クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

古布 その図柄

2015年09月29日 | 古布


何ともご苦労なことですが・・・。
 今朝も卵は2個とも立っています。
 卵が立って以来、その部屋を使う時は極度に神経を使っています。隣同士の部屋に卵は在るのですが、私が立てたのは床の間、妻は仏間です。何れの場所でも歩くときにはまるで猫みたに静かに歩を進め、殊に、仏様参りの時は呼吸さえ慎重に行いまるで腫れ物に触るように、薄氷を踏むように、必要な色んな動作に神経を集中させています。
 しかし、いつまでこんなことを続けるのでしょうか。自分でも分かりません。
 ついでに、この卵はもう、鮮度が落ちていますので食用にすることは出来ません。

私の、変な快感
 この1ヶ月前くらいから顎髭剃りに安全カミソリを使っています。今後も当分の間、継続させます。かなりストックがあり使用しないと勿体ないからです。
 それまでは電気シェーバーを使っていましたが暫くの間、中断です。
 カミソリ使用では「ジャリジャリ」といった音が発生し、これが何とも言えない快感です。如何にも髭が剃られていく、といった感じがしてそれだけでも肌が綺麗になったように感じてしまいます。電気髭剃りでもそれは同様ですが、カミソリとは何か違います。
 逆剃りで肌に傷をつけて出血させたり、剃った後がヒリヒリとしてくるのが難点ではあるのですが・・・。



倒れた卵を再び・・・・

2015年09月28日 | 日記
 
 昨日午前10時過ぎに立った卵2個ですが、夕方は双方とも立っていたのですが今朝確かめますと私が成功した物は倒れていました。妻のは無事でした。
 早速、再挑戦しました。昨日は10秒も経過しない内に実現しましたが今回は数十秒を要しました。(写真 左)
 これを教えて戴いた坊守さんへの報告はまだです。

古布 その図柄
 

古布 その図柄

2015年09月27日 | 古布


フェイスブック、暗中模索
 入門し何とか写真と文章を投稿出来てはいますが、このサイトのシステムが理解に至っていません。PC操作上ではよく経験することではありますが、あることが成功に至ってもどのようにして其処に達したかの経緯が分からず、従って再び同じ結果を出す為の方法が全く、分かりません。成功は、いわば偶然の成果なのです。
 自分自身が残念であるばかりでなく、関係の方にご迷惑をお掛けしていることも充分、考えられます。

古布 その図柄

2015年09月25日 | 古布


くどいようですが・・・・
今朝も起床後カーテンを開けますと思わず、感嘆の大きな声が出てしまいました。スイフヨウです、その因は。正に花園の出現です。今、全盛期ではないでしょうか。添付写真は全く、私の現在の気持ちを表していませんが先ほど撮影しました。

古布 その図柄

2015年09月23日 | 古布


スイフヨウが私達夫婦の力量を問うています。
 魅力のスイフヨウの花、その1輪か、ごく近くに咲く2、3輪を綺麗な写真にすることはそんなに難しいことではありません。しかし、咲きそろった花園全体を狙い同じような魅力を表現しようとしてもそれは、至難の技ですし、もしかすると不可能かも知れません。これまでのところ、撮った写真は全く、つまらないものばかりで直ぐに削除してしまいました。妻も同様です。私は数年前からそれに挑戦しているのですが。
 何故でしょうか、スイフヨウの何処に問題があるのでしょうか。
  全体的にみると花どうしの距離が離れている    花の向く方向がバラバラである    樹木の上部にほとんどが集中していて、下部が極めて寂しい    カメラの位置に問題が在る(高さ)   面積が広く、その為全体を1枚の写真に収めると花が小さくなってしまう 
 概ね、こんなことが考えられますが果たしてどうでしょうか。スイフヨウは桜のように集合した魅力でなく、個々がその存在価値を示すもののようではあります。
 しかし、更なる挑戦をしてみようと思っています。

古布 その図柄

2015年09月22日 | 古布


本番で機器を使うのはとても、怖い。
一昨日は知人から依頼を受けて催事の撮影でした。10時から始まるとのことでしたが私の習慣として1時間前には現場に着きました。
 関係者の方々の準備状況の記録も大切ですのでカメラを取り出しましたが、「アクセサリーシュー」にフラッシュがどうしても装着出来ませんでした。何度試みても挿入が出来ないのです。永く使用してきているフラッシュですが、そんなことは1度もありませんでした。挿入部のどこを視ても異常はないように見えました。
 本番の開始時刻は近づきますし、部屋の中におられる100名近くの参加者の顔は逆光状態でしたので、どうしてもフラッシュが必要でした。根気よく挿入を試み続けてようやく成就しました。
 機器類を本番で使用される方は恐らく同様の経験をされたことだと思いますし、或いはそのような現場に居合わせられたことがあるのではないでしょうか。リハーサルでは何の問題もなかったのに本番では・・・・。
 かって、参加した、世界的に名が通った方の講演会では準備されていたスライドがスクリーンに上下反対に映し出されかなり長い時間解決しなかったことがありました。確認されて映写を数度、繰り返されましたがダメでした。(この時の講演者の方の発言が一流で「私がそうですから」。会場は爆笑でした。)
 この11月下旬、催事で私はPCを持ち込んでスクリーンに映写することにしていますが、本当はかなりの不安を抱いています。人事を尽くして天命を俟つしかありません。
 因みに、昨日フラッシュ挿入を試みましたら何の問題もありませんでした。

