クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

養蚕8日目(撮影7日目)5月25日

2015年05月31日 | 自然
養蚕7日目は状況に特別の変化がないことが予想されたことから撮影を控えました。


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写真1 食べ残しの桑や糞が取り除かれた後、蚕は網ごと床に戻され、改めて桑が与えられました。  
写真2 「上がった」蚕が投入される「蔟(まぶし)」が用意されました。この時は日光消毒も兼ねてい
    たのでしょうか。蚕はこの1つひとつの区画の中で繭を作ります。  
写真3 繭が出来上がってから、蔟から繭を取り外し更に、繭の周囲に張り付いている「毛羽(けば)」
    を取り除く機械です。一昨年の時は繭外しと毛羽取りは別々の機械でしたが、今回は1度でそれ
    らが行える、とのことです。        
写真4 上部の白い物が繭取り外し、下の金属部分が毛羽取りとのことです。     
写真5 山蚕だそうです。2、3頭混じっていたようでした。桑に付いていたのでしょう。 
写真6 桑の実です。紫色になったものが食用です。私は小学低学年の時以来の出会いですが、あまり口
    にした記憶はありません。(甘みが多い「ムク」の実ばかりを食べていましたので)養蚕家の方
の裏山に在り沢山、実をつけています。ジャムに加工したり焼酎漬けにしたりして利用されます。
勿論、生の侭でも食べて良いものです。この桑の木の葉は蚕には与えない、とのことです。葉は
小型です。

古布「絣」 その図柄


インターミッション

2015年05月30日 | ブログ
蚕が糞を口ではね除ける姿を目撃しました。自分の糞かどうかは不明です。

配蚕から3日目には初日と比較して格段に蚕の身体が大きくなっていることがハッキリと確認出来ました。その成長は凄い早さです。何しろ“食っちゃ寝、食っちゃ寝”の繰り返しですから。  

束にした桑は私にとっては1束でも、担げる限度と言えるほどの重さでした。養蚕家の女性は1人でそれを何回も運ばれました。その方の驚くべき強靱さを肌で感じました。ただ、2回目となった日には初回とは違って少しは負担感が軽くなりました。         

蚕は少なくとも餌のことで仲間と喧嘩することはないようです。隣の蚕と頬をくっつけて同じ桑の葉を食べても、他の蚕の身体の上に乗り上げて食餌したりしても。他の小さな虫などが身体に這ったら身体を振って追い払うようではありますが。

蚕が排出した糞の量はおびただしい量に上りました。蔟(まぶし)に入れるまでに一体、1頭は何個の糞を出すのでしょうか。私はとても興味があります。5齢(4回脱皮の蚕)は凄い食欲ですので相当な数になるのではないかと想像します。蚕1頭と少しの桑の葉があったら実験可能なことではありますが・・・。

 アマガエル
 
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写真1 鳥用巣箱の止まり木に2週間ほど滞在していました。何がそんなに気に入ったのでしょうか。
写真2 皇居勤労奉仕に出掛ける直前、我が家玄関前の「化粧くさり」の中でみつけました。

古布「絣」 その図柄

養蚕6日目(撮影6日目)5月23日

2015年05月29日 | 自然

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写真1 蚕が這っている網が一時、他の場所に移されます。  
写真2 給桑床の上が掃除されます。  
写真3 蚕が食べ残した桑とこの6日間で排出した糞です。凄い量です。黒色で小さい粒です。        
写真4 下段のようすです。上段の作業が終わってから同じ処置がされました。     
写真5 蚕が食べた桑です。 
写真6 取り除かれた桑です。ロープでしっかりと締め付けられてもこの量です。養蚕家の方の所有地に
運ばれて廃棄処分となります。

古布「絣」 その図柄

養蚕5日目(撮影5日目)5月22日

2015年05月28日 | 自然
                 
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写真1 蚕消毒用の消石灰 
写真2 消石灰散布後
写真3 旺盛な食欲のため給桑が切れ目無く行われます。    
写真4 “上がり”に備えて網が日光消毒されます。    
写真5 養蚕家の方所有の桑畑の1つ。ご自宅すぐ裏にあります。
写真6 庭に植え付けられたピーマンに花が咲いていました。
写真7 消毒された網が蚕に被せられます。
写真8 “上がり”の蚕です。後では網の表面は蚕でいっぱいになります。
    この網は“上がった”蚕とそうでない蚕を容易に分別できる他、そ
    の後の作業を合理的に進められる優れものです。
写真9 協会から贈呈された桑の苗だそうです。

