





前のカミは紙、後のは神です。
この言葉は数十年前、我が家にお手伝いに来ておられた方が云われたのですが、それを耳にしてから今日まで私の中にはその言葉が生きています。
前述の手伝いの方は自分が1度使用されたちり紙でさえ、まだ使える可能性が残っている物は大切にポケットに仕舞われておれました。
私は色んな印刷物で裏がメモに使える物についてはそれを保存し、利用しています。今の時代では特に、資源の再利用にもなっている筈です。
ただ、紙を小片に切り取りますのでその量が凄く多くなり、私が生きている間には使い切れないほどに溜まっています。

夏の間、シャワーとしていたものを変更しました。前の冬、最も厳しい寒さの時でも半身浴を貫き、風邪をひくこともありませんでしたので今冬は少しは安心感をもって入浴出来るのでは、と思っています。
ところで、システムは総て自動に設定していますが、浴槽に浸かったあと暫くの間、湯量や湯温の調節の仕方が全く、思い浮かばず考え込んでしまいました。暫く使用しないと、こんな事さえ忘れてしまいます。結局は何もする必要はありませんでしたが。








昨日のNHKラジオニュースで、フランスのジャーナリストの招きで徳島阿波おどりの30名が訪仏され踊りを披露された、との放送がありました。これまでも海外での演舞開催のことは耳にしていましたが、30名という人数の多さが今回、特筆されたのかも知れません。そして来年は何と、300名を招く予定があることも付け加えられていました。
お囃子が録音されたものでなく常に、生演奏に限られていることも今の社会では極めて珍しいことで、これも観衆の心を捉える大きな要素になっているに違いありません。
同踊りは世界の踊り、世界に通用する、と私は捉えていますので当然のことだと思っています。
悲しいかな、夏の本番時の観客数は恐らく減り続けているのだと推量してますが、このことは後継者確保にも深刻な影響をもたらすことにも繋がりかねません。外国からの招待・招聘があればその心配の度合いが軽減されていくでしょうし踊りの更なる質の向上や魅力化も図られるのではないか、と思います。
私も経済的能力さえ持ち合わせていれば我が町に招きたいのですが、何と言っても先立つ物が・・・・。








昨日午後、外出しました。目的地は我が家から少し離れた所でしたが往復を歩くことにしました。そのことで事前に少なくとも4つの“鳥”が得られる確信がありました。それらを優先順に書きますと
1.長時間のウォーキングが出来ること。
2.登山靴を履くことで足の腹の熱おびとヒリヒリを防げ且つ、靴の耐久性を保持できること。
3.運がよければ、外出の主たる目的であるものを手に入れられること。
4.書店に立ち寄って写真雑誌で知人の作品を観られること
でした。
番号3については不安もありましたが結果としては可でした。ただ、4のことが実現しませんでした。書店で並べてある棚を念を入れて探しましたが、該当の雑誌を探し出せませんでした。私より数年も早くから、そして今もなお毎年、徳島阿波おどりを追っておられる方の作品です。(今回の掲載写真が何かは分かりませんが)
このことから“鳥”は3つに減りましたが、そのかわりに思わぬ“鳥”がやってきました。それは、このところずっと、未解決の侭だった演歌「花街の母」の1音符の演奏の長さが会得に至ったのです。歩調に合わせて口ずさんでいたのが功を奏しました。
半拍続きの途中に在る1拍です。くどいほど練習しても自己流で染みついた演奏の域を脱しきれず、匙を投げるしかないか、とさえ思っていましたが、演奏に明かりを点せそうです。これが4つ目の“鳥”です。









今朝も卵は2個とも立っています。
卵が立って以来、その部屋を使う時は極度に神経を使っています。隣同士の部屋に卵は在るのですが、私が立てたのは床の間、妻は仏間です。何れの場所でも歩くときにはまるで猫みたに静かに歩を進め、殊に、仏様参りの時は呼吸さえ慎重に行いまるで腫れ物に触るように、薄氷を踏むように、必要な色んな動作に神経を集中させています。
しかし、いつまでこんなことを続けるのでしょうか。自分でも分かりません。
ついでに、この卵はもう、鮮度が落ちていますので食用にすることは出来ません。

この1ヶ月前くらいから顎髭剃りに安全カミソリを使っています。今後も当分の間、継続させます。かなりストックがあり使用しないと勿体ないからです。
それまでは電気シェーバーを使っていましたが暫くの間、中断です。
カミソリ使用では「ジャリジャリ」といった音が発生し、これが何とも言えない快感です。如何にも髭が剃られていく、といった感じがしてそれだけでも肌が綺麗になったように感じてしまいます。電気髭剃りでもそれは同様ですが、カミソリとは何か違います。
逆剃りで肌に傷をつけて出血させたり、剃った後がヒリヒリとしてくるのが難点ではあるのですが・・・。






魅力のスイフヨウの花、その1輪か、ごく近くに咲く2、3輪を綺麗な写真にすることはそんなに難しいことではありません。しかし、咲きそろった花園全体を狙い同じような魅力を表現しようとしてもそれは、至難の技ですし、もしかすると不可能かも知れません。これまでのところ、撮った写真は全く、つまらないものばかりで直ぐに削除してしまいました。妻も同様です。私は数年前からそれに挑戦しているのですが。
何故でしょうか、スイフヨウの何処に問題があるのでしょうか。





概ね、こんなことが考えられますが果たしてどうでしょうか。スイフヨウは桜のように集合した魅力でなく、個々がその存在価値を示すもののようではあります。
しかし、更なる挑戦をしてみようと思っています。






一昨日は知人から依頼を受けて催事の撮影でした。10時から始まるとのことでしたが私の習慣として1時間前には現場に着きました。
関係者の方々の準備状況の記録も大切ですのでカメラを取り出しましたが、「アクセサリーシュー」にフラッシュがどうしても装着出来ませんでした。何度試みても挿入が出来ないのです。永く使用してきているフラッシュですが、そんなことは1度もありませんでした。挿入部のどこを視ても異常はないように見えました。
本番の開始時刻は近づきますし、部屋の中におられる100名近くの参加者の顔は逆光状態でしたので、どうしてもフラッシュが必要でした。根気よく挿入を試み続けてようやく成就しました。
機器類を本番で使用される方は恐らく同様の経験をされたことだと思いますし、或いはそのような現場に居合わせられたことがあるのではないでしょうか。リハーサルでは何の問題もなかったのに本番では・・・・。
かって、参加した、世界的に名が通った方の講演会では準備されていたスライドがスクリーンに上下反対に映し出されかなり長い時間解決しなかったことがありました。確認されて映写を数度、繰り返されましたがダメでした。(この時の講演者の方の発言が一流で「私がそうですから」。会場は爆笑でした。)
この11月下旬、催事で私はPCを持ち込んでスクリーンに映写することにしていますが、本当はかなりの不安を抱いています。人事を尽くして天命を俟つしかありません。
因みに、昨日フラッシュ挿入を試みましたら何の問題もありませんでした。