不自由な会話の奥に存在していた、と思えるもの

2015年09月21日 | 日記

写真1 写真2    写真3    写真4 
写真1は、現在の長髪で、畳上のものはご本人が幼い頃からのものを保存しておられた髪だそうです。
写真4は出来上がった姿で、民族衣装を着用されました。

 私達が中国を訪れる度にお世話になる現地ガイドK氏とその奥様のお二人を我が家にお招きしました。
 初の日本訪問の初日から4日間を我が家がお世話したのですが、当初、ご本人は2泊を予定しておられましたのを、それでは中身が薄過ぎることから私が3泊を進言し、それを採り入れられたのです。
 事前にEメールのやりとりを頻繁に行い、経済面も含めて日本滞在中の全日程が無駄なく円滑に進むよう綿密に打ち合わせを行いました。そして、少なくとも日本国内での旅の出発点となる福岡国際空港到着から我が家到着までは何のトラブルにも出会われないようにすることに神経を集中させました。
 K氏と打ち合わせしていた、我が家に最も近い高速道インターチェンジのバス停で出迎え、その後、先ずは、中国旅行でご一緒するY氏宅を訪ねましたが、これにはK氏の強い要望もありました。表敬の意味もあったと思いますが、同氏宅は築130年を越す家屋と膨大な書籍類、古布、民具、農機具等々を収蔵されていることをK氏が知っておられたからです。 
 同所見学後は我が家へ。この日の妻は午前、偶々、お茶の稽古日でしたので和服姿でご夫妻をお迎えすることが出来ました。抹茶接待後は今度はK氏の奥様が少数民族の姿作りに取りかかられました。今でも長い髪をしておられましたが完全な頭部を作り上げる為には多くの頭髪が必要だったようで、奥様が幼い頃からご自分の髪を保存しておられたものまで準備しておられました。(写真)
 当日夕刻には歓迎夕食会を開きました。我が家の近くにお住まいの上記Y氏ご夫妻、私と同年でもある友人1人それに私達夫婦、計7人です。前記友人も中国旅行でご一緒された方です。私の妻を除く4名は現地で、K氏の奥様には極めて短時間ではありますが一度、お会いしていました。
 K氏は私達との会話でも何の不都合もなく進みましたが、奥様とのそれはK氏の通訳が必要でした。中国語を全く話せない私ども夫婦の無念さ以上にその事を悔しく思われたのは奥様であったであろうことが、その後の奥様の言葉で推量できました。
 自国の物とは全く異なるあらゆる物に興味を示され、感激され、覚え立ての日本語単語を発されていました。主婦であられることも関係していると思いますが、小さな食器類、料理、そして野の花などに対しては特にそれがありました。また、我が家の家屋、部屋の様子なども写真撮影の対象となって、所有されていたタブレットのシャッターが盛んに切られていました。
K氏には遠慮もあったのだと思いますが、観光地訪問より日本人の生活光景を視たい、との気持ちが示されていましたのでご案内したのは2地域のみに留めました。私達夫婦が菊池水源、大観峰、(小国で昼食)、阿蘇、最後が熊本城としました。翌日はY氏がご自分の車で天草を案内されました。前夜宿泊のホテルに迎えに来られ高速道も利用してJR「三角駅」見物へ向かいました。その後、上島の「千巌山」に上り、下山して一路南下して昼食。下島の下田温泉街やその近くの庄屋屋敷を訪ねました。
 1泊目と3泊目は我が家を利用して戴き、中間の2泊目は我が家から車で約50分ほどの所に在るホテルとしました。私達夫婦も一緒に泊まりました。その夜、中国におられる娘さんに電話をされたとのことでしたが、会話の中で奥様は自分はあと数月、日本に滞在しK氏のみ帰国して貰う旨の冗談を告げられたとのことでした。それをお聞きし、お世話する側として私達夫婦も嬉しくなり安心もしました。
 そのような状況の下で4日間が過ぎていきましたが、日を追うごとに奥様の心中には私達夫婦には計り知れない強い“ある思い”が育って行ったように感じられてなりません。ご本人はじっと、それに耐えておられたのでしょう、目頭を赤くされる場面が多く見られるようになりました。
 最終日、我が家を離れられるとき、奥様は家屋に向かって車の中からさよならの手を3、4度も振られました。JRの出発駅では私達もホームへ入りましたが、列車到着間近か、目頭はそれまでにない濃さとなり遂には、極に達されたようでした。奥様はたまらず、ある行動に移られ、それは私には初めての経験でしたが、お応えすることに心を強く籠めました。ここに至るには単に今回の訪日のことだけでなく、これまでの人生で経験してこられたあらゆることがその背景に在った、と思います。それらはご本人しかご存じない事情です。その場の雰囲気はK氏は勿論、私達夫婦も同じように包みこんで行き、全員が一体となったように感じています。
 離日の飛行機は午前1時を過ぎてからの出発だったようですが、その少し前と数日前に何れもK氏からお電話を戴きました。内容はその後の奥様のことなどでしたが、羽田を発たれる日は同地は降雨だったようで、その事を同氏は「私達の今の気持ちを表しています」と言われました。初の日本訪問がK氏ご夫妻にとってそこまで言わしめることは、かけがえのない大切なことだと思っています。
 K氏との繋がりの発端は、以前、このブログにも書きましたが、私が初めて中国を訪れたとき深夜の空港ビルの出口で、私達団体を出迎えに来ておられたK氏が、メンバーの最後尾で歩を進めていた私に「〇〇さんですね」と声を掛けられたその、僅か一言です。その事が今回に繋がったのですが、誠実で純粋なご夫妻と過ごした4日間は心打ち解け、とても気持ち良い充実した日々となりました。
 ところで、奥様のご両親と私達夫婦は何れも同じ年齢、しかもお父様は役所務めだった、とのことで、私は驚愕し、親しみが更に募りました。
 奥様とは初対面に近い関係だったのですが、にも拘わらず「日本のお父さん、お母さん」との言葉が今回生まれたのはその所以だと思います。実に有り難いことです。
再会が必ずあるように思います。   

