クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

続 「映画史を代表する不朽の名作30選」

2016年05月30日 | 社会
映画「ベンハー」
 ウイリアム・ワイラー監督の緻密さを極めた演出
 この映画は何回も何回も繰り返して観て戴きたい作品です。それは監督による徹底した緻密な表現を通して事の本質を、観賞される方に感じ取って戴きたいからです。往々にして大作に存在する所謂、大味なものが全くこの作品にはありません。1度の観賞では戦車競走のど迫力は記憶に留まると思いますが、全編を貫く間口が広く奥深い意味を含んだ内容にまで理解が至るには、そのことが必要です。
 1回の観賞に約4時間近くを要しますので頻繁に観ることは出来ませんので、機会ある時に接することで充分だと思います。
 私は観賞される方には事前に映画の内容に関することは一切、口にしないことを徹底しています。ご本人がご自分で感じ、考えて戴きたいからです。
 なお、当然のことながら映画に添えられた音楽も非常に素晴らしく、心に深く染み込む名曲です。クラッシック音楽とも云えるような曲ですのでそれだけでのファンもおられるかも知れません。映画音楽史上の金字塔的存在になっていて紛れもない映画音楽の最高峰と評価されているそうです。映画が当時のアカデミー賞11部門を総て受賞しましたが、その中には当然のことながらこの曲も含まれています。
 作曲はミクロス・ローザという方でハンガリー生まれ。お母さんがピアニストだったそうです。

「映画史を代表する不朽の名作30選」

2016年05月29日 | 社会

 昨日、ネットを見ていると標題の記事を見つけました。私が拘り続けている映画「ベン・ハー」も当然その中に含まれているはず、と思い画面をスクロールさせていますと、期待通りでした。
 其処に私用されていたスチール写真はその映画を紹介するものとしては初めて採用されたものではないか、と思っています。これまでは常に、一般に訴える迫力を持つ戦車競走の場面でした。しかし、今回のサイトでは写真だけを見ても映画をご覧になっていない方には何の意味を持つかはお分かり戴けないと思います。実に、実に意味を持ったシーンなのです。一方は奴隷となっている身、他方は帝国の司令官です。その後者が、自分に差し出された水を自分が飲む前に前者に勧めるのです。周囲の部下がその様子を不審の目で見つめる画像も見て取れます。
 何故、その場面に至ったかの経緯説明は此処ではやめます。
 ウイリアム・ワイラー監督の緻密な演出は約4時間に及ぶ映画の全般に亘って施されています。副題はキリストの物語となっていますが、内容は人の生き様で、私達誰もが生きていく上で出会わなければならない色んな状況を主人公ベンハーを通して象徴的に表現させておられます。貫かれているのは一言で言えば人に対する愛ですが、喜び、悲哀、絶望的な苦悩、友人との関係、身分や人種の違いによる差別の否定、周囲への思いやりなどなど、此処では書き尽くせません。
 先のこのブログ何度も書きましたが、この映画は私が高校生のとき全校生が観賞したもので、その後は感受性の強い年代にあられる私の家の近くにおらる人達を我が家へ招いて、あるいは職場の同僚を招いて観て戴いていました。
 今後も、私が生きている限り若い人達に観て戴こうと楽しみにしています。
 参考までに、これまで広報に使われ続けていたスチール写真を下に添付します。

桑の実の気持ちになれば・・・

2016年05月27日 | 植物
 園児撮影は今日は休みました。午前は父母の命日に毎月お願いしている月参り、午後は案内を戴いた桑の実ちぎりが控えていたからです。
 ご案内戴いた方の家に着いたとき、その方はご不在でしたが事前に、そのような折は「(桑の実を入れる)ザルを置いておくから」との連絡を戴いていましたので何の問題もなく、実の初ちぎりに入ることが出来ました。木全体に溢れかえる量の実が付いておりちぎるのにかなりの時間が必要でした。暫くしてお誘い戴いた方が帰宅されちぎりを手伝われました。
 完熟した実は手を枝に触れるだけで落下しました。ザルを下に置いてそれに備えましたが地面に落としたものも相当数あります。2人の両手は濃紫に染まってしまいました。
 「早くちぎってください。早く食べてください。待ちに待っていました」と、桑の実が懸命に訴えているように私は感じました。

