クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

50年前の 噂

2016年04月27日 | 日記
 「地震があっても、熊本は阿蘇山があり九州の中央部でもあるから、他の県は襲われても熊本は大丈夫ですよ」と聞いたことがあります。50年も前のことです。そのような事が地震と関係するのか疑問に思いましたが、心の中では自分で勝手に想像してその根拠を組み立てたりして少しの安心感を抱いていました。そして、その発言の内容と同じことを他の数人からも今回の地震で耳にしました。広い範囲で噂が広がっていたのは間違いありません。。
 噂の内容がちゃんとした科学的根拠に基づいたものであったとしたら、自然現象は人知を超えることの証ですし他方、流言飛語に属するものだったら誰かが思いついたことを口にし、それが勝手に1人歩きしてきたのでしょう。
 今回の「平成28年熊本地震」は専門家でさえ理解できない大地震となっています。

今日は剪定作業を

2016年04月25日 | 植物
 2日続けての草取りは腰に異常を来しますので今日は見合わせました。そのかわりとして、徒長を続ける植木の剪定に着手しました。隣り合わせの植木は枝が重なった部分があり風通しが悪くなっていましたので、その改善にも役立ちました。勿論、見た目もそれまでと比べてスッキリとなりました。ただ、松だけは私の出番ではありません。
 作業の途中、少し、危険なことをしました。高所剪定時に足場とした棚です。金属製で本来は商品陳列用の物ですがもう、相当以前から屋外に放置し雨ざらし日ざらしで錆びだらけなのです。高さは1.5mほどはあります。壊れる可能性も在りましたが幸い無事な内に地面に足を下ろすことが出来ました。今後はもう、そんな危険はおかしません。
 地震は今日の午前零時すぎにまた、かなりの揺れを伴ったものが起こり、相変わらず継続しています。

今年も又、草取りを開始しました

2016年04月24日 | 植物
 3日前だったでしょうか今年初の草取りをしました。先ずは手慣らしにあまり、草が生えていない駐車場を対象としました。その場所は長方形をしていて長辺2箇所、短辺1箇所でその線に沿って草は在ります。いわば舗装が行き渡っていない部分です。雨上がりが草取りに最適ですのでその日の条件は揃っていました。
 そして今日、2度目の草取りは別の空き地でした。自然条件は申し分なしで雨上がりの曇り空でした。そこは面積が広い上に全面草地ですので長期戦となります。従って、作業1回の時間を決めています。今回はその予定時間を終えた後、“天敵草”のみの除去に集中しました。いつ頃芽を出したのかかなり成長したものもありました。意外でした。

本当に勿体ない「命」

2016年04月23日 | 自然
 地震の揺れでは失われなかった命が、その後の避難生活の中で失われていっています。所謂、「エコノミークラス症候群」がその1つです。現実にはそれによる死をゼロにすることは不可能かも知れませんが、努めれば完璧に近い確率で防止できるのではないでしょうか。折角助かった命をこのようなことでなくすのは極めて、極めて悲しく残念なことです。
 私が住んでいる地域は地震発生回数は激減しましたが、それでも時折、ドンという音がして家がミシッと音を出すことは続いています。瞬間ではありますが。

熊本地震、それでも恵まれている3つのこと

2016年04月21日 | 自然
 震源地があちこちと動き、しかも本震と発表されていたものがそれよりも激しい地震が来たことから余震と変更され更に、激しい余震が延々と続く熊本地震。しかし、火災の発生が1件に留まり津波もなし、加えて放射能の心配もない、これはとても、とても有り難いことです。
 今回の地震で震度7が2回も発生した益城町に住まわれる妻の知人の方は最初の地震で手にケガをされたそうですが、2度目の時は就寝中に襲われベッドごと上方に跳ね上がって落下、その後はどのようにして屋外に脱出されたか、全く記憶がないとのことです。
 

商品売り切れ、交通渋滞、レジでの長い列

2016年04月20日 | 社会
 私は殆ど家に留まっている為まだ、経験していませんが、スーパー、コンビニなどで商品は売り切れ、幸いに購入出来てもレジでは長い列の中で待つことになっているそうです。また、交通の渋滞も甚だしい、とのこと。品物の購入に遠隔地の方々が押し寄せて来ておられるようです。道路も高速道が通行止めとなっている事も重なり、一般道路に車が集中して普通なら1時間で到達出来る場所が3時間以上もかかっているようです。
 そして、極めて重要な問題があります。原子力発電所です。関係者は「科学的には何の問題もない」と、この状況下でも公然と言い放ち、稼働を停止させる考えを全く、持っていません。自然は人知を超えるのであり、想定外だったでは済みません。万が一のとき、関係者が責任をとっても何の意味もそれは持ちません。停止させたが地震は来なかった、これが最高の人知の筈です。
 余震はまだ、まだ続いています。エンドレスではないか、と思えるほどです。果たしてどのような状態が地下の構造に出現した時に今回の地震は矛を収めるのでしょうか。

後を追う「緊急地震速報」

2016年04月18日 | 自然
 地震による揺れが休止している晴れた日の屋外、歩いていると本当に今、非常事態の真っ只中にあるのか、と自分を疑う錯覚に陥ります。考えてみると、それはそうです。地面の揺れさえなければ現状には何の問題もないのですから。ところで、「緊急地震速報」が今回は頻繁に発せられます。それは本来はとても有り難いことなのですが、悲しいかな今回のそれは地震の揺れの後を追う形になっています。TV画面にそれが表示されたときは既に揺れが起きていたり、収まっていたりしているのです。身を守る行動が間に合いません。地表から10kmという浅い部分の震源がその現象を作り出しているとのことです。

