クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

夏越しの大祓い

2019年06月30日 | 歳時記
「水無月の 夏越しの祓する人は 千歳の命 のぶというなり 蘇民将来、蘇民将来」、1年の半分が終わる今日に関わる言葉です。私がお宮に関係していた10年間は毎年、この日が近づくと近くの川原に行って茅を採取しそれを使って関係者数人で「茅の輪」を作っていました。そして、作った物は楼門に取り付け本番の今日に備えていました。恐らく今も同じ祭事が大なわれている筈ですが、午後3時からでしょうか氏子の皆さんは拝殿で宮司の方の祝詞などを聴かれた後、紙製の人型を受け取られそれに自分の息を吹きかけ、人型でご自分の全身を触られます。其処までが大祓いだと思いますが、その後はいよいよ茅の輪くぐりです。輪をくぐって左へ、次に右へそしてもう1回左へ。回るときに唱えるのが冒頭の文言ですが、本当は2回目、3回目は別の表現となります。しかし、私は1回目だけに留まりとうとう、後は覚えきれませんでした。否、覚える気がなかった、と言うのが正しいです(職務怠慢)。今日は生憎天気が悪いので実施に至れるのか気になります。因みに、我が家では妻が毎年の拘り、「みなづき」作りをしています。

何故、其処に・・・

2019年06月29日 | 自然
今年も又、同じ場所で盛んに生きています。「ハグロトンボ」です。20匹くらいは居て近寄ると逃げて飛び回ります。羽根は真っ黒に見え身体は濃いブルーと云ってもよいと思います。庭で生きている65年近くにもなる柿の木の下ですが、繁った葉が日射しを遮り湿気も常にありますので生き物としては願ってもない条件が在るのかも知れません。私はそのようなトンボは川べりで観たことがあり、そういう場所が生息場所だと思ってきましたが毎年、我が家の庭でそれを、しかも多数観ることが出来ることに疑問が湧いてきました。冬もその辺りで過ごしていることも考えられます。上記の、川べりで観たトンボは「川トンボ」というもののようで、これは羽根の色が茶色です。私が写真を始めた頃、隣町の小さな川の石の上でそれが羽根を広げた時、その形と色が石にも映りましたのでフィルムに収めたことがあります。身体全体の形や大きさは同じに見えますが羽の色が我が家で観るのとは異なりますので“似て非なるもの”なのでしょう。

自動翻訳

2019年06月28日 | ブログ
昨日の新聞に1段を使って自動翻訳に関する記事がありました。執筆は女性の言語学者の方です。私は記事に気づかなかったのですが妻が教えてくれました。イタリア語を英語に翻訳するのには問題無かったが、日本語を英語に、日本語を中国語に翻訳するケースで正確でなかった例が示してありました。前者では大阪メトロの「堺筋線」の「筋」が「マッスル」と訳され、後者では「香港が中国の一部になるのはとても悲しい」が「とてもうれしい」となっていたそうです。このことから、そこに潜む問題は翻訳の危険性であることが述べられていました。場合によってはそれ故に思いもしない意外な表現となり笑いを誘ったりして生活に潤いをもたらす事もあるかも知れませんが、重要なケースでは取り返すことが出来ない事態を招くかも知れません。私が購入した携帯用の自動翻訳機は喋った言葉も文字として画面に表示されますので正確に翻訳されたものと推量しますが翻訳後の英語、中国語などは分かりませんので断定は出来ません。因みに、今回の新聞記事に在った言葉について確認してみましたが正確な翻訳だったように思います。

写真活動に携わっているという実感 フィルムカメラ

2019年06月27日 | 写真
ドライキャビネット内の奥で眠らせていたフィルムカメラを前面に置き換え、他のカメラに転用していた同カメラのストラップも元どおりに付け替えました。(デジカメ用のストラップがあまりにも派手でケバケバしく、使うのに抵抗があったことからフィルムカメラの物を利用していました。)そして、時期尚早と思えなくもありませんが今後の実際の撮影に備えてカメラ操作の練習に入りました。長年に亘って私に付き合ってくれ、私を育ててくれたカメラです。愛着は強く、深く、手に取るだけで何か充実感、満足感が湧いてきます。ブータン、インド、中国少数民族訪問そして徳島阿波おどりと、とことん、活躍してくれました。それでも電池を入れてカメラ操作に当たってみますとその方法は記憶が薄れてきていました。しかし、模擬的にフィルム装填や撮影終了後のその取り出しなどをしていましたら写真活動に携わっている、という実感と喜びが体中に満ちてきました。

