クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

嬉しい届きもの

2019年04月30日 | 日記
今日午前、黄胡椒の苗2本を戴きました。毎年、同じ方から戴いています。今年の苗についてはネット購入、近くの種苗店への依頼も含めてその入手方法を考えていたところですので本当に有り難い事でした。昨年は2本の内、1本は育ちませんでしたが本年は果たしてどうでしょうか。育たなかった木に生った実を植木鉢に入れて種として土に埋め様子を観察していますが、今のところその芽であることを確認することまでには至っていません。今年立派な実が出来たらその中からよく育った実を来年用の種として保存しようと考えています。

庭の木3景です。写真左は桑の実、中はハイビスカスローゼル、右はユズリハです。前2者は食用ですがハイビスカスローゼルは生け花で使用することもあります。ユズリハは正月飾り用です。
  

宮中三殿

2019年04月29日 | ブログ
天皇陛下の退位に伴って報道されている内容の内、皇居内の様子はとても、とても関心深く捉えています。殊に、重要行事が執り行われる宮中三殿には拘りさえあります。今回の退位関係でもメインとなる場所です。「賢所」「皇霊殿」「神殿」の3つを表していて勿論、中央は「賢所」、庭からみてその右側が「神殿」、反対の左側に「皇霊殿」が在ります。先のブログに書きましたが、最初の勤労奉仕時は塀の外側からそれらの建物を見て説明を受けただけでしたが、2回目の奉仕では三殿の敷地内まで入ることができました。その場での作業は女性は草取り、男性は三殿の前に設けられている石庭全面に筋を立てることでした。慣れない、しかも力を要する作業でしたので男性群は1筋毎に交代してことにあたりました。宮内庁職員の方の指導に基づいて作業したのですが筋が曲がったり、その大きさにバラツキが在ったことは確かで、宮内庁の方からみられて果たしてどの程度の成果となったのかは分かりません。加えて、その後、強い雨も降り風も吹いた筈ですので私達が作った筋はその後いつまで残っていたのでしょうか。

庭の植物5種

2019年04月26日 | 植物
サクランボ
 いよいよ色づいてきました。全体的にはまだ、時期尚早の感はありますが中には真っ赤に染まったものもあり、今朝は真っ赤なもののみを収穫して食べてみました。やや酸味を帯びていましたので甘みが強くなるのはあと少し時間を要するようです。
桑の実
 今、昨年と比べて格段に多くの実を付けています。その侭食べるには充分の量があると思いますが、まだまだ小さく青い色をしています。来月には初収穫となるはずです。葉がなかなか出てきませんでしたので暫くの間は心配していましたが、木はちゃんと時季を心得ていました。

 今年の春の植木市で購入した柿の苗に葉が姿を現しました。根付いたことに安心しています。実の収穫は、その木の販売業者の方の説明では来年になるとの事でしたので私の首は伸び続けます。
ハイビスカスローゼル
 種を蒔いていたハイビスカスローゼルが芽を出しました。ジャムにしても少しの酸味は消えませんので若干、苦手の範疇に入りますが昼はパン食が常となっている我が家ですのでやはり、作らずにはおれません。
フジバカマ
 フジバカマは順調に育っています。そして嬉しいことには、毎日、視線を送ったり雑草を除去したりして可愛がっているだけに、それに応えてその密度がとても濃いようです。白だけでなく赤の花が咲くものも混じっています。略、隣り合った3区画で育てていますがそれぞれに育ち具合に違いがあることと、何故か東側へ向かって範囲が広がっていくのが不思議です。その方向には他の樹木が多く在り朝の陽光を遮っているのですが・・・。フジバカマに混じって生きている他の草の中には白、黄色、薄紫、赤などのごくごく小さな花を咲かせた実に可愛いものが在りますので、それを取り除くのには心を鬼にする必要があります。

紙の処分 完

2019年04月22日 | 日記
延々と続けてきた古い紙の処分、本日午前11時28分、最後の一束を竈に投入しました。予定していた本日分の量が意外にも早く終わったような気がしています。空模様が曇りがちだったこともそのことに貢献しているのではないか、との思いもあります。毎日、下からは竈の火の熱さが、上からは夏の陽光のような暑さが襲い、それに耐えることで作業を行ってきていました。負担が遙かに、遙かに軽くなった物置小屋もさぞかし、喜んでいるのではないでしょうか。腐れて消失した床の補修も待っているのだと想像しますが、それには1つ、大きな問題が伴っています。母が購入した電動マッサージ機がデン、と座しているのです(当時、購入価格は10万円を超えていたように思いますし、にも拘わらず使用することは殆どありませんでした)。しかも、小屋中間に設けられた棚から頭を突き出して。その棚を取り外さねばマッサージ機を取り出せないとなると、同所に置いている物品を全て取り除かねばなりませんので相当の覚悟が私に求められます。