これでもか、これでもか、はまだ、序の口でした。

2016年04月16日 | 自然
 「熊本地震」発生の夜と未明は甚だしく頻繁だった余震ですが、夜が明けてからは激減しました。そのことから今回の地震も次第に落ち着いていくのでは、と思っていました。ところが、なんのその、今朝など息をつかせない位の頻度で激しい揺れが見舞い続けました。震度5強の揺れがまだ尾を引く中で次の地震発生、というパターンが何回も起こりました。気象庁もそれまでの本震・余震の表現を訂正してそれらを「前震」と発表しました。今朝の地震が本震となったのです。初めて耳にした名称ですが、今朝の状況の過酷さから判断すれば、これでもか、これでもか、はまだ、序の口でした。
 

これでもか、これでもか正に、集中攻撃

2016年04月15日 | 自然
 昨夜の地震、命、身体の危険さえ感じさせるもので生まれて初めて経験する酷さでした。しかも、本震といってもいいような余震が数分おきくらいに未明中、発生し続けヘルメットを頭から外すことが出来ませんでした。正に、熊本を集中攻撃です。あの熊本城の石垣が崩れたことが今回の地震の強烈さを物語っています。
 そうとう以前、「他の県はやられても熊本は大丈夫」と聞いたことがありますが、それが正しくなかったことが証明されました。(他の地域ならもっと、被害が大きかったかも、と捉えるなら前述の考えは正しい、と云えますが)

カミはカミに通じる

2016年04月14日 | 日記
 紙は神に通じる、と書きます。この言葉は数十年前、私の家に手伝いに来ておられた老女の方が言われたものです。その方は使われたちり紙(その頃はティッシュなど在りません)がまだ、使えるものだったら大切にポケット(当時は「おとし」と云ってました)に仕舞っておられました。標題の理由で紙をとても大切に扱っておられたのです。
 私はその言葉が今でも身体中に染み渡っています。広告紙やPCプリンターで試し刷りしたものなど裏面が使える紙、印刷してあっても余白が多いものなど、必ずメモ用として保存しています。従ってそれらは増え続けるばかりです。更に最近は買い物した折に貰えるレシートもそれに加えました。
 レシートは小さく切り分けて毎朝起床直後に行っている血圧測定の結果を書き留めるだけに使います。その大きさで何の不都合もありません。血圧測定は日に1回ですが店から貰うレシートは長細いので1枚から3、4枚のメモ用紙が取れますので買い物に行く度に紙は溜まり続けていくばかりです。今、生きている内には消費しきれないほどの量になりました。
 因みに、我が家では肖像画入りの横長の紙は確実に減り続けるばかりで、溜まることは決してありません。パナマに行く経費もありません。

懐かしの小径

2016年04月13日 | 日記
 この小径は60年以上も前から在るものですが、つい先日、そのほんの一部だけ幅員が拡げられ舗装されました。その後、工事の様子は見かけられませんので一応、この状態でピリオドなのでしょう。土地買収が出来ないのか、行政の予算がないのか、その理由は私には分かりません。
 ところで、本題に入りますが、この径は私が中学時代は通学路としても大いに利用されていました。私も当時、使っていたように思いますが定かではありません。と、云いますのはその頃、誰が名付けたのか、誰が決めたのか男女で通学路が異なっていたのです。たしかこの径は女性用だったようにも思います。今思うとなんとも滑稽でいかにも田舎風、封建的な風潮さえ感じられます。笑い話にもなりません。(ついでに添えますと、私達が学んでいた中学校は行政区が異なる1つを含む3つの小学校卒業生からなっていました。私が所属する小学校がその中で最も大きな規模でしたが、にも拘わらず頭の中は古色蒼然と表現して良いものでした。同じ行政区にある他の1校の皆さんには男女間に何の隔たりも感じられず、友人として自由に交わっておられました。いわば、垢抜けしておられたのです。)
 しかし、その頃の私達にとっては道路利用の分別は真剣そのものの仕分けでした。男子が或いは女子が異性側の通学路でも通ったらそれこそ、仲間内で大変な笑われ者になったものです。
 私は今でもこの径をよく、利用しています。車の排気ガスを吸わずにウォ-キング出来るからです。


私がその場に居てはいけないような・・・

2016年04月12日 | 社会
 昨日、医院を訪ねました。初めて訪れる医院です。待合室で周囲をよく見回しますと高齢者は私のみで、男性も若い方が2人しかおられませんでした。若い女性と幼い子どもさんで占められていました。私がその場にいることは間違いではないか、との錯覚さえ起こるほどでした。今、医療機関は何処も高齢者で溢れていますが、其処は珍しい光景があったのです。以前も同じ経験をしたことがあります。関西空港のLCCの待合室です。初めての利用でしたが、部屋についてびっくりしました。若い男性ばかりで高齢の人は1人も見かけませんでした。かなりの驚きでした。何か自分が間違ったことをしているような、その航空会社を利用してはいけなかったのではないか、というような感覚に陥りました。飛行機の出発時刻が迫るまでその不安の中でした。搭乗案内が始まってようやく、私の年齢くらいのお客さん達の姿が現れました。ホッとしました。今後も何処かで同じような経験をすることになるのでしょう。

今度はパンフレット作成に入りました

2016年04月11日 | 社会
 お寺関係の方から依頼を受け、同寺を紹介するパンフレットの作成に入りました。考えているのは今回もA4版で、用紙5枚の両面印刷を考えています。盛り込む写真は総て私が撮影し、20シーン前後になる、と思います。依頼された方々は私に総て任せる、とのご意向のようですが思いの土台が異なりますからそれは不適当で今後、何回かの打合せは必要です。