  K氏の言葉から
     1.道路にゴミがなく綺麗なのは誰がそう、しているのか。    
     2.Y氏と私の食欲の旺盛さに「負けた!!」。(食事場所で出された物を毎回、完食し
       ただけでしたが・・・)

古布 その図柄

2015年09月20日 | 古布


言い争い、第3者に筒抜け
 昨日は妻の供をして外出しました。用を済ませた後、買い物の為に物産館へ立ち寄りましたが私は中へは入らず駐車場で待機していました。やがて、1台の車が目の前に止まり車中は分かりませんがナンバーは記憶にあるものでした。友人ご夫妻でした。用を済まされて帰られる所だったのですが実に偶然、お互いの驚きは大きく、こんなことが世の中にはあるのだ、と改めて強く感じました。
 ご夫妻はその近くに別荘をお持ちで、阿蘇山噴火による降灰の影響を確認するために同所へ向かわれていたのですが、私達にも立ち寄るよう、ご案内がありました。
 別れた後、私達はその別荘へ向かいましたが途中、妻のスマホに電話が入りました。二人で出掛ける時は100%近くが妻の運転ですので私が電話を取りました。ところが、私はスマホや携帯電話には知識が無いためどう、扱って良いかが全く、分かりませんでした。その様子に妻が説明をしますが画面には該当の表示がありません。とうとう、電話を切ることにしました。原点にかえるためです。それを4回ほど繰り返す羽目に陥りました。私達はきつい言い争いが続きました。
 結果的には私の最初の操作で相手の方との通話は可能の状態だったのです。私達の声を荒げての言い争いは総て、友人ご夫妻に伝わっていました。
 人の悪口でなくて本当によかった、とつくづく思っています。

古布 その図柄

2015年09月17日 | 古布


今後のお仕事に役立てばいいのですが・・・。
 去る6日から今日まで初訪日のお客様がおられます。出だしは我が家でその後、博多・大阪・京都そして東京と移動されました。天気については本当に幸いなことに全期間、訪れられたどの地域についても恵まれておられたのでは、と思います。
 しかし、こともあろうにこの期間に関東地方の大水害と地震・阿蘇山の爆発、加えて国政の大混乱まで起こりました。このことはそのお客様の今後のお仕事に役立つかも知れません。旅行業の方ですから、特に。

















古布 その図柄

2015年09月16日 | 古布


フェイスブック
 昨日書きましたフェイスブックについてその後、少しずつ理解が進んでいます。メール機能もあるようですしブログの性質ももっているように感じています。似て非なる存在のようで、その特長・特徴を生かせば前記2つの手段とは異なる面白い世界が控えているのではないでしょうか。
 昨日はついでに妻のスマホにもフェイスブックを導入してやりました。PCとその扱いが異なるため当初はかなり難儀しましたが諦めずに挑戦した結果、辿り着くことが出来ました。