クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

みすみす、ミスしたシャッターチャンス

2021年11月30日 | ブログ

近くのお宅の門柱の上で猫がひなたぼっこをしていました。門柱は化粧を施したもの、猫の前には赤い花数輪、背後には緑の植物が在りました。正にシャッターチャンスでした。私は立ち止まって暫くその光景に視線を注ぎ、写真を撮ろうかどうしようかを考えました。少しの時間が経過して「猫を撮ってもしようがないか」と考えてその場を去りかけました。ところが数歩進んだとき「矢張り撮ろう」と思い直し元の場所に戻りました。その時、猫はもう居ませんでした。正にみすみす、ミスしたシャッターチャンスでした。


“宴”の後の仕事

2021年11月29日 | ブログ

夏の間、しっかりと楽しませてくれたスイフヨウですが、伐採した物の処理に取りかかりました。その量が甚だ多くしかもそれぞれに枝が付いていますので、それらの取り除きにも労力、時間を要します。目的は、枝シュレッダーで粉砕することです。同機に挿入するには可能な限り真っ直ぐした1本の木でないといけませんので、横に延びた枝があってはいけません。レシプロソーで1本、1本、枝を除去していきます。昨日の作業はその段階までで終わりました。作業自体はそんなに大仰なものではないのですが、流石に私は年をとったのでしょう疲労が出てきました。スイフヨウは木の質はとても軟らかいのですが皮は強靱な繊維で出来ていますので、その侭の状態で枝シュレッダーに入れますと機械の内部で繊維が絡んでモーターが停止し粉砕が不可になって仕舞います。従って機械に掛ける前に木を乾燥させておく必要があります。伐採後それなりの期間は置いたのですがまだまだ、繊維は生きていますのでもう暫くは日光浴をさせる必要があります。


2本の映画への拘りが証明しているもの

2021年11月23日 | ブログ

TV映画「アンタッチャブル」のPC動画観賞は尚も続けています。埋蔵物が次から次へ発掘されていくのに似ていて、全く偶然で出会ったその初回は、示された画面では他には同題名の映画は見当たらなかったのですが、その後は何故か次から次へと紹介画面が現れるようになりました。略60年も前のこの映画がこういう形で観られるなんて想像もしていなかったことで一生出会うことは無いだろうと諦めていただけに驚きと喜びは凄く大きいです。TVで放映されたのは全116話ですから、もし放送分全てが現れるのならまだまだ、相当な時間が懸かります。この再会の出だしは日本語吹き替えだったのですがその後観賞のものはスペイン語、音声無しなどが続き、このところは全て英語版で日本語訳は付いていません。にもかかわらず観ています。勿論、映画内の会話は一切分かりません。アンタッチャブルのメンバーである俳優さんの顔は記憶がハッキリしていますがドラマの内容は完全に忘れ去っています。どの編も視聴数は3桁でしかないようですが、気が遠くなるほど昔の作品ですから致し方ないことです。ところで、青春時代は色んな経験をして人として成長していく過程だと思いますが、なのに私には劇場映画「ベン・ハー」とこの「アンタッチャブル」しかなかったような気が今、しています。シンプル、単純ですっきりとはしていますが、これが私の青春の全てだと思うと、あまりにも寂しく、わびしく、貧しく、悲しいです。この2本の映画への拘りがその事を証明しています。 


過去の海外撮影行は本当に至福をもたらしました

2021年11月22日 | ブログ

海外でフィルムで撮影したモノクロ写真、時折、PCで観ますがそれらを撮影出来たことに自分自身として改めて心からの満足感が湧いてきて幸せを感じています。ファインダーを通して神経を集中させて撮ったものですので画像を目にする毎にその時の現場の様子がハッキリと浮かんで来ます。ただ、それらの町、村などの名前は思い出せません(旅行業者の方から戴いた報告書には詳細に記載されていますのでそれを見ると分かりますが)。略100%人物を被写体としていてその生活感を表現することを目指していましたが、結果は私が頷けるものになったように思います。それ故に懐かしさが生まれ再度の訪問をしたい気持ちがふつふつと育って来ます。当時からそれなりの時間が経過しましたので現在は地域の様子も相当に変わっているかも知れません。そうなると、手許に在る画像の記録はそれなりの意味を持つのでしょう。