財布

2019年04月19日 | ブログ
一昨日のシャクナゲ観賞ツアー時に移動中のバスの中で、一時紛失した財布の話しが出ましたので以下の3件を思い出しました。

その1
第1回目の皇居勤労奉仕の時、私達のメンバーの内の1人の方が皇居内で財布を落とされました。結果から云えばちゃんと届けられていてご本人の手元に戻ったので、事なきに終わったのですが、そうでなかったら計り知れない大変な事態に至っていたかも知れません。落とされたご本人は云うまでもなく、その方のお立場から私達団員全体にも影響が及んでいただろうことが推量出来る状況でした。待機場所から清掃の現場への経路は複雑で到底1人で落とし物を探しに行くことは不可能に近いのですが、それ以前に、単独で歩き回る行為そのものが許されていませんので不審者とみなされて直ちに皇宮警察のお世話になる筈です。また、勤労奉仕には全国から色んな団体が来ておられ、私達と同期間にも他に6団体くらいはおられたように思いますので、そのことも財布発見には厚い壁となっただろうことも思われます。しゃがんで草取りをされるときに落とされた可能性大です。

このあとは私自身に関する事です。

その2
まだ、私が勤めていた時代、同僚と2人で北陸のある都市へ出張しました。到着したのが昼近くでしたので食事をするため店へ入りました。食べ終わって支払いをする折、同僚は自分の分は自分で支払う旨を云いましたが立場上、私が2名分を負担するのが相応しく思いその事を同僚に告げました。彼は遠慮があったのでしょう、頑なに断りました。お互いの主張に結論が出るには少し長い時間が懸かってしまいました。結果は当然、私が負担することに落ち着きました。恐らく、その直後に私は財布を落としたのです。全くその事に気づかず暫くの時間が経って初めて認識しました。持参したお金や帰りの航空券等、全てをなくしたことに顔色が退くのが自分でもハッキリと分かりました。本来なら直ぐに食事した店まで戻るべきでしたが、訪問先と時刻の約束をしていたことからそれを優先させました。仕事を終えてから近くの警察署を訪れました。何故、気づいて直ぐ届けなかったのかを問われました(後で考えてみると、届けるまでに時間を空けることは犯罪発生に関係してくる、ことがあるのかも知れません)。実情を説明して納得して戴きましたし財布は届けられていました。拾って戴いた方のお名前と住所を教えて戴き、極めて幸いな事にその警察署から近い所のお住まいでしたのでお礼を持って訪問しました。女性の方でした。余談ですが、その後、関係された警察署2箇所へもお礼をお持ちしましたが1箇所は固辞、1箇所はすんなりと受け取られました。

その3
これもまた、勤めていた時代のことです。全国の会議で徳島市を訪れました。会議終了後、施設見学で全国的にも超有名な寺院へ案内されました。その場所で実に分厚い男性用の財布が置き忘れてありました。公道などなら警察に届けるべきですが私的な施設の中ですのでそちらへ届ける事にしました。財布が在った場所から届ける場所までの距離は近かったのですが、周囲の誰からも目に止まるよう敢えて財布を持った手を私の顔くらいの高さに上げて運びました。届けるのに1番近い場所はその寺院の売店でしたので其処におられた若い男性に経緯を説明して財布を渡しました。彼は「分かりました」と応えた一言のみで、私の氏名や住所等を尋ねることもありませんでした。果たして、その財布はその後、どうなったことやら。