季節が進み、吹く曲も変わりました
「海」、「たなばたさま」、「みかんの花咲く丘」、「夏は来ぬ」、「茶摘」がこの時季のメインとなりました。その他「坊がつる讃歌」、「鞠と殿さま」、「長崎の鐘」、「月の沙漠」「青い山脈」、などなど思い出したものを気まぐれに吹いています。この内、最後の2曲は僅か1小節にもみたない程度ではありますがイントロで少し難しい部分が在り、のろまの私にはなかなか円滑に演奏出来ませんのでその克服の為の意味もあります。ついでに書きますと、「青い山脈」では生涯忘れられない情けない出来事がありました。日頃の練習の発表の場、ホールいっぱいに訪れられたお客さんの前で演奏する機会がありました。演奏はメンバー全員でするようになっていましたが、イントロだけは私が単独で吹くよう先生から指示されていました。練習の時点から不完全の侭で推移してきていましたし、当日も同様でした。私のストレスは極限に達しパニック状態でした。本番は当然、後悔そのもので終わりました。その後、私はハーモニカを触りたくありませんでしたし、見たくもなくなりました。元に戻るのにどれだけの期間を要したかは覚えていませんが、今でもその部分は完璧には吹けずにいます。練習を繰り返すしかありません。 

幸せ~!!を感じる我が家の場所

2019年06月26日 | ブログ
昨日は真夏を2乗も3乗もしたような入梅前日の暑さでしたが、夕刻近くには降雨の前兆の蒸し、蒸しまで加わりました。我が家は築後80年を経過した和風の家屋と、老朽化して危険となったために取り壊し同じ場所に20年ほど前に建てた洋風の家屋とで成っています。前者はよく耳にするように確かに夏向きの建物で、冷房のエアコンを使わなくても何とか過ごせますしその状況下で昼寝も可能です(ただし、冬は地獄と化します。畳の上に毛糸で編んだ座布団を置いてその上ででないと着替えも出来ないくらい足から冷え込んできます。それは殺される、と思うほどですが理由は、床下は土の地面の侭で人がもぐれるほどの空間があり、風がビュービューと流れるからです)。これまでの夏は常に昼寝は同所でしていました。しかし今、新しい場所を探し出しました。洋風と和風の家屋を結ぶ廊下がそうです。両家屋の間に作った部屋の障子戸を反対側に移動させその奥の戸を開けますと、南から直接に風が流れ込んできます。部屋の中を通ってですので風は温度を下げていて、その場所に茣蓙を敷いて眠る心地よさは至福の時です。

可哀想でなりませんでした

2019年06月25日 | ブログ
TVで「運命」の演奏を視聴しました。勿論、ベートーベンの作品ですが、演奏を指揮される方の存在感に焦点が当てられて過去に放送されたものの中から特に選び出された名演奏という趣旨でした。私は本当に久し振りにクラシック音楽を聴きました。何年ぶりに・・と言って良いほどです。勿論、その演奏の終わりまで席を立たずに聴き入り満足感に浸りました。しかし、耳を傾けている途中ふと、閃いたことがありました。それは虐待により死亡した幼子のことです。東京と千葉でそれぞれの親が起こした事件です。犠牲になった幼子達、本来なら生きていて好きな音楽を聴き、好きな絵画を観るなど、この世に生まれてきたことに対する喜びを感じる権利を持っていたのに、です。そういう世界を知ることも叶わず毎日、毎日、苦しみと忍耐だけで過ごさざるを得なかった2人のことを想像し、本当に可哀想でなりませんでした。手を合わせずにはおられませんでした。

共同謀議+共同無断侵入+共同占拠

2019年06月24日 | ブログ
前回の草取り作業以降、視線を注ぐのはフジバカマ、黄唐辛子、ハイビスカスローゼル、桑の木でした。しかし、空き地に視線を向けてみましたらヒメジヨオンが丈を伸ばし目立っていました。背が高くなった草が悪い意味で引き立て役になってその場所全体が雑草だらけ、の感をもたらしていました。このことからそれらの除去に着手しました。ところが何と、その長い茎に巻き付いて私にとっての天敵草ヤブガラシがのさばっていたのです。私が思いますにヒメジヨオンとヤブガラシは私に見えない所で、私に聞こえない小さな声で密議を繰り返し共同して侵入・占拠することを計画していたのに違いありません。土地の持ち主の私に一言の相談もせずに。土中の根を伸ばすことによって成長するヤブガラシを完全に除去するのは不可能ですし、地上に現れたもの全てを取り除いた訳ではありませんが、ヒメジヨオンは全て根から引き抜くことが出来ました。ネットで調べてみますと両方の草は何れも食用とはなっていましたが、とてもそれらを口に入れようとは思いません。

