私が受けた拷問はこれまで3回です。内2回はMRI検査、あと1回は鍼灸施術での時です。前者の検査は別にもう1回存在しますがその時は何故か、診断中は昭和演歌が流され続けていました(演歌嫌いの患者さんでしたら拷問と捉えられたかも知れませんが)ので、ここでは該当しません。検査する部位によって発せられる音が異なるのでしょうか。MRI検査所要の約30分間、穴の中に閉じ込められ頭の直ぐ近く、と思われる位置から大きな、鼓膜を破り裂くような雑音(?)が流されました。少しでもその衝撃を和らげるため両耳に分厚い当て物は添えられましたが、それでも音量は凄いものでした。はるか昔に行った第1回目から全く、改善はされていないのでは、と思います。ただ、それでも今後2度とそれはしたくない、との気持ちまでにはなっていません。昨日、病院を受診しました。朝9時40分頃には現地に到着しましたが全てが終了したのは午後6時を過ぎていました。到着時は、待合室はいっぱいの患者さん、それが私たち(夫婦)だけが其処に取り残された感じの診療時間終了間際の様子となりました。医師による問診、診察、説明、指導等、勿論、所要時間に含まれていますが、課された事柄の殆どは検査、検査、検査、検査、検査、検査・・・・・、多種の検査でした。それらは決して不必要なものではなく、必要あってのものだったろう、と解釈しています。
昨日、養蚕風景関係撮影の計22枚の画像をインスタグラムにアップし終えました。そこまでの作業は比較的順調に運びましたが終了後、点検の為にそれら全てを閲覧してみますと不具合の画像が3枚存在していました。インスタグラムで使用可能な画像の縦横比率から外れていて、その為に画像内の文言(説明文)が一部消え去っていたのです。画像の元であるドキュメントを開いてレイアウトを修正してインスタグラムの約束事に収まるように改め、それらを再び画像化しました。そして、本命のインスタグラムに投稿しようとしましたが、その表示場所はそれまでアップした画像の最後になりました。元々の不具合画像は削除していましたのでその元の場所に配置しようとしたのですがダメでした。又、表示の順番を入れ替えることも出来ませんでした。今回の画像22枚は殆どが養蚕作業についてのものですのでその配置順序は厳守しなければ意味を為しません。修正した画像の配置についてどうしても成功しなかったことからネットで調べてみますと、それらは出来ないシステムになっていることが分かりました。と、いうことは折角アップした全てを一応、削除してその後再びアップする必要がありました。思わぬ伏兵が居たのです。インスタグラム利用の出だしから試練に立たされた感がありましたが、これも1つの大切な勉強にはなりました。
今朝、確認しました。昨日まで閉じていた丸く膨らんだ蕾、総数23本の内の6本で包み込んでいた皮の半分が破れてアガパンサスの花が遂に姿を現しました。鳥に例えるならば“巣立ち”と言えそうです。まだ花弁の色は白っぽく未熟の感は否めませんが。総数は今年は恐らくこの数で収まるのだと思います。茎の高さはそれぞれで、前述の、花弁を見せたものが必ずしも丈が高く成長が早いとは限らないようです。あと少し待てば目を奪われる魅力の薄紫の集団が実現します。
ボン、という大きな音が突然・・・ 昨夕、我が家の直ぐ近くでボン、という大きな音が鳴り響きました。何か爆発したような音でした。妻は偶々、我が家の、公道沿いの庭にいた為、確認するのに時間はかからなかったようですが、私は少しの時間が経ってから妻より少し離れた場所から視線を送りました。我が家から2軒隣の建物の前で、軽自動車が公道上に、直角になって留まっていて幅員の半分くらいを占めていました。車の前輪はパンクしていました。私も妻も流石に現場までは足を運びませんでしたが、後の情報によると車の自損事故だったようです。今朝、用足しの折に注意して見ますとフェンスや電柱なども壊れていました。狭い道路で起こったあの大きな音、想像しますに恐らく、アクセルとブレーキの踏み間違いではなかったのでしょうか。そうでないとあんな音は発生しないと思います。何しろ、現場から50mほども離れたお宅の方も確認に来られたようですので。
