年07月07日 | ブログ

術後10日目 ① 採用していた「2周歩き」を一挙に、「5周歩き」に増やしました。1周は100歩強でしたので1回の歩きで500歩のウォーキングをしたことになります。② 看護師の方により傷痕に貼ってあったガーゼが取り除かれました。そのことで私の身体には左手首近くの、氏名とバーコードを記したバンド以外には医療関係の何物も着いていない状態となりました。そして、理事長さんの判断で6月いっぱいでの退院が提案されました。私はスマホで妻に連絡を入れてその旨を伝え、その都合を検討した結果、退院の具体的な期日と時刻を決めました。そして病院側にお伝えしました。③ リハビリに向かう途中、廊下で理事長さんと遭遇し前述の退院日を改めて直接、伝えました。その後、お互いはその場を去りかけましたが理事長さんは直ぐに引き返してこられ、その時点でも私に残っている腰の痛みは今回の骨折とは無関係であろう、との考えを述べられ、私も以前からそのように捉えていましたので、そのように答えました。④ 午前の定例検査の為病室に来られた看護師の方がその仕事を終えられた後、自発的に「手術痕の写真を撮りましょうか」と尋ねられました。喜んでお願いしました。初めて目にする自分のキズでした。⑤ 偶然にもその職場が我が家の直ぐ近くだった方を奥様が定期的に訪ねて来られますが、その話し方を聞いているとご主人に対する愛情が1点の濁りも曇りも感じられない、真に心の底からのものであることを感じました。そしてそれは所謂、垢抜けした口調でもありました。私はその感想をご主人に伝えました。術後11日目 ① 原因は全く不明ですが右足薬指の爪で、小指側の部分が割れていました。その部分の肌が赤くなっていたことからナースステーションを訪れてバンドエイドを戴きました。私の氏名と病室名を告げようとしますと「分かっています」と看護師さんが。この怪我を契機に、リハビリ時はそれまでの素足から靴下履きに変えました。② 午後のリハビリ時、担当理学療法士の方から足の指の爪切り方法を教わりました。私の怪我がなかったら導かれなかった指導で、正に文字通り「怪我の功名」となりました。③ 前述⑤で書いた当事者、奥様が私の病床に挨拶に来られました。ご主人から促されてのことでした。  

 


術後4日目から退院まで その2

2024年07月06日 | 日記

術後5日目 病床が変わったことから、私担当の理学療法士の方は新しい病床へ来られて、その環境整備まで手伝われた。午後のリハビリ時、一時的に私は歩行時の手と足の運びが分からなくなり、前に出した手と足が同じ側となって、それを訂正できなかった。私が「まるで阿波おどりみたい」というと彼女は頷かれた。6日目 洗髪する日のシャワー使用時は直前使用の方の持ち時間の余りを利用することを思いつき、それを実行した。そのことで余裕をもってシャワーできた(但し、私の持ち時間がまるまる余ってしまった)。7日目 担当理学療法士の方の付き添い・指導の下、病院内の通路の上り下りや通常歩行の様子が確認された。その結果、使用していた歩行器が撤収された。8日目 この日に、担当理学療法士の方の口から、そのお父さんの生まれられた月日が知らされた。年齢は59歳とか。(ということは彼女は私にとっては孫のような存在)彼女のアドバイスにより、この日から自主的に歩行訓練を開始した。病院の建物は言わば長方形みたいになっているが、その2階は各辺に沿って病室などが配置され、中央の部分は「島」のような作りとされている。その一角にナースステーションが在る。従って、2階に限ってその島の周囲を周回できる。患者さんはそこを利用して歩行訓練される方がおられる。私は、日に2回、それを実行することにし「2周歩き」と名付けた。9日目 抜糸の処置が入ったことによりリハビリ開始時刻が少し遅れた。1階の専用室に向かって階段を下りていると、すれ違う瞬間、「あっ、○○さん」と、女性の方が私の名前を呼ばれました。前述の方に代わってその日午後のみ私のリハビリを担当される理学療法士の方でした(このケースで、中国雲南省昆明空港での、現地ガイドさんとの出会いを思い出しました) 


術後4日目から退院まで その1 

2024年07月05日 | 日記

手術後の病院側の対応は略、同じ医療行為の繰り返しでしたので、この後は日々ごとの記録からランダムに纏めた事柄を記載していきます。①私担当の理学療法士の方のお父さんは私と同じ月日の生まれ。②病室が同じだった若い男性は仕事で、私の妻が勤務していた機関(県外)に出入りされていた。③同じく同室だった別の高齢男性の勤務先が我が家から200mほどしか離れていない場所であった時期があった。④リハビリでは器具類は一切使用されず全て人の手で行われた。⑤リハビリ項目の中で、片足立ちが、目を開けていても全く、といってよいほど出来なかった。⑥私の病室からリハビリ専用室迄は当初の4回は担当の理学療法士の方が付き添われたが、5日目以降は独りで足を運ぶことが求められ、それを実行した。⑦最後のリハビリとなった退院日のそれでは、その終了後、部屋の出口で振り返り頭を下げて感謝の気持ちを捧げた(大相撲の力士が取り組み終了後に土俵に向かって行うように)。⑧「人間万事塞翁が馬」を彷彿とさせる事案があった。私が落下事故を引き起こして入院した不幸が招いた、運良く無関係となった不運な出来事。⑨病床上で足を組んでいるところを、偶々、部屋前を通りかかられた担当理学療法士の方が目に留められ、その格好は止めるように注意を与えられた。ベッドに仰向けに横たわっていると自然に足を組みたくなるが、その度にその注意を思い出して取りやめるようになった。⑩術後5日目、病室が変更になった。この病院では病室について一定の流れを設けてあるようだ。手術当日はナースステーションが在る同じフロアー、その後ある期間がきたら1階上の病室、更に療養が必要で退院時期が長引く方は同じフロア-の別の場所、となっているみたい。私は1度の変更で済んだ。部屋の移り変わりは患者さんは自分の身体のみ移動させれば良く、沢山所有している物品等は収納ボックス等がキャスター付きのため病院側の職員さんで行われる。実に簡単で合理的。