古布「絣」 その図柄

養蚕4日目(撮影4日目)5月21日

2015年05月27日 | 自然

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写真1 この作業なら私も手伝えます。
写真3 天井のビニール袋はツバメの巣作り除け。それでも盛んに蚕の上を飛び回ります。蚕を狙いは
    しませんがその排泄物が蚕に付着すると困るそうです。
写真4 一昨年の養蚕では蚕床は1段のみで床から低い位置にありましたが、今回は2段式です。蚕の
    量が多いのでしょう。
写真5 桑切り用鋏。かなり太い枝でも切断出来るようです。
写真6 蚕が“上がる”直前に蚕に被せる網。“上がる”とは、蚕が桑を食べるのを止め繭作りを始め
    る意味です。桑に埋もれていた蚕は桑の上に出てきます。前回は私はこの網使用は見かけませ
    んでした。

古布「絣」 その図柄


養蚕3日目(撮影3日目)5月20日

2015年05月26日 | 自然
今回は上下2段に分けて養蚕されています。蚕の頭数が多い為でしょう。一昨年は低い高さで1段でした。

蚕室内の天井2か所にツバメ除けのビニールを取りつけられました。ツバメの排泄物が落ちて蚕が汚れるのを防ぐ為です。ツバメは盛んに蚕の上を飛び回りますが天井に巣を作る目的であり、蚕を狙うことはありません。(写真左から2番目) 

桑の伐採時、刈り取った束をその都度、車に積み込まれるようにされた、とのこと。地面に置くとムカデなどの虫が桑に付くことがあるそうです。

この養蚕家の方のお住まいには蚊が全く、いません。カラスの姿も見ません。養蚕作業も助かられると思います。撮影する者にとっても有り難いです。


古布「絣」 その図柄

養蚕2日目(撮影2日目)

2015年05月25日 | 自然
私の目的は写真撮影ではありますがお一人で苦労しておられる養蚕家の方を傍観しているわけにはいきません。2人で行えば合理的に進められる作業がありますので門外漢の私でもお手伝いできる部分はお力になるべき事は至極、当然のことです。蚕との関係は時間との闘いの面がありますのでそれが特に必要な時があります。
    
左端写真は野鳥から蚕を守る為、軒先に蛇に似た1本の紐を吊されました。畳に使われていた縁のようです。

古布「絣」 その図柄
    

正夢
今朝方、巨大なムカデの夢をみました。起床後、このブログを書いていますと妻がやってきてムカデがいると告げました。現場へ行きますと台所流しのシンク内にそれがいました。

再び、養蚕農家取材に着手

2015年05月24日 | 自然
皇居勤労奉仕から帰ってきた翌日の17日夜、知人から電話が入り、その次の日から養蚕が始まることを教えて戴きました。前回撮影させて戴いた方に電話を入れ写真撮影の承諾を戴きました。

18日朝10時前、配蚕の場所へ出向きましたが既にそれは終わっており、養蚕農家の方は私を待っておられました。その場所までは妻から車で送って貰いましたが、そこから農産家の方の家まではその方の車に同乗させていただくことの了解を戴いていました。

養蚕の作業内容は前回と変わらず、5齢(4回脱皮)の蚕に桑を与えるものでした。

作業の途中から予報通り天気が崩れてどしゃ降りに変わりました。私は帰路は、カメラバッグを専用のレインカバーで覆い、旅行用のレインコートを身に纏い傘をさして帰宅しました。徒歩ですので1時間45分の所要でした。カメラは雨から守れましたが私の全身は靴も含めてずぶ濡れとなりました。汚れきっていたスニーカーが少し、綺麗になりました。以前から所要時間に関心があり、1度は歩きたく思っていましたので良い機会となりました。


      
   給桑     配蚕3時間後   野鳥の侵入を防ぐ  桑の葉摘み取り具            ※ 葉摘み取り具は、近年は使用されないようです。桑を枝ごと与える為。
                                
古布「絣」 その図柄
    

+αの観光

2015年05月23日 | 旅行
上京2日目の夕方はNHKを訪れました。「スタジオパーク」を見物した後、その食堂での夕食となりました。その存在は知っていましたが、事前の私の想像ではワンフロアー全てが食堂で相当な広さと思っていましたが実際には私達の団体50名でほぼ満員となる程度でした。大変な誤差でした。

