クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

芯から喜んで戴いた写真

2016年01月31日 | 日記
 昨日昼前、買い物に出掛けました。直線的に通じるメインの道路はありますが車の排気ガスが多いのでいつも、遠回りして農道を利用しています。数倍の距離になると思います。
 雨上がりの為、空中のゴミはなくなり、東の空はまだ、真っ黒な雲が垂れ込めていましたが西空は青く澄み切り実に清々しい姿を見せていました。路傍には所々に菜の花が咲き、空にはもう、あちこちでヒバリが盛んに啼いていました。
 午後、訪れた暖かさに誘われて先日の炭作りの方を訪ねました。写真を届ける為です。嬉しいことにご夫妻揃って在宅でした。写真を差し上げますとお二人はとても喜ばれました。その心から喜んでおられるお姿に私達(妻も今回は同行)まで嬉しくなりました。写真を撮らせて戴いた者として、そしてそれを差し上げた者としては最高の嬉しさです。お話しする内、ご夫妻の喜びの理由が分かりました。永年続けて来られた炭作りはその回で終わりにされるとのことだったのです。最後の作業のお姿を記録したものとなったのでした。
 帰途には、以前に作られた炭を大ごとして納屋から取り出してこられ私達にプレゼントされました。直径25.5cm、長さ39.5cm(一部44.5cm)もある大きな炭です。
 この日、ご夫妻に妻を加えた記念写真を撮りましたので、また後日、お届けしようと思っています。
 なお、ご主人は83歳との事でした。
青空と炭の写真を添付します。

豪雪 信じられない地域で

2016年01月30日 | 歳時記
 
 写真は隣県の筑紫野市で撮影されたもので、同地に居住の友人から送られてきました。40cmにも及ぶ積雪だったそうです。屋根に積もった雪が滑り落ちる直前の姿だそうで、その重量感がダイナミックに捉えられ恐ろしいほどです。我が家からも直線距離ではそんなに離れていない場所でこんな降雪があるとは信じられません。

今回大寒波の〆に・・・。

2016年01月29日 | 歳時記
 凍結した屋外の水道3か所ではホースを取り外していましたが昨日、全てを元に戻しました。水くみ上げポンプから蛇口までの配管は覆いがしてあったり、家屋の床下を通してありますので凍結はしにくいのだと想像しますが、その先のホースが凍って水が流れないとそこに至る迄の管にも影響が及ぶと思いますので取り外していました。気温が上がって充分にホースの凍結が解消されたであろう時期を狙って蛇口へ戻しました。
 これで今回の大寒波に関しては我が家は打ち止めです。
 写真は玄関前に下げている化粧鎖に出来た、つららです。 

PC救世主との出会い

2016年01月28日 | PC
 私は最近は白内障も加わってPC画面の文字がもの凄く見えづらくなっています。場合によっては全く、見えない事もあります。このことからその作業中は顔を画面に極力近づけています。当然のことながら身体の姿勢も前屈みとなり極めて憂慮すべき状態です。昨日はそれを解消すべく、手持ちのやや大きな虫眼鏡の活用法やPC画面大の拡大鏡などについて何とかならないかを考えていました。メルマガでは時折、頭から被る物や眼鏡に装着する拡大鏡の案内が現れますが、それらが適当な物かどうかは分からず、購入には至りませんでした。思い立ってネット検索している中で該当のサイトに出会いましたのでそれを参考に私のPCで機能を探してみました。その結果、発見することが出来ました。ちゃんと、現在のPCにも拡大鏡のソフトが盛り込まれていました。早速、スタート画面にも採り入れ常時使えるようにしました。しかし、まだ、慣れないために少しの煩わしさはあります。いずれにしてもとても助かっています。正に救世主です。PC作業での余分な、過度の神経集中も姿勢の悪さもこれでほとんど、解消できる筈で有り難い、有り難い、とても有り難いです。