 

 

 

 


訂正とお詫びです

2024年07月04日 | ブログ

去る6月30日付の記事「病床日記」中、その6行目の 「 入院日、午後の食事は病院提供のものでした。」は、入院前日でなく、入院日の誤りです。誠に申し訳ございません。訂正してお詫び申し上げます。この記事にコメント戴いたことで改めて読み直し、その誤記に気づきました。


術後3日目

2024年07月04日 | 日記

昨夜の周囲の状況から、その夜は睡眠はとれないかも、と予想していましたが、その通りとなり遂に、一睡も出来ませんでした。例の、私が代わってナースコールをして差し上げた方の状況があったからです。その最大の理由はその方の凄い「いびき」なのですが、私は私でトイレ起きが甚だしく頻繁だったのです。(このトイレ起き状態はその日に限ったことでなく入院後毎日でした。)水分は充分に摂り運動はせずただ、ベッドに横たわっているだけですので汗をかくこともなく、当然にその原因を創り出していました。手術後は毎日、退院日まで病院としてのルーティンがありました(後半では一部カットされた計測もありますが)。起床後、昼過ぎ、午後3時すぎ、そして夜、看護師さんによる各種の確認がありました。血圧、酸素濃度、体温の測定、傷口のその後の確認、足指の機能検査、服薬確認などなどです。担当の理学療法士さんも同様に毎日、午前8時20分頃に来室されその日の私のリハビリ予定時刻を告げられました。午前は9時、午後は1時がその殆どでした。そしてこの日が私にとってのリハビリ専用の部屋の利用となりました。リハビリの数種の施術は、極めて優しく、柔らかく、ゆっくりとした速度で為されていきました。このことは私には「目から鱗」でした。強く、時には激しくするものだと思い込んでいましたし、それが効果をもたらすのだ、と解釈していたのです。私の、シャワーの初使用日でもありました。午前に来室された看護師さんが予約を入れていてくださったのです。シャワと入浴については予約制となっていて、それぞれの入り口前に掛けられたボードに病室名と氏名を書いて予約することになっています。1回のそれに充てられた時間は30分間です。私がナースコールをして差し上げた方はその後、甚だしい回数のナースコールをされていました。終わったかと思うと直ぐ又、と言う具合です。加えて、間違ってボタンを押されたことも多かったです。ただ、看護師さんはその都度、駆けつけられ、1度も見放されたことはありませんでした。それに私にとっては不思議なくらいに皆さん、親切で丁寧に優しくその患者さんに対応しておられました。私が代理した初回などは数人で駆けつけられました。正に、どうしてそんな対応が出来られるのか不思議に思えてなりませんでした。(私たちの病室はナースセンタの比較的近くであったことから、センターでベルが鳴る音が聞こえていました)


それからの病床

2024年07月03日 | 日記

術後2日目                                           朝、点滴2種、夜を徹して身に付けていた各種計測器具(心電図、血圧計、酸素濃度計測器それに伴うディスプレイ)が取り除かれました。身体清拭、手術着から普段着への切り替え、血栓予防ストッキングの取り外しが行われ夜には最後の点滴開始手術痕の確認、服薬実行の有無膀胱まで挿入されていた管の取り除き(長さ20cm。人生初。このとき僅かな痛み)私のリハビリ担当の若い女性理学療法士の方から午前と午後、指導を。各種の実行前後に血圧、酸素濃度計測、足の機能確認が。遵守事項として、食事・トイレ・入浴時以外はベッドに横たわっていること、コルセットは入浴時以外は就寝時も着用することの指導あり。トイレの使い方、自販機の使い方も実際に現場で指導を受ける。シャワー室に火鋏が置いてあり当初は疑問に思ったが、あとで、それは落とした物をしゃがまず(腰を伸ばした状態で)に拾うためであることを知る。運ばれてきた食事で、その説明票と現物が異なっていたため、後に来室された栄養士さんにそのことを告げる。私の氏名は正確に記されていたことから、完全に間違いとは思えなかったが。記載では米飯だが現物はパンだった。栄養士さんの説明ではこの病院ではそのやり方をしている旨の答えで、その後も同じ状況は繰り返えされた。患者さんに対しての少しの説明が必要である、と思う。入院され、私と同じ病室に来られる高齢の患者さんは全員といって良いほど便秘に悩まれているようだった。(便秘については別途、記すことを考えています。)病院に預けていた日々服用の7種8錠の私の薬(これを病院に持参するのに、ハーモニカ購入により付与されたポイントで戴いたそのケースが役立ちました。)も全て返却され、加えて病院からは念のため痛み止めと胃薬が処方されました。食事に添えられた牛乳の成分が、私が日常飲用しているものと全く同じだったことに安心感と大きな喜びが生まれました。病院は整形外科ですが内科担当の医師も配置されていて、毎朝8時頃に必ず各(?)患者さんの病床を訪れられて様子を覗われ「今日も頑張りましょう」と声かけをされました。病院で働かれる方は全て、その職種を問わず(清掃作業の方達も含めて)お会いすると必ず挨拶を交わされました。スマホを所有していることの有り難さを、その購入後初めて実感しました。妻との連絡が必要となり。去る5月30日の初受診後、同病院医師の方から、手術終了までその使用を止められていたサプリがこの日、解禁になった。手術後、その痛みから絶叫状態が続いていた同病室の高齢の方に代わって私がナースコールをして差し上げた。