取るに足らないことでも気持ちが軽くなることがあります

2021年11月20日 | ブログ

ユズ胡椒作りの過程で3種の偶然が在りました。それらは何れも正に取るに足らない内容でしたが、それでも気持ちは何となく軽くなり嬉しさも生まれました。1つは、収穫したユズの総重量が1,300g、収穫した当時の黄トウガラシの総重量が1,250gで、偶然にも略同じだったことです。そして1つは、 計8度に亘る黄トウガラシ解体前の計量で最後のその重量が私が決めていた100gピッタリで、足しもせず引きもせずで終わったことです。更に1つは、完成ユズ胡椒用に用意した容器の数がユズ胡椒を収めるのに完全に一致したのです。これまた容器の数に過不足がありませんでした。

水も洩らさぬ防護態勢だったのですが・・・
黄トウガラシによる攻撃を完全に防ごうと、考えられる対策は全て取ってはいたのですが、結果は矢張り完璧ではありませんでした。上下唇の左半分、左耳たぶの下部、両手首、それらにヒリヒリ感が発生しそれが長時間持続しました。上下唇のそれは服薬しようとマスクを外した時に嵌めていたゴム手袋が上下唇に触れたことによるものだと思います。左耳の下部については全く原因不明です。両手首のヒリヒリはゴム手袋を取り去る折に接触したのだと推量しています。


絶対と思われる比率を探し出せました 黄トウガラシ

2021年11月19日 | 日記

数多の黄トウガラシの解体をしていく折、それらを100gごとに分けました。そしてそれぞれの解体を終えた回毎にその重さを計量しましたがその結果は全てにおいてピッタリと60gでした。即ち、収穫の侭の状態から中身のタネ類やヘタを取り除いて残った実の重さは収穫時の60%であったのです。黄トウガラシはその比率で成り立っている、と云えそうです。その発見は今、私が行っているゆず胡椒作りで極めて合理的な判断が出来る作業をもたらしてくれることになりました。即ち、使用可能な黄トウガラシとユズそして塩の各量を直ちに算出出来るようになりました。今回は従来から変更してユズの量を基本とすることに決めましたので、前述の結果を適用して逆算しますと黄トウガラシが余る結果となるようです。貴重な黄トウガラシなのですがそれを基本とすれば今度は、我が家で生るユズの量がどれほど在り、それからどの程度の皮が採取可能かも分かりませんし、場合によってはユズを数店の販売店を探し回ることが必要になってきますので、そのことと比較すれば黄トウガラシに無駄が発生することには目を瞑らざるを得ないような気がしています。いずれにしても今回の比率の発見は私にとっては画期的なことで、悩み事を消し去ってくれる極めて有り難いこととなりました。


いよいよ、今日午後突入!!!

2021年11月18日 | ブログ

ユズの準備を昨日終え、量の不足が予想される塩は先ほど購入し、いよいよ本日午後は最大の難関、黄トウガラシの解体に着手します。幸い、晴天に恵まれましたので長時間に亘る作業は成就出来そうです。ゴム手袋2枚重ね、マスク2枚重ね、防護の為の眼鏡(度なし)、帽子、厚手のエプロン、両手に腕カバー、紙パック数枚、黄トウガラシから取り除いた廃棄する種などを入れるバケツには内部にビニールをあてがってそのまま捨てられるように準備しています。本当は今すぐにでも作業に入りたいのですが留守番中のためそれが叶いません。1度ゴム手袋を嵌め解体した黄トウガラシに触ったらもう、他の何も出来なくなります。他の何かに触れることは絶対に禁止なのです。始めたら最後までやり通すしかありません。事前に全体の工程をイメージして無駄な行為が生じないよう、不足している必要物品はないかなどを確認してはいますが、事態が動き出したら果たしてどうでしょうか。

 


遠目は不確か

2021年11月17日 | ブログ

これが本年最後のユズちぎりと決めて作業をしました。ゆず胡椒作りの為で、これが今年4回目となりました。収穫の量は前3回の各回より上回って約2倍はありました。生っているユズの実は周囲の鋭いトゲに囲まれていますので手で直接触ることはできませんので高枝切り鋏の使用です。地面に足を付けた状態での作業ですから私の目の位置からユズの実までは少しの間隔がありますが、綺麗な肌を持つ実を選んで採取したつもりでした。しかし、いざ皮を剥ぐ段階で手に取りますと当初の判断とは大きく異なりキズ、斑点、シミが目立ち、利用出来る部分は極く少量に収まりました。「夜目遠目傘の内」との諺がありますが、正にその遠目通りとなりました。