飛び出した名言

2016年05月26日 | 日記
 先日、地震に備えてタンスを移動させた後、不要になった衣類を資源ごみとして出すべく妻が準備をしていました。私がその場に行きましたら衣類を纏めて縛る紐が必要以上に長く使われていました。「ごみ出し王子」を自認する私としてはそれを見過ごす訳にいきませんでした。資源ごみ出し時、新聞紙、段ボール、紙パックなどについては私は紐の長さを必要最小限にしています。毎回のことだからです。
 私がアドバイスしたことで少しの言葉のやりとりが始まりました。「無駄はいかん」「この長さで良い」などと発言している内、妻から思わぬ言葉が出ました。「あなたが生きていること自体が無駄」。2人で大笑いしました。
 私もある部分納得し「本当にそうかもしれない」と、思っています。


園児撮影 4日目

2016年05月25日 | 日記
 保育園での指導内容は毎日が「似て非なるもの」であることが分かり、撮影場面に事欠きません。園としてのカリキュラムがそうであるようですが、子ども達はそれらの条件の中でも自由に自分の好き勝手な行動に入ったりもしています。園の方から「お茶をどうぞ」とのお誘いを戴いても子ども達の側を離れる気にはならないのが現実で、それは云うまでもなくシャッターチャンスを失いたくないからです。
 ところで、今日は考えさせられる場面が発生しました。1人の女の子が私に抱きついて長い時間離れませんでした。それも力が籠められていました。仲間に苛められた様子はありませんでしたので当初は不思議に思いました。しかし、その後いくつかのことに想像を巡らせました。何かその子の家庭に関係していることではないか、と。暫くの間、私もしっかりと抱きしめて声かけながら自然に彼女が離れるのを待ちました。
 やがて他の女の子が遊びの誘いに来ましたので彼女は私を離れました。
 別件ですが、昨日は廊下で移動中の園児達とハイタッチをし続けました。男の子は流石に力強く私の手を叩いてきますが、女の子でもかなりの強さでタッチする子がいました。そういう中でそっと静かに手を当てた女の子がいました。瞬間、ビックリしました。力強いのはそれはそれでいいのですが、優しく手を合わせた子は優しい心の持ち主なのでしょう。


自分で自分を疑う自分の病気

2016年05月24日 | 日記
 魚釣りで浮子や竿先を見つめている時はその人の頭の中には浮子と竿先しか存在していません。この世の中のあらゆることが消え去っています。
 今の私でその代わりになっているのは写真撮影です。通常は心臓の病に気を使い、白内障が出て来て両眼のバランスが崩れて極めて不自由な時を過ごしているのが実情ですが、それらのストレスを全く忘れ去っているときが撮影の時なのです。正に、魚釣り時の浮子と竿先の件と同様です。心臓のことも忘れ去っていますし、白内障が左目に比べて何とか軽度で収まっている右目でファインダーを覗いていますので、撮影時に病気を自覚することもありません。完全忘却です。
 撮影終了後、現実に戻りストレスに直面しますが、至福の時に浸っていた病気持ちの自分を自分で疑うことにいつもなります。

往生際甚だ悪し、4度も5度も匙を投げたのに

2016年05月23日 | 歳時記
 タンスへの扉装着、どんなに挑戦しても完了しません。タンスにキズを付けているだけです。もう止めた、と自分に言い聞かせても扉を置いている部屋へ行くと、ムラムラと・・・。装着部分の金具などを確認して挑みますがダメです。素人では困難と思える難しい作業なら最初から手は着けませんが、そうでない筈ですのでそれが私の往生際の悪さを生んでいます。

我が家のアガパンサス
 今年は1本のみなのでしょうか。昨日その存在に気づきましたが今のところ花を付ける茎が1本のみしか姿を見せていません。 

パンフレット作り
 知人の方から作成を依頼されているお寺のパンフレットの原案、第2回目ができました。あと少し、文章を追加すれば大凡、完成となります。A4版を横に使い写真25枚を盛り込んでいますが依頼者の方のご意見次第で変更の可能性もあります。

今日から保育園撮影再開です。
 我が家の地震対策の第1弾がほぼ、終了したことから中止していた写真活動が再開できます。先日は部屋内での撮影でしたが今日は屋外の保育を記録する予定です。