現在はまだ、謎の中にある巣箱のこと 我が家でシジュウカラが巣立ったことを聞かれた、近くに住まわれる方が昨年、ご自分でもわざわざそれを購入設置され、今年初の“機会”を迎えられました。しかし、とても強い期待感は実らずとうとう、シジュウカラの姿を其処に観られることは無かったそうです。ところが、お話をお聞きすると巣箱の中からの姦しい鳴き声を聴かれ且つ、何かが動く様子も感じられた、ということでした。そのことを聞いて私は謎に包まれています。その報告だけを聞けばシジュウカラが巣箱を利用したとも考えられますが、それ以外の情報が全くないからです。本当にシジュウカラが巣作り・子育て・巣立ちをしたのであればそれらに要した期間は1ヶ月以上に亘っており且つ、その間は夥しい回数の巣箱への出入りが在った筈です。巣箱は、その方が見やすい場所に設置してあるそうですので、シジュウカラの行動を見逃されたとはとても考えづらいです。巣箱を開けてみられることで私との話し合いは終わっていますが、その結果報告が現在までまだ、無いところから推量すると、その方が経験された事実は何か別のことだった可能性があります。
診療申込書及び問診票のネットでの取得 転落事故から1月を経過した現在も尚、腰痛は酷く杖無しでの歩行は難しい状態にあります。私自身も今後、どのようにそれが推移していくのか全く予想出来ず、ただ、漫然とそれに耐えて日々を送っているだけでした。見かねた妻が、より高度な検査を受けるよう勧めていましたが私はあまり、そのことに関心を寄せていませんでした。それは以前の五十肩の時の実例があるためでした。しかし、毎日の行動に支障を来していることも事実ですのでこの際、思い切って妻のアドバイスに沿うことを決断しました。妻がその友人の方から得てきた情報に基づき受診の病院をネット検索しました。予約制が採られていましたが運良く、私の都合に沿った日が可能となりました。その後、その医療機関の記事を読んでいますと診療申込書及び問診票が用意されていて、ダウンロードして使えることが分かりました。これは有難いことでした。事前にそれらを整えられれば症状も詳しく書き込むことが出来ますし、実際に受診した時、待ち時間も短くなる筈です。私にとって初の経験です。
写真が好きな私は、その目的が人物撮影であり、あの色とりどりの浴衣が在る徳島阿波おどりや長崎おくんち、そして5回の海外撮影行に於いても略100%をそれで対応してきました。しかし、現実の社会では肖像権なるものが重要視されていてますのでそれらを簡単に公開する訳には行きません。今回始めたインスタグラムでもそれらを投稿したいのは山々なのですが、前述理由により其処には慎重な判断が必要となっています。そこで思いついたのが、2度に亘って記録させて戴いた農家での養蚕光景でした。これをインスタグラムにアップすることに決め早速、準備に取りかかりました。作業の流れを頭の中に思い描き、必要となる作業、利用アプリについて考えました。その結論に達するまでに相当の時間を要しましたが昨日夜、一応の決定に持ち込むことが出来ました。PC操作で煩雑な作業となりますし、使う画像の量によっても作業量も異なってきます。最大の課題は、ドキュメントとして記録しているものをどのような方法で画像化するか、でした。インスタグラムは本来、今、私が構想しているような使われ方を想定してはいないかもしれませんが、一般的な評価を得られない可能性大の内容であっても、消え続けていく日本の文化の1つを遺すことは大切ではないか、と思うようになりました。養蚕風景のアップが済んだらあと一つ、更に、更に、更に作業量膨大な「絣」の絵柄のことが控えてはいます。かって撮影を私に依頼された絣現物所有の方が書籍として出版されましたが、その残りはなくなっていますし、それに掲載分も一部に留まっています。絣に関しては画像としてその全てをPCに収めていますのでその点では楽なのですが、なにせ1,600点を超える画像の量がありますのでインスタグラムとの関係に於いて答えが出せるか、が問題です。実現させられるかさえ全く、分かりません。