考え方を変えました

2021年11月16日 | 日記

ゆず胡椒作りのことです。昨年までは、というより今回もずっと従来どおりに黄トウガラシの量(割合:1)を主にしてユズの量(割合:2)を副としていました。従って、ユズが不足した場合は店舗を回って買い求めていました。この2種は何れも収穫時そのままの状態では使用できません。全者はヘタや中身を取り除き、後者については1個から綺麗な皮の部分のみ採取します。そのことから使用可能な量が全く分からず混合割合を決めるのに深い悩みが生まれていました。主と副を逆にしてユズの量を基本にして1としますと黄トウガラシはその半分になりますので我が家で収穫のユズの量が大きな意味を持つことになります(これも「コペルニクス的転回」というのでしょうか)。このことで店を訪ね回る必要は消えましたがユズの量次第で黄トウガラシが余る状況が生まれることは考えられます。今、考えていますのは、ユズについてはどうすることも出来ませんが、黄トウガラシでは収穫時の重さ、例えば100gとヘタや中身を取り除いた後の重さを比較してその割合を出しておけば黄トウガラシ収穫時に、使用するユズの量を推定出来るのでは、ということです。果たしてどうでしょうか。

 


睡眠を取らずに働き続ける訳にはいきません

2021年11月15日 | 日記

フジバカマの除去を終えました。その後、その他の場所を見ますと笹竹が広い範囲に勢力を延ばしていました。それを利用するのは正月のみで、しかもそれは僅か数本の枝に限られていますので、育った竹の99%以上が不要物でしかありません。そのことから予定もしていなかった竹の除去作業に取りかかりました。それらは根から取り除かねばなりません。使用するのは山芋掘りの器具です。父が使っていた物ですが、長い木の棒の先端に長方形の刃が付いていて相当な重さがあります。現在の私の体力では1回それを土に打ち込めば次までは少しの間を置くことが必要となるほどです。立った状態で作業すれば効果的ではありますが疲れも出てきますのでしゃがんでの行動とするケースも採り入れました。これを延々と、約2時間強の間続けました。結果、正月に使用するに充分と思われる量を残して作業を終えましたが、身体の疲れは極めて酷く、会話する気力も起きませんでした。炬燵に潜り込んで横たわっていました。就寝してからは何故か思わぬカラスマガリが。左脚太股の後ろ側に起こりました。どうも私の身体はカラスマガリの宝庫みたいです。今回の作業で気づいた事が1つ在ります。竹の根には頑強なトゲが存在するということです。白色をしていました。トゲの長さはそう長くはありませんが、その付け根は太くとても強さがあるようでした。トゲはそのままの状態が維持されていくのか、何かに変化するのか、どうでしょうか。作業中は左腕、肩に痛みは感じていましたが目的遂行が頭の中を占めていたことから、その痛さに集中力を奪われることはありませんでした。しかし、作業終了後はそれは継続せず激痛が襲ってきました。何か集中できることをしていれば苦痛から解放されるようですが、痛みが最も激しいのは就寝中で、だからといって夜も寝ずに何かの作業をし続ける訳にはいきません。

 

 

 

 

 


ユズ皮剥き 2題

2021年11月14日 | 日記

つい最近、計2回のユズの実ちぎりとその皮剥きをしました。総数は数百個に及ぶと思います。ユズ胡椒作りの為です。しかし、それらの全ての実が肌に黒い半角のドットや大きなシミ、キズが在り実際に調理用とするにはその量は極めて僅かにしかなりません。綺麗な肌の部分のみをナイフど切り取っていますが1回の作業は数時間を要しています。それに伴うものを2題、記します。

1.室内中にユズの香り

  処理を終えたユズは風呂に入れたり室内に置いています。私は今のところそれでなんの違和感も生じていないのですが、風呂に多数入れると妻は肌に抵抗感が生まれる刺激を感じるそうです。従ってその量を2,3個に限っています。一方、室内に置けば辺り一帯、良い香りに包まれ心が和んできます。パン焼き時の香り同様、幸せな時です。