財布

2019年04月19日 | ブログ
一昨日のシャクナゲ観賞ツアー時に、移動中のバスの中で、一時紛失した財布の話しが出ましたので以下の3件を思い出しました。

その1
第1回目の皇居勤労奉仕の時、私達のメンバーの内の1人の方が皇居内で財布を落とされました。結果から云えばちゃんと届けられてご本人の手元に戻ったので、事なきに終わったのですが、そうでなかったら計り知れない大変な事態に至っていたかも知れません。落とされたご本人は云うまでもなく、その方のお立場から私達団員全体にも影響が及んでいたことが推量出来ます。清掃の現場への経路は複雑で到底1人で落とし物を探しに行くことは不可能に近いのですが、それ以前に、単独で歩き回る行為そのものが許されていませんので不審者とみなされて直ちに皇宮警察のお世話になる筈です。また、勤労奉仕には全国から色んな団体が来ておられ、私達と同期間にも他に6団体くらいはおられたように思いますので、そのことも財布発見には厚い壁となっただろう、と思います。

このあとは私自身に関する事です。

その2
まだ、勤めていた時代、同僚と2人で北陸のある都市へ出張しました。到着したのが昼近くでしたので食事をするため店へ入りました。食べ終わって支払いをする折、同僚は自分の分は自分で支払う旨を云いましたが立場上、私が2名分を負担するのが相応しく思いその事を同僚に告げました。彼は遠慮があったのでしょう、頑なに断りました。お互いの主張に結論が出るには少し長い時間が懸かってしまいました。結果は当然、私が負担することに落ち着きました。恐らく、その直後に私は財布を落としたのです。全くその事に気づかず暫くの時間が経って初めて認識しました。持参したお金や帰りの航空券等、全てをなくしたことに顔色が退くのが自分でもハッキリと分かりました。本来なら直ぐに食事した店まで戻るべきでしたが、訪問先と時刻の約束をしていたことからそれを優先させました。仕事を終えてから近くの警察署を訪れました。何故、気づいて直ぐ来なかったのかを問われました(後で考えてみると、届けまでに時間を空けることは犯罪発生に関係してくる、ことがあるのかも知れません)。実情を説明して納得して戴きましたし財布は届けられていました。拾って戴いた方のお名前と住所を教えて戴き、極めて幸いな事にその警察署から近い所のお住まいでしたのでお礼を持って訪問しました。女性の方でした。余談ですが、その後、関係された警察署2箇所へもお礼をお持ちしましたが1箇所は固辞、1箇所はすんなりと受け取られました。

その3
これもまた、勤めていた時代のことです。全国の会議で徳島市を訪れました。会議終了後、施設見学で全国的にも超有名な寺院へ案内されました。その場所で実に分厚い男性用の財布が置き忘れてありました。公道などなら警察に届けるべきですが私的な施設の中ですのでそちらへ届ける事にしました。財布が在った場所から届ける場所までの距離はそんなに距離はありませんでしたが、周囲の誰からも目に止まるよう敢えて財布を持った手を私の顔くらいの高さに上げて運びました。届ける為に1番近い場所はその寺院の売店でしたので其処におられた若い男性に経緯を説明して財布を渡しました。彼は「分かりました」と応えた一言のみで、私の氏名や住所等を尋ねることもありませんでした。果たして、その財布はその後、どうなったことやら。

3大シャクナゲ観賞会

2019年04月18日 | 日記
シャクナゲは数年前に、隣町に在る山に登ったとき頂上付近に自生していたものを観たのが私は最初ですが、今回はバスツアーでの観賞に参加しました。男性は私を含めて僅か3名、女性20名の参加でした。妻は都合がつきませんでした。2度の皇居勤労奉仕でご一緒した方が約半数おられたようですが、旅行業者の方からのお誘いで大分県、福岡県のシャクナゲ園を訪れました。天候は2箇所目目までは晴れていましたが、3箇所目へ移動している時から微かにではありましたが降雨となりました。1箇所目の開花状況はまだまだで1週間後くらいが満開の見込み、とのことでした。後の2箇所は充分に見応えある花となっていて何れの園に於いても周囲の新緑との競演が実に素晴らしい景観を創りだしていました。写真5点を添えます。内、真っ赤な花は「ヒマラヤシャクナゲ」というものだそうです。

    