養蚕の全過程経験は私の宝

2019年06月23日 | ブログ
2度に亘って撮影させて戴いた養蚕の全過程、今思うと本当に、本当に有り難い事で時間が経過するに従って増していくその重みを感じています。私が関係した養蚕農家の方が2軒とも養蚕から撤退されましたので、それは尚更のことです。単に、昔のやり方を私が懐かしむ、ということではなく養蚕の基本が其処に存在していたように思いますし人と蚕の間で会話が在り人と蚕が一体になっていたのではないか、とさえ思っています。撮影させて戴いてたことはありませんが、わざわざ隣県から養蚕・繭作りの為に移住してこられた若い1人の女性の方の存在はその意味からも極めて貴重となります。新皇后陛下が継承された養蚕も同じです。最近はこの地域の近くに現代的設備を備えての蚕育てや繭から色んな製品を作る会社が発足しましたが、それは工業的に事を運ぶ方法のようですから私には興味の対象とななりません。

梅雨の鬱陶しさを忘れさせる清涼感 アガパンサス

2019年06月22日 | 植物
 
ブルーが鮮やかでしかも気持ち良いです。天へ向かってスクッと伸びた茎も観る人にスッキリ感を与えてくれます。厳しい陽光の中でも鬱陶しい天気の時も清々しさを味わえます。

早速準備 フィルム用カメラ
モノクロフィルム復活の情報を得て早速、カメラの準備をしました。と、いっても仰々しいことではなく、ドライキャビネット内でデジカメの奥に押し込んでいたのを手前に移動させただけですが、長年使い続けていた物だけにそれだけでも気持ちに高ぶりが生まれています。今後発表されるフィルムや関係薬剤の価格を確認しないと実際に使用に至るかどうかは不明ですが、フィルムは我が家の冷蔵庫の中に35mmが15本、ブローニーが10本残っています。使用期限はとっくに過ぎていますので果たして使えるかどうかは分かりませんが・・・。

モノクロフィルム復活

2019年06月21日 | 写真
35mm、ブローニーその双方のフィルムがこの秋に製造開始となる旨が先日、報道されました。とても嬉しい情報でした。歴史は繰り返す、と言われますのでいつかはその状況が現れる、と想像はしていましたが、私が生きている内には無理かもとの思いが強く在りました。ドライキャビネット内で眠っている前述双方のサイズのカメラが再び日の目をみるかも知れません。しかし、其処には私にとって問題もあります。1つはそれらの価格です。今のところそれについては発表されていませんがあまり高価だと使用に逡巡してしまいます。また、フィルム現像用の諸薬剤(現像、停止、定着、促進、乾燥)がどのような価格になるか、の問題も在ります。更に、実際の処理作業ではデジカメとはおよそ比較できない膨大な時間、労力が必要となります。暗室も作業用の諸々の器具類は露光機も含めてそのまま維持はしていますので、再開はいつでも可能なのですが、写真活動に携わる実感や完成写真の味わい、やさしさ、やわらかさを採るか、便利さ(デジカメ:露出決定の結果が即座に分かりますし、モノクロ用の各種フィルターも機能として具備されていますのは私にとっては極めて有り難い事なのです)を採るか、かなりの勇気がそれには必要となります。

瀬戸内島めぐり 写真 その3 (完)

2019年06月20日 | 写真

   写真1      2       3     4     5       6


   写真7

写真1~ 3:尾道の港近く、丘陵に所在する「千光寺」。3分ほどだったでしょうか、その寺まで行く為に利用するロープウェイの所要時間は。其処には大きな岩石が多数、存在していました。
写真4:尾道市街地で見つけた場所。丘の上に立ち並ぶ住宅への急傾斜の階段、その入り口に在るJRの踏切、私がカメラを向けたくなる光景でした。その時、若い2人の女性が現れて記念撮影、更に中年男性も通りかかられ階段を上り終える地点から撮影されました。その場所に興味を持ったのは私だけではありませんでした。
写真5:JR徳山駅構内。以前は「徳山市」といっていたのが合併により現在は「周南市」。今回初めて変わったことを知りました。
写真6:周南市出身写真家 林忠彦の常設展示があった美術館。太宰治の真似をしてタイマー使用の自撮り。隣室は、同市出身の詩人まどみちおの常設展示場。
写真7:広島でのお好み焼き店。



 

瀬戸内島めぐり 写真 その2

2019年06月19日 | 写真
     
   写真1      2       3        4      5     6 


   写真7

写真1:土庄港(高松からの船が着く港です)。小豆島のシンボル「オリーブ」をイメージしたオブジェで奥の船はフェリーです。
写真2から4:「二十四の瞳映画村」の塀。写真3で子どもを背に乗せておられるのは多分、三木のり平。写真4では右からの2人は高峰秀子、その次は三宅邦子その先は原節子だと思いますが、間違っている部分があるかも知れません。
写真5:借り受けた高箒に跨がって「魔女」になった雰囲気に浸る若い女性。
写真6:放し飼いの猿園で生まれた子猿。沢山の猿の中に親子も相当に多かったです。
写真7:宿泊したホテルから観た沈む夕陽。