もろもろのこと

2016年01月27日 | 日記
不思議
 その1  部屋の中に在る水道の内、1か所が凍結していました。その水道が使用出来るのには長い時間を要しましたが、出てくる水の量が本来の量に近いもので私はびっくり、そして喜びでした。と、言いますのは家を新築した直後はそのような状況でしたが次第に出る量が減少していき凍結する前には水の出がなくなるほどに陥っていました。これまでに業者の方に修理して戴いたこともありますが、その後しばらくは正常でもやがチョロチョロの状態に変化して行きました。それが、今回の凍結後、まともな形に近くなったのです。何故か、私には分かりません。ただ、また、だんだんと状態は悪化していくのではないでしょうか。
 その2  このところは聞こえなくなりましたが、先日までしばしば、PC操作中に男性が咳する声が聞こえてきていました。ごほん、ごほんと2回です。必ず、2回で終わりました。回を重ねるごとに注意を払って神経を集中させて聴いていましたが、その声は生ではなくどうも録音されたもののように感じられました。私の咳ではないように思いますが・・・。

その他
 その1 畳表を替えて最初に来訪されるのは、どなただろうか、と楽しみにしていましたが本日、この後、直ぐに月参りに来て戴く住職さんになりそうです。
 その2 最近は「グラノーラ」という食べ物にはまり込んでいます。親類の者が持ってきてくれて初めて知った食べものですが、なかなかの物です。価格は安く栄養価も高いようです。内容量の割に箱が大き過ぎ、それが不思議です。

「北風吹きぬく・・・」

2016年01月26日 | 歳時記
 私は毎年、冬になると自然に口に出てくる言葉があります。歌謡曲「寒い朝」の歌詞ですが、その冒頭部分です。「北風ふきぬく寒い朝も心ひとつで温かくなる」という部分です。寒さを凌ぐ方法を私自身に言い聞かせているのです。
 ついでに書きますと、「青春時代」の「青春時代の真ん中は胸にトゲ刺すことばかり」も同じように日常、口をついて出てきます。1番の歌詞「・・・道に迷っているばかり」より2番のこちらの方に強い思いがあります。
 今日は古い話になりました




甚だしい想定外

2016年01月25日 | 歳時記
 油断しました。
 毎冬、毎夕、私はTVの天気情報で翌朝6時の気温を確認するのが日課です。
 大雪の予報が出された昨朝の気温は-2度でした。-3度まででしたら水道管凍結は起きないとのことですので先ずは何も対策を取らずに済みましたが昨夕、TVで情報を画面に出してみましたら今朝6時の気温は-3度でした。安心しましたが参考までにその時刻より前の時間帯へ視線を移してみますと何と、昨晩9時が-5度、午前0時は-8度と表示されていました。恐るべき低温でした。私の経験の記憶には存在しない温度です。
 その状況では昨晩の早い時間帯から気温は下がり続ける、と思い直ぐに屋外へ出ました。すると既に手遅れでした。3か所の蛇口全てが全く、微動だにしませんでした。
 全くの想定外、油断でもありました。一体、何時頃から冷え込んでいったのでしょうか。
 幸い、部屋の中に在る蛇口は健在でしたので水汲み上げポンプから最も遠い位置にある屋内(暗室)の蛇口を開け水を今朝まで出し続け、現在の時刻午前7時26分でもなお、それを継続させています。
 写真は昨日撮影で、ニワハニワと車のその後です。(庭・埴輪)




畳の色 追加 その後の新発見

2016年01月22日 | 日記
 今日1日をすごして畳の色が様々に変化して見えることを知りました。昨日見たのは緑と白っぽく見える色だけでしたが、今日は時刻によって複雑な色合いが幾種も見て取れました。太陽光の強さの変化と畳を見る角度がその現象を生み出したのだと想像します。
 畳に関する私の新発見です。

畳の色

2016年01月22日 | 日記

 表替えをした畳で“あ”の方向から見たとき、図に斜線を施した部分のみが白っぽい色に見えました。他の6枚は緑色です。連続した2間の部屋がそうでした。全体が同じ1色では面白くない為、わざとそのようにしてあるのか、とも思いました。その事を作業して戴いている職人さんにお尋ねすると、畳に在る線の向きの関係で、見る方向によってそのようになる、との答えを戴きました。“い”の方向から見直してみますと全くその通りで、緑色でした。
 夕方には中央のAとBの畳が“あ”の方向から白っぽく見えました。日射しが弱くなった時刻ですのでそれが関係したのでしょうか。