銀紙が破れない・・・お粗末の一席

2019年04月17日 | ブログ
数日前から処分に当たっている古い紙ですが、着手当初は破ってゴミとして出していました。しかし、対象紙の全体量が甚だしく多いため破る作業を続けることには無理があり焼却に切り替えました。死蔵品となっていたブリキ製の調理用竈に、リビングで使わなくなった照明灯のカバーを被せて炎や煙が拡散するのを防ぎ、紙の投入口両側にも瓦を置いて火や灰が外へ漏れないように留意して使っています。紙は完全燃焼させますので煙は全く、と言って良いほど発生しません。燃えた紙は竈の中で真っ黒に変わりますが、その所々に、キラキラと光り輝く銀紙かアルミ箔のようなものが目に止まりました。紙投入時にはちゃんと確認しますので紙以外が混じることは絶対ありません。しかし、どう目を凝らして視ても銀紙かアルミ箔らしきものがありました。金属棒を使ってそれらを取り出そうと何度も試みましたがダメで、それらは破れもしませんでした。謎に包まれた状態は長く続きました。私は、白内障手術後はPC作業ができることに重きを置いて眼内レンズを入れて戴いていますので近くを見るときには眼鏡は不要で、紙の処理作業中でも眼鏡は掛けていません。それでもちゃんと見えるのです。ところが今回のこと、よくよく観察しましたら何と、何と、その光り輝くものは竈の上部に被せた蓋の隙間から差し込む太陽光線でした。破ることも取り出すことも出来ない筈です。実にお粗末の一席でした。
 
写真左で、竈の右横の缶はオイルが入っていたものですが、今回は出来た灰を一時的に保存することに使っています。写真右は最終的に灰を収める大きな甕です。オイル缶に入れていたものをこの甕に移し替えます。
 
スズランが咲きました



何が何だか全く分かりません

2019年04月16日 | ブログ
妻がスマホを購入して、あるアプリを導入した折、自動的に甚だ多くの人がそれに登録されていました。本人もびっくりした程で、その中には妻に直接は関係なく私関係の人達が多数、含まれています。何故、そうであるのか、不明の侭です。一方、先般のこのブログにも書きましたように私がPCに採り入れた同じアプリでは反対に殆どの人を登録出来ません。例外的に4名の方が可能となっただけです。PCでの登録方法は相手の方のIDか携帯電話番号によるものの2つが示してありますが、前者は相手の方からそれを教えて戴く必要が生じますし、後者は相手の方から教えて戴いている住所録記載の電話番号を入力しても実現しません。妻の場合も、私の場合も全く、その理由・原因は分からず色んな事柄を想像してみますが1つの結論に辿り着けずにいます。

古い紙の処分

2019年04月15日 | 日記
4日前から古い紙の処分に着手しています。物置小屋収めているものですが、片面だけ印刷されていることからその裏を利用する為に保存していました。PCの側に置いていた紙(A4版)が残り少なくなったことから物置内のものを取り出しに行って初めて気づいたのですが、保存していた紙は全てB5とB4でおまけに、湿気で腐れているものも多く素直には使用出来ない状態でした。加えて、紙を置いた床の板までも完全に腐食して地面に落ちてしまっていました。床下は土の侭ですし紙は昭和の日付の物も在りますので当然と云えば当然のことです。処分の作業中実に面白い模様とそれを作った虫を発見しました。紙に巣くう虫です。模様は複雑に作られた細い溝から成り立っていて、その所々には丸い孔がありました。重ねた紙の数枚下までその深さがありました。光に接した虫は慌てて溝を伝って逃げ孔の場所へ移動しましたが、全身を隠すことは出来ずにいました。“頭隠して尻隠さず”の様相でした。私は、古い紙には虫がいることは知っていましたが、それは蟻よりも小さい、顕微鏡ででも視ないと分からないくらいのものだと思っていました。しかし、姿を現した虫は5cmはあろうか、と思われる尺取り虫のようなもので、そのことは目から鱗でした。2匹が巣くっていました。色は黒か、それに近いものでした。