着手しました「インスタグラム」。どのようにすれば私の投稿結果に至れるのかが理解出来ていませんでしたが、このブログに付き合って戴いてる方から情報を戴いたことにより先ほど解決出来ました。インスタグラムを開いた後、「fujjyata」で検索すれば可能であることが分かりました。皆様にご迷惑をお掛けいたしましたことをお詫び申し上げます。
昨日、何を思い立ったのか自分でもハッキリしませんが、「インスタグラム」に集中的に投稿を始めました。一眼レフかコンデジで撮影したもの(スマホ撮影分は在りません)で、掲載分の中には既にこのブログでご覧になったものも相当数含まれていますが、そうでないものも多く在ります。ブログとインスタグラムではある部分は共通しているのでしょうが、各アプリが目指した本来のものは異なるように捉えています。後者は所謂、写真集みたいなものではないでしょうか。私の勝手な想像ではありますがそのことを頭に置いて掲載分を選んでみました。インスタグラムのアプリ自体にまだ、私は理解が浅いため、どのような方法を採れば閲覧が可能かをここでご案内することが出来ません。誠に申し訳ございません。
庭のアガパンサスは21本の茎を数えるようになりました。今朝はどういう風が私に吹いたのか突然、同じ場所に混在するドクダミソウの除去にあたりました。結果、同所はスッキリし、アガパンサス専用区画となりました。午前7時ころのことです。今日は、それぞれに異なる茎の形を捉えました。勿論、その一部ですが。写真を添えます。
本日開催のマルセです。毎年、開催されています。主催の方が地域の皆さんの色んな物品、特に農産物販売での参加を要請されて開催されているようです。同所は、私たち夫婦が屡々、食事に訪れる店で、先日、このブログでご紹介した現国連事務次長 中満 泉氏と縁が在る地域でもあります。単なる記録写真ですが下に添えます。
アガパンサスがいよいよ、その姿を見せ始めました。花が咲くのはまだ少し先で、今は茎を天に向かってまっすぐ伸ばす段階です。今年はいまのところ18本が確認出来ていますが、今後更に増える可能性はあります。内1本は、他の、直立したものや稍カーブを描いたものと異なり90度折れ曲がった育ちを見せています。正に、おらー、皆と一緒はイヤだー!!の個性派です。写真を添えます。なお、白い花はドクダミソウの花です。今年はそれがアガパンサスと同居しています。
庭の、小さな花2種の写真を添えます。左側の写真はナンテンで、右はシモツケソウと言うそうです。
桑の実の収穫を始めました 濃い紫に染まった桑の実が僅かですが目にとまる時季となりました。探し当てた分だけは収穫しスイーツとして戴いています。私にその木を譲ってくれた方の家では凄く成長した桑の木が在り、毎年のように、捨てるほど沢山、それも大きな実を結んでいました。ご案内戴いていましたので千切りに行っていましたが収穫するのに疲れるほどの量でした。持ち帰ったあとはジャムとして調理していましたが、勿論、生の侭食べることも頻繁でした。童謡「赤とんぼ」(の歌詞)を思い浮かべながら。