細かい気配り

2016年01月21日 | ブログ
 今日午後3時過ぎ、新しい畳が部屋に収まりました。畳の淡い緑と香りが目と鼻にすがすがしさを投げかけてくれています。先月には襖を手入れしたばかりですので部屋の雰囲気が格段に良くなりました。
 築77年を経過した家屋ですので他にも気になるか所が存在し、それをどうするかが問題として残っています。
 畳替えの職人さんはお二人とも若い方でしたがその作業には細心の注意を払われていました。畳を敷き詰められた後、それらの高さを確認されたり汚れを拭き取ったりされ万全を期しておられました。
 写真2点を添付します。

畳替え

2016年01月20日 | ブログ
 今日は早朝から畳屋さんにお出で戴き畳替えに着手して戴きました。替える数は22枚です。前回が何時だったかの記憶はありませんが、畳の下に敷いてあった新聞紙は1999年のものでした。今回の交換時期が一般的に早い部類に入るのか、普通か或いは遅いのかも分かりませんが、今日までの間に、別の部屋にあった綺麗なものを寄せ集めて姿を整えていた記憶はあります。その為、同じ場所で色合いが異なる畳が混在していました。
 畳屋さんは畳を取り外す前に1枚、1枚を丁寧に点検され留意すべき事柄を畳に書き込んでおられました。ちゃんと床に収まっているか、隙間はないか等を調べられたのだと思います。流石はプロ、と感心しました。
 なお、今の時代は新聞紙は敷かないそうです。新聞に使われているインクの質が昔とは異なる為との事でした。
 写真を添付します。

炭作り

2016年01月19日 | 歳時記
 昨日のブログに書いた炭つくりの写真4点です。
 窯の中には煉瓦が積み上げられ(写真1)、しっかりと練り込まれた赤土を手で丸めて(写真2及び3)煉瓦部分に力強く叩きつけられました。窯入り口前に見えるビニール袋には商品にならない、くず炭が置かれていましたがそれらは次の炭作りの時の種火に使われるそうです。写真4は窯の全体像です。
 携わっておられる方の年齢は84歳、血色もよくとてもお元気でした。
 炭の出来上がり時は再び、お訪ねしようと思っています。
 

肥後の石工遺産と十三仏

2016年01月18日 | 歳時記
 先日の午後、あまりの好天に誘われて撮影行をしました。冷蔵庫で眠り続けているブロニーフィルムを使いたい気持ちが強く働き中判カメラを携行しました.
 荷は当然、かなりの重さになりますので車使用が余儀なくされましたが、出掛けて直ぐ視力に大問題が発生し、所要約1時間の場所への予定を変更せざるを得なくなりました。昼間の明るい時間帯でも運転に支障を来すほどの見えづらさでしたので日が暮れた時刻になると思える帰途は絶対に運転不可能となることは明らかでした。
 このことから、隣町の山間の集落を訪ねました。「今村」という地域で、その集落の近くは割とよく通るのですが入り込むのは今回が2度目でした。
 車を置いて小高い山径を上り始めますと1人の男性高齢者の方が路傍で作業をしておられました。炭焼きの準備をしておられたのでした。その方と暫くの間、話を続け炭作りの話などをお聞きしました。
 会話の中で私が写真を撮りにきたことを話しますと、その地域で訪ねる所を2か所教えて戴きました。1つは明治4年に築造された眼鏡橋、あと1つは十三仏(じゅうさんぶつ)と称されているものでした。前者はいまだかって一寸の狂いもなく健在である、とのお話しでした。後者は在ると言えばある、無いと言えばない径を登り、更にまた同様の径を少し登る、という分かりにくい場所にありました。老朽化した阿弥陀堂の中に祀られていましたが、仏像は全て新しいもののようでした。
 炭焼きの方の奥様のお話では十三仏と言うが14体在る、とのことでしたが、1体は見当たりませんでした。大きな仏像の後に隠れていたのかもしれません。
 2者の写真を添付します。