2.ユズの皮むき時は両手とも素手で作業していましたが、どうしても右手に持ったナイフが滑って左手に当たります。当然、頻繁にです。当初は特別に注意を払うことで済ませていましたが、どうにもそれでは不可だったことから左手だけ手袋を嵌めるようにしました。そのことで前述の件は解決しましたが今度は別の問題が起きてきました。長時間同じようにユズを握り締めることで左手親指付近にカラスマガリが起きるようになりました。それは痛みというより全く指が動かせない、という方が深刻でした。その経験から後はユズの握り方を少し変えています。

黄トウガラシの量に対してまだユズの量が少ないので更に、ユズちぎりが今後も続きます。ただし、昨年のようにわざわざ販売店を探し回ることは今年は避けるつもりです。我が家のユズで調理可能な量で収めることに決めています。

 


感謝・感謝+感謝・感謝・感謝

2021年11月13日 | 日記

今年も魅力の花を咲かせてくれ且つ、撮影も出来たことにスイフヨウに感謝を捧げ、数百本の伐採を終えました。そしてこの伐採を実現させてくれたのはレシプロソーでした。その器具が膨大な数の幹を取り去ることに貢献してくれたのです。前の2個の感謝はスイフヨウに対して、後者の3個はレシプロソーに対してのものです。なお、スイフヨウについてはまだ小さな花が1個咲いていましたのでその幹を含めて周りの2本とともに切り取りせず、幹を残しています。殺風景にならずアクセントとにもなりますのでその侭にしておくつもりです。近い内にフジバカマも同様の処理を施す予定です。


庭木の手入れ

2021年11月06日 | 日記

柿の木3本の手入れを終えました。天に向かって屹立している夥しい数の枝の伐採です。地面に足を付けて作業できる木、下屋の屋根に上がって行う必要がある木、何れについても無事に済みました。手が届く場所の枝はレシプロソー使用、高所や私の場所から離れた距離の物は高枝切り鋸を利用しました。以前に大きな幹から切除したことがある木では相当量の作業が少なくて済みとても助かりました。樹木関係で今年の処理事項として残っているのはスイフヨウの伐採です。もう、今日にでも実行して良い状態には至っていますが数輪、小さくても花が咲いていますのでそれがピリオドを打ってからにしようと思っています。私の最大の課題「ユズ胡椒」作りがその後に控えています。黄トウガラシの実がまだ相当数生っていますがこれらはもしかすると緑の侭で、黄ばむことは無いかも知れません。気温の関係で。ユズはこの2、3日で収穫するに相応しい色付きとなるのでは、と期待しています。この両者と、調理時に俎板代わりに利用する牛乳等が入っていた紙パックの必要枚数が揃うタイミングが調理実行に突入する場合なかなか難しいです。

1日 1善

所用で出掛けました。行き先は直ぐ近くだったのですが途中、知人の方から声を掛けられました。いつもは少しの会話を交わすことで終わっていましたが昨日はその方からの願い事でした。スマホでの電話の掛け方を教えて欲しい、というものでした。ガスボンベが使用出来なくなったことから関係会社へ連絡を取りたいとのことでした。その方はスマホは所有しておられたもののご存じ無かったのです。私はスマホは非所有ですが妻の物を傍から見ることがありますので、何とかその方の要望に応えられるのでは、と思って役割を引き受けました。そして直ぐに問題無く対応出来ました。「電話を終えるまで居てください」との願いでしたのでそれにも応えました。その前日、隣町へ出掛けた折、人2人が漸く通れるような狭い路地で甚だ路面が傷んだ道路を両脇に松葉杖をついた女性が通っておられました。後から見ていてその動きはとても大変な様子でした。私は「大丈夫ですか」とだけ声かけをしました。その方は「大丈夫です」と答えられました。私は何をしたわけでもありませんが、声かけだけでも1善にはなるだろうと、思いました。その暫く後、今度は前方から自転車に乗られた老齢の男性がやって来られました。車道脇の狭い歩道でしたのでその方は自転車を降りて私を先に通行させようとされました。私はその方に、どうぞお先にの合図を送りました。これも1善に入ると思っています。