夕食後はNHKホールへ移動しました。生放送「歌謡コンサート」の観賞でした。五木ひろし、氷川きよし、坂本冬美、岩崎良美、水谷 豊、山内惠介他の歌手がメンバーでしたが、私達の席は2階の最後列部分、映写室横で出入り口に面していました。歌手の顔は見えない、と言って良いほどの遠さでした。自宅でTVを視ているとき入場者の方々が天井を見上げられるのを目にし不思議に思っていましたが、ステージ上部に大きなディスプレイが在りそれに映像が映し出されていることを知りました。私達に割り当てられた場所からではステージ上の人物の顔は豆粒ほどにしか見えません。私も本番ではそれを見ていました。

私は出場歌手とは関係なく、「歌謡コンサート」そのものにはそんなに期待感はありませんでしたが、数年前、「チャングムの誓い」の主演女優イ・ヨンエ氏が入場された時、3,000人全員が総立ちになり興奮の坩堝と化した会場が瞼にこびりついていて、その会場の大きさ・広さを自分の目で確認出来る期待感で埋まっていました。 

最終の宿泊では初めて宴会が開かれカラオケも用意されていました。名指しされたときを考えてハーモニカを持参していましたので2曲を演奏しました。宴席ですので演歌にしました。「女ひとり」「他人舟」です。童謡・唱歌なら心も穏やかですが人前での演歌演奏は初めてで、しかもアルコールが入っていて緊張が強くありました。ハーモニカは自分の部屋に置いていましたのでそれを取りに宴席を離れた折、部屋でリハーサルをしました。本番演奏は、結果的には喜んで戴いたようです。

今回の総勢50名の団体では妻を除いて私がご本人を知っているのは、共に宮司で団長と副団長を務められたお2人だけでしたが、日を追うごとに皆さんとの親密度が増していき、後では和気藹々の雰囲気が生まれました。日程の内容も密度の濃い充実した楽しいものでした。

4人4色

2015年05月22日 | 旅行
皇居勤労奉仕 報告

勤労奉仕の4日間、私達を作業場所へ案内され且つ、諸々の建物や行事などで使用される色んな場所の説明をされる方は日替わりでした。何れも男性で2人は年配、2人は比較的若い方でそれぞれに特徴がありました。ここでは初日担当をA氏と呼び以下、日を追うごとにB氏、C氏、D氏と呼ぶことにします。A氏は年配、さながら真面目で誠実な公務員タイプでした。B氏は若手、落語家を感じさせる語り口と内容でした。終始、私達の笑いが止まりませんでした。C氏は年配、B氏が年を重ねて人間の幅が拡がり柔らかさ、弾力性、包容力、優しさを兼ね備えた品格あるコメディアンと言った雰囲気で、この日も1日中、皆さんの笑いが起こり続けました。最終日はD氏、誠実でソフト、優秀な植物研究者を思わせました。誰が良い、誰が劣る、と言ったことは全くなく、色んなタイプの人がおられて世の中が成り立ち、動いていることを改めて感じ取りました。

皇居内では自転車がとても活躍していました。警察官や職員などの方の利用が頻繁でした。

私達の昼食時にはお茶当番3名が輪番制で担当されました。女性のみの役割となりました。

皇居内ではシジュウカラの啼き声のみで他の鳥の声は一切、耳にしませんでした。赤坂御用地ではヒヨを初め色んな啼き声が聞けました。

皇居内及び赤坂御用地内は撮影禁止でしたので写真は、宮内庁が認めた集合写真のみでした。同場所で各1枚が撮られました。

上京初日は靖国神社、続いて明治神宮の正式参拝でした。男性はネクタイ着用でした。何れに於いても拝殿の中へ案内され私達の団長さん(宮司)が代表して玉串を捧げられました。

根からは取らない除草

2015年05月21日 | 旅行
皇居勤労奉仕 報告

清掃作業ではリヤカー2台に草取り鎌、高箒、熊手、プラスティック製のゴミ取りが多数積まれ更に、集めたゴミを一時的に収める厚地の袋とそれに収められたゴミを纏めて収める為の大袋が数個、入っていました。リヤカーの移動は1台に男性3、4人が付きました。

草取り鎌は段ボール用の鎌に似て、ノコギリ状の刃が並んでおり草を根っこから除去する物ではありませんでした。日常、私達が利用している刃部が三角形の物とは異なっていました。柄が短かかった為、グローブの様な手をした私には扱いにくい点がありました。