昨日、とても嬉しいことがありました。それは講演会の聴衆として男女の中・高校生が団体として多数、参加していたからです。感受性が強く、将来の進む道を探っているであろう、そして悩むこともあろう年齢の彼ら彼女らにとって講師のお話は必ず役に立つはず、と私は思いました。講師は現国連事務次長、軍縮担当上級代表の中満 泉氏でした。主催は、我が町から誕生された総理大臣清浦奎吾氏のその就任100周年を記念するもので、私はその催しがあることをチラシで知ったその直後、ネットで妻ともどもの参加申し込みをし無事に受け付けて貰っていました。公演開始の直前には山鹿灯籠踊りの演舞がありましたが、その折、中満氏は生徒達に挟まれた状態で客席に座られていました。何でも無い場面ではありますが生徒達にとっては得がたい経験になったのではないでしょうか。講演の終盤には当然のことに、質疑応答が採り入れられていましたが、極めて残念なことに高校生3人、それも女生徒だけによる質問で終わりました。会終了後、偶々、退室が同時となった女生徒に「質問したかったろ?」と話しかけますと、ハッキリとそれに頷いた答えが返ってきました。仕方ないことではありましたが、可能であれば別の機会にでも彼ら、彼女らとの懇談の場が設けられたら良いな、と夢の世界を願わずにはおれませんでした。講演の最後の部分では私にとっては正に、思いもよらない話が出てきて喜びが湧きました。当時の国際連合(以前は盟ですが)第2代目の事務総長だったハマーショルド氏の発言の紹介でした。中満さんは現在は還暦とのことでしたので当時の事は直接はご存じ無いのですが(私は、中学生の時、同氏に心酔して、新聞からか雑誌からか覚えていませんが、写真を切り抜き自分のアルバムに貼っていました。何故、心酔したかの原因も全く覚えていません)先輩から教わられて財産とされている言葉のようでした。それは、どんなに(現在のような)不安定な社会状況にあっても将来を悲観する必要はない。必ず、それを解決する存在の人が出現する、という意味の言葉でした。講師の中満 泉氏については私は日頃から、もしかすると私たちが屡々、食事に訪れる店(その社長さんとはインドへ旅したこともありますし)、また、その近くに住まわれる方とは皇居清掃でご一緒したこともありますが、何れの方も姓は中満と言われ、地域で多く存在する姓ゆえにその関係を中満 泉氏に対して推量していました。講師紹介の中で同氏について語られる中で私の全くの推量が正しかったことが判明しました。泉氏ご本人は東京生まれ、米国居住だそうですが、血筋を遡れば、私たち夫婦が屡々訪れる食事処がある地域の村長を14年間務められたり、また、別の方は総理大臣清浦氏と縁戚になられるとのことでした。
先日、熊本水俣市で開催された水俣病患者さんと環境大臣との懇談で、環境省職員が患者さんの発言中にマイクを切ったことについてです。事後にそれを報じたニュースでその事を知った私は、事務局は何と云うことをするのだろうか、と思いました。そして私の考えはそこで止まった侭でした。しかし、その後の別の報道番組で、解説担当の方の一言でハッと気づかされました。その方の考えは、環境省職員の対応にはサラッと触れられただけで問題は環境大臣の器量の小ささに在る旨を発言されました。私はその一言を聴いて正にその通りだ、と思い直しました。患者さんから話を聴くことがその会の開催目的でしょうし、単なる帳面消しではなかった筈です。大臣が、折角の機会だから最後まで話を聴こう、と発言すればそれで済んだことなのです。その席での最高の責任者は大臣です。その会に臨むに当たっては環境省では事前に充分、検討し尽くしていて実際の会の現場で、決めたことをその通りに守ることは事務局としては当然のこと、それ以上のことは出来ません(事前の、会の運営についての検討の場での問題も在る、と思いますが)。それにしても私が、最初のニュースを耳にしたとき、その核心部分に全く気づかずに済ませていたことに私自身の、物事を判断する能力の拙さに情けなく、哀しくなりました。