私にとっての利点は今、2つのみ デジカメ

2019年04月13日 | ブログ
とうとう、私が使用するカメラはデジカメばかりとなってしまいました。その世界は満足感や充実感はゼロに近く本当に残念で悔しいことです。残り少なくなった私の人生ですので生存中にまた、銀塩(フィルム使用)が是非復活して欲しい、と願っています。銀塩では写真完成までに必要となる作業量、時間、労力あるいは経費も含めてデジカメのそれとは比べものにならない多さですが、撮影してからフィルムを現像するまで、あるいは完成写真を視るまで続く期待感、不安感は実に他に代えがたい極めて貴重なものがあり、それも魅力の1つです。写真が持つ味わい、やさしさ、やわらかさ、ある意味での曖昧さもそうです。写真活動に携わっている自分を実感出来ます。デジカメ使用では器械が勝手に撮影している、との錯覚に陥らざるを得ませんし、画像があまりにもシャープ過ぎて鋭い刃物のような感じさえ生まれさせ怖いくらいです。ただ、私にとってデジカメならではの利点は2つ在り(現時点で)、1つは、設定した露出補正の結果を撮影直後に確認出来ること、それにモノクロ撮影時の数種のフィルター機能です。これらはとても、とても有り難いです。デジカメ撮影の花5種を添えます。写真は左から「シラユキゲシ」、「ハナミズキ」、「ミヤコワスレ」、「ツルギキョウ」、「シャガ」です。
    

季節が変わり吹く曲を替えました

2019年04月12日 | ブログ
私が住む地域からすれば時期的は遅きに失しますが日本全体でみればまだまだ、時季ですのでハーモニカで「花かげ」を演奏しています。「坊がつる讃歌」も似たようなものです。この後は「背くらべ」、「雨降りお月さん」と続け、最後に「海」にしています。歌ですので季節に拘わらずいつでも良いのですがやはり、その季節にあった曲であれば気持ちが全然違います。

新緑

2019年04月10日 | 写真
今、色んな樹木の新緑が綺麗です。心が洗われます。写真は楓です。


偶に起きます 小さな偶然
昨日、2つの偶然が起きました。私と相手の方の間に、知らせを担う虫が介在していたのでしょう。
①建て替え前の家で使われていたタイル(最近、私達は知ったのですが、「マジョリカタイル」と云う物だそうです)を岐阜県で開催されていた展示会にお貸ししていました。昨朝、「展示会も今日が最終日だね」と妻に云い、とうとう、現地へ出向けなかったことを少し残念に思いました。その後暫くしてから催事主催の関係者の方から当該タイル返却についてのお電話が入りました。
②近く、シャクナゲ見物に私は参加することにしています。皇居勤労奉仕を世話された旅行業者の方からのお誘いを受けてのことで、関係の資料は以前に戴いていました。しかし、見物会が実際に催行されるのか、催行されるとしたら私は何時に何処で迎えのバスを待てば良いのか、が 決定していませんでした。当日が迫ってからそのことを電話でお尋ねしようと思っていましたら、その後暫くしてから、抱えていた疑問を解決してくれる郵便物が届きました。


経過僅か3年とはいえ、隔世の感があります

2019年04月09日 | ブログ
その女の子は今、小学校5年生。私が出会った時は2年生でしたのでまだ、3年しか経っていないのに遠い昔のような気さえします。隣町の、山に囲まれた地域で被写体を求めて歩き回った後、同地域にある小学校の分校を訪ねました。その分校は閉校になるまであと1ヶ月少々を残すのみとなっていた時期でした。丁度、授業が行われていて生徒は全員で僅か4名。女の子3名は2年生、男の子は1年生でした。先生のお許しがありましたのでその授業の様子などを撮影させて戴き、撮った写真は後日、再び同校を訪れて全員にプレゼントしました。その折、先生に、子ども達に茶道の経験をして貰うことの是非をお尋ねしますと快く了解して戴いたことから別の日、妻を伴って3度目の訪問を実施しました。妻は茶道具一式と和菓子を持参しました。私はその時の様子も全て写真に撮り冊子にして4名全員と先生に贈呈しました。また、当日わざわざ臨席された本校の校長先生にも差し上げました。その後、その子ども達との接触、縁は全く無く今日に至っておりましたが、先般発行された広報誌の表紙に1人の女の子の写真が載っていました。催事で「こども落語」を演じた時のものです。私はその写真の説明までは目を通していませんでしたが、記されていた氏名に妻が気づき私に告げました。間違いなく分校で出会った女の子の名前です。2回目の分校訪問時、私にスリッパを用意してくれた子です。広報誌の写真からは以前の顔に繋がることにはなりませんでしたが名前は間違いありませんでした。すっかり身体も大きくなって成長を遂げている姿に隔世の感があり感慨深いものが生まれました。3年間でそんなに変化を遂げていたのです。その子とは上述のような関係のみでしかありませんが、当時の4名の子のことを思い出しては私達夫婦は、ほのぼのとした嬉しさに浸っています。広報誌の写真は切り抜いて私が作った写真集に添えました。