集めた草は燃やすのではなく、山の中に廃棄しました。堆肥にされるとのことでした。

どの団体も同様だったに違いありませんが、私達のメンバーは黙々と役割を遂行しましたので引率の宮内庁の方も感心しておられました。

清掃対象の場所は色んな所にあり、相当の距離を歩く必要がありましたが(勿論、4列縦隊で)、それは移動の途中に存在する皇居の施設等を私達に紹介される目的もあり、わざとそのように設定されているのでは無いかと思いました。

作業前の注意でも、丈が高い草だけを切り取り低めの草は残すように説明を受けました。この狙いは鳥が隠れる場所を保持するということでした。当然、虫もそこにはいるはずですから鳥のエサも確保出来るのだと推量します。

皇居内での服装は自由でしたが私達の団体はお揃いの白いジャンパーを着用しました。

4列縦隊

2015年05月20日 | 旅行
皇居勤労奉仕 報告

4日間、毎日、午前8時過ぎには皇居に到着する必要がありました。東京駅から真っ直ぐに進んできた場所にある「桔梗門」前でした。団員は名前の五十音順に4列縦隊を作り、警察官の確認を受けました。身分証明の健康保険証か運転免許証を提示する必要がありました。これも毎日のことでした。6ヶ月前までに宮内庁に提出されていた参加者名簿との照合で、不参加となるのは問題なくても締切り後の団員追加は認められなく、年齢も75歳以下と決められていました。

皇居内で移動する場合も常に必ず、4列縦隊を厳守することになっていました。ただ、この場合は五十音順でなくても問題ありませんでした。

1日の日程を終えて皇居を出る時も、到着時と同じ場所で団員数の確認を警察官から受けました。この時も人数の確認のみでした。


 偶然とは言えない何かが・・・

 先日、庭で育っている計5本の山椒の葉の摘み取りをしました。1本は母か父か妻かが植えた物かも知れませんが、後は自然に生えて来た物です。樹木の剪定をしていて佃煮を作ることを思い立ち、採取することに決めました。枝の付け根からもぎ取りその後、今度は葉のみを切り離す作業でした。最大の注意点はトゲが混じらないようにすることでしたが、昼過ぎに始めた作業が全て終了したのは夕方遅くでした。

 インターネットで調理法を調べその通りに手を加えましたが出来上がりはさんざん。味も無く葉も固いままでした。調味料を更に追加してみましたが最初と殆ど、変化はありませんでした。その後又、同じことを繰り返し更に、別の調味料を注いで何とか食べられるようにはなりました。

 さて、ここからが標題の内容に入ります。私は責任上、自分が作った山椒の葉を多量に口にしました。妻は偶にしか食べませんし量も僅かでした。ところが、私が口の中でトゲを発見したのは2度しかありませんのに、妻は7度ほどもありました。一体、どういうことでしょうか。

 話は変わりますが、庭で蛇に出会うのも妻ばかりです。嫌いな人ほどその対象と関係が出来る誠に、誠に不思議な現象です。
 

8日間のお休み、大変失礼致しました。

2015年05月19日 | ブログ
去る11日(月)から16日(土)まで上京しておりました。皇居勤労奉仕がその目的でした。4日間連続が決まりとなっていましたが、同じ日程には徳島県、三重県、栃木県の団体や、世界の各国に出掛けて恵まれない子ども達をダンスで勇気づけておられる若い男女の団体がおられました。

私達の団体は50名でしたが、団員の皆さんとは初顔合わせでした。他の団体は20名程度で当初は、見知らぬ人達ゆえに会話もありませんでしたが3日目くらいから互いに言葉を交わすようになり、その労苦を労ったり拍手でお送りしたりする光景も出現しました。

3日目の赤坂御用地では皇太子殿下、最終日には天皇・皇后両陛下の「ご会釈」がありました。前者は同所のお住まい正面玄関前で、後者は「蓮池集会場」での実施でしたが、この時は妻は両陛下の真っ正面でその距離は2mにも足りない程の所に偶然にも位置していました。因みに妻は皇后陛下と誕生月日が同じですので、心中には何か違ったものが在ったかもしれません。

今後、何回かは今回の参加関係をアップしたいと思っております。
 

古布「絣」 その図柄

2015年05月10日 | 
古布「絣」 その図柄


ブログ更新 一時休止のお知らせ
いつもご愛読戴き本当にありがとうございます。心から厚くお礼を申し上げます。
早速ですがやむを得ない事情により、明日5月11日から1週間ほどブログ更新を休止させて戴きます。
どうぞ、よろしくお願い致します。