10日ほどは過ぎたでしょうか、日頃使用しているハンカチが見当たらなくなってからの期間です。ハンカチそのものは普通の物で特別に入手したものではありませんが、日頃は必ずズボンの後ろの右ポケットに仕舞っていてそれを厳守していました。ところがその場所から姿を消していたのです。外出時に落とした記憶は全くありませんでしたので家の中をあちこち探し回りました。よく、足を運ぶ場所、よく、ハンカチを使用する場所、落としたかも、と推量出来る場所、履き替えたズボンでの同じポケット、色んな所を“蚤取り眼”みたいにして探しました。しかし、それでも発見出来ませんでした。ところが今朝、偶々、ズボン後ろの左側ポケットに手を入れますとなんと、其処に捜し物が鎮座していました。よくよく考えてみますと、確かにあるとき其処に収めた記憶があります。問題解決までここまで時間を要するとは、誠に、誠にお粗末の極みです。
多数回→少数回、3回→2回、2回→1回、そして1回→無に 後期高齢も相当に進みますとそれまでの生活、行動などに目立って変化が生じます。意識してその変化を採り入れるのではなく自然とそうなっていくのです。例えば、永く続いていた、続けていたルーティンともいえる行動が、多数回だったものが少数回となり、3回だったものが2回、2回が1回、そして1回だったものは遂にその姿を消すなどです。反対に、増えるもの象徴的なものを序でに添えますと、身体でのあちこちの痛み、不具合、薬、診察券です。何かに向かって一直線。
今朝6時前、4軒隣にある竹藪あたりから2種の鳥の鳴き声が続いて聞こえてきました。何れも声たかだかな。最初のはシジュウカラ、そして2、3分後にウグイスでした。特に、後者の泣き声は何処までも届くのでは、と思える殊の外、大きくハッキリとした声でした。嬉しい出来事でした。ついでに他の2件を添えます。1件は、このところ我が家の裏庭で飛び回りが頻繁な蝶です。モンシロチョウ、モンキチョウ、キアゲハ、クロアゲハ。特にモンシロチョウは6匹くらい居ます。他は2匹ずつのように思えました。今、裏庭で咲いているのは真っ盛りを迎えたような「ヒルザキツキミソウ」くらいですが、それに止まる様子はなく、ただ飛び回る感じです。もう1件は、「黄唐辛子」の苗に関してです。6本を育てていますが、その育ち具合はそれぞれで、高さが異なります。内、1本の高さ20cmほどに育ったものに、まるで苗の一部であるかのようにビッシリと「カメムシ」が張り付いていました。今年はこれまでに3,4匹は除去して居ましたが今回のように多数匹、それも実を寄せ合っていた状態は黄唐辛子を育てることになっての数年間で初めてのことです。ピンセットを使って1匹ずつ取り除きました。今日でピリオドとは行かないはずですので今後も注意して対応することになります。この虫が飛ぶ様子をみたことはありませんので、何処からどのようにして毎年、やってくるのでしょうか。ピンセットで掴むときも、茎の反対側にくるり、と回って逃げる程度です。
木も草も今は、この時季を待ってましたと云わんばかりの育ちをしています。その新緑は極めて清々しく気持ちよいのですがそれだけで終わらないのが現実で、枝葉伸び放題、草は茂り放題です。腰の痛みが在る為、当分の間、それへの対応は控えることにしていました。しかし、実際にその状態を目にするとジッとしてはおれません。いつの間に閉じた片目は開いていたのです。幸い、腰の痛みが和らいだように感じた昨日、双方への手入れに入ってしまいました。フジバカマ区画内、2種のミカン苗の周辺、ハイビスカスローゼルを育てている場所の周り、それらの草を取り除き、日当たりを良くしました。その後は木の、徒長した枝の切り落としで、楓4本、ユズリハ、柿、ムクゲ、が対象でした。枝の質は柔らかかった事から作業は楽でしたが所要時間はそれなりにかかりました。終了後の木の姿は流石にスッキリしていて風通しバッチリで見た目にも気持ちまで上向きとなりました。ただ、長時間、立った侭の態勢でしたのでやはり、腰への負担は大きかったのでしょう痛みの程度は強くなり横たわらざるを得なくなりました。また、疲労も相当のものでした。今後はもう、片目閉じでの生活を厳守します。