瀬戸内島めぐり 写真 その1

2019年06月18日 | 写真
        
  写真1     2     3      4    5      6       7             
  写真8
写真1:初日、高松駅に着いて直ぐ発見、虹。
写真2:直島へ向かう高速船。計画ではフェリー利用でしたが間違ってこれに乗って仕舞いました。
写真3:芸術家 草間彌生の作品現物は港にオブジェとして存在していましたが、ここでは車に描かれたものを記録しました。
写真4:色んな作品が展示された小さな集落での1景です。
写真5:写真4に同じです。
写真6:個人住宅の塀に展示された同家居住の方の作品群です。
写真7:高速船やフェリー発着港の近くに展示されたオブジェです。偶然に若い女性がそれを利用して撮影していました。
写真8:昼食したカフェ。店内も一般の住宅をそのまま使ってあり、都会から移住してこられたと思われる若い女性達だけが店員でした。客の収容可能は10人強だったでしょうか。



(3-1)+1 瀬戸内訪問 その5

2019年06月17日 | 日記
旅行3日目は尾道訪問でした。私は初めて足を踏み入れました。新幹線の駅から市街地までは少し離れていましたのでバス利用。到着後は直ぐ近くの波止を散策しました。出会った方に道を訪ねますとどの方もとても親切で、説明を聞きながら歩きました。この日は広島市で宿泊ですのでそれまでの時間はたっぷりとあり、バスの1日乗車券600円を有効に使うことが出来ましたしロープウェイもそれを利用出来ました。広島では駅とホテルとの往復のみで終わり、名物のお好み焼きを食べましたが感想は特にありません。

旅行の最終日 各駅停車の普通列車を利用して2箇所で途中下車しました。内1箇所では美術館を訪れ常設展示として同地出身の写真家 林忠彦が紹介してありましたので其処で入場料を払おうとしましたら「高齢者の方は無料です」との案内が返ってきました。嬉しさより、ただ顔を見ただけで高齢者と分かるのだ、との驚き・ショックが先に立ち自分の存在が情けなくなりました。直後には無料入場出来る事の嬉しさを感じはしましたが。自分が高齢者であるとの自覚はあっても突然、知らない人から知らない土地で、予想しない場面でその表現が飛び出すと瞬間、ショックに陥ります。会場内では林忠彦が作家太宰治を撮った時の場所が再現されていて、そこでは来館者が自由にカウンターや椅子を利用して同じようなポーズで写真撮影出来るように用意されていました。私も、カメラのタイマーをセットして太宰と同じような格好で撮影してみました。今にして思いますと、もう少し時間を掛けて念を入れて撮れば良かった、と悔やんでいます。途中下車のもう1箇所の駅ではただ1人しかいないと思われる駅業務に当たっていた中年女性が何と、愛想が悪かったことか。笑顔は全くなくお客さんへの接し方も突っ慳貪、お客さんに対する感謝の気持ちが全くなかったのでは無いか、と思いました。その地域の玄関とも云える場所でのそのような姿は地域にとっても大きな、大きなマイナスです。

アイスクリーム(バニラ)私には“今いち”

2019年06月16日 | 日記
訪問2島目は小豆島でした。定期観光バスを利用しての所要5時間強に及ぶ島巡りを採り入れていましたので所謂観光スポットは網羅したのではないでしょうか。本当は私はこの方法は好みません。どこか1箇所を徹底して歩き回るのが好きです。同島にはかなり昔1度、訪れたことありますが、その内容は殆ど記憶に残っていません。もし、記憶に在ったとしたら現在の様子に隔世の感を持ったのではないか、と想像します。今回の旅での宿は当初は私が会員となっているホテルを3泊とも利用するつもりでしたが、1泊くらいは普通の宿に泊まりたい、との妻の希望で小豆島のみそれを予約しました。ホテルは大きく綺麗でしたし、浴場も広くて綺麗、ゆったりとした時間を過ごすことができました。勿論、瀬戸の海を見渡せましたし沈む夕陽も拝めました。食事は夕も朝もバイキング。この形式の時にいつも私が拘るアイスクリーム(バニラ)も揃えてありました。しかし私にとっては非常に残念なことに“今いち”の味でした。定期観光が終了した後にでも独自に何処かをウォーキングしたらこの島に強く具体的な印象が残ったかも知れませんが、団体の一員としての行動でしたのでそれほどまでの感動、満足は生まれませんでした。映画「二十四の瞳」映画村の水路で真鯛が泳いでいるのにはビックリしました。これまでは鯉など淡水魚しか見たことがありませんでしたので。