一瞬の油断

2016年05月22日 | 日記
 外出時は必ずウェストバッグを身につけ、その中には最近、コンパクトデジカメを入れていました。10年以上も前になると思いますが妻の誕生日に私が贈ったものです。どれだけかの年数が経った後、妻が「壊れた」といってそのカメラを使わなくなりましたので私が点検して、使用可能との判断からその後ずっと、使い続けてきました。携帯するには好都合だったのです。
 昨日、買い物に行きレジで支払いをした折、バッグのファスナーを開けた途端、カメラを床に落としてしまいました。その後はカメラのスイッチが入らなくなり使用不能となりました。
 一度は廃棄対象となったカメラですし(本当にその状態に陥っていたのかどうかは疑問ですが)、購入後、相当の年数も経ており且つ、使用頻度も多かったので後悔はありません。
 問題は今後、どうするかです。1眼レフは所有していますが常にバッグに忍ばせておくことはその大きさ、重さからも不適当です。さてさて、どうしましょうか。

未練たらたらで挑みましたが・・・
 タンスへの扉取りつけ、その後数回、挑みましたがやはり成功しません。「もう、諦めた」と自分に言い聞かせてしばらくは過ごしますが自然と又、挑戦したくなります。正に、未練たらたら、なのです。そのような状態を2、3回繰り返しました。しかし、もう本当に諦めました。タンスにキズを付けるばかりです。
 ちょっとした要領、コツが必要なのだと思います。

一昨日移動させたばかりのタンス2棹を昨日又・・・

2016年05月21日 | 日記
 大工さんお2人にお願いし苦労して移動させられたタンス2棹を昨日又、動かしました。それぞれの置き場所が逆だったのです。一昨日のその時には妻は不在で、妻の考えが私に正確に伝わっていなかったのです。
 タンスどうしの場所は直ぐ近くなのですがその間には狭い廊下、2段の階段、低い天井しかも移設先の部屋に入れるには急激に左折しなければならない、という条件もありました。最初に発生した問題点は横、縦、奥行きのどれもが長く凄い重量を持つタンスを妻と私で動かせるか、でした。タンスのドア3枚を外し(このドアが物凄く重く1枚だけでも力を使い果たすくらいありました。3枚の合計はタンス全体の重さの半分くらいはあるのではないでしょうか)、タンスの片端を持ち上げて毛布を下に敷き、動かしやすいようにしました。
 部屋から出すにもタンスは傾けなければなりません。更に、移動先までは廊下を進むのが最短距離ですが途中の2段の階段と、その上方の天井が低いためタンスを通すことは出来ませんでした。そこではた、と行き詰まりました。
 考えた末、一旦、中庭へ出し別の廊下の窓から家の中に入れることにしました。中庭の楓の枝も数本、切り取りました。
 早朝から取り組んだタンス入替作業、ケガもなくタンス2棹に大きなキズをつけることもなく無事に終了しました。流石に2人とも甚だしい疲れが全身を埋め尽くしていました。
 ただ、取り外した5枚のドアの内、3枚を元に戻すことが出来ずにいます。大工さんは、いとも簡単につけられましたし、その方法も難しいものでないことは私も分かっています。理屈は実に簡単なことなのです。なのに、どうしても、どうしても成功しません。成功した2枚は“偶然”としか言いようがありません。大工さんにまた、お願いすることになるでしょう。

我が家の飲料水

2016年05月19日 | 自然
 私が住んでいる町には上水道はありません。各戸が自分でボーリングをして水汲み上げ用モーターを設置して生活用水を確保しています。そのような中で我が家は1年半くらい前にエコ給湯を導入しました。その折、モーターの横にはフィルターが併設されました。給湯機にごみが入らないようにするためです。
 今回の地震であちこちで水が泥を含むようになりフィルターが根詰まりして水の出が悪くなっている、との情報を戴きました。早速、我が家のフィルターを取り出してみますと1年半前の状態とほとんど変わらない綺麗さを保っていました。それを設置され今日、アドバイスされた方もそれを見られてびっくりされました。
 我が家の水は無色透明、フィルターには目に見える汚れは全く、といってよいほどにありませんでした。本当に、本当に有り難いことです。
 そのことと私の行為は勿論関係はありませんが、私は毎月1日には起床後直ぐに米・酒・塩をモーター(水神様)に供えて感謝の気持ちを捧げています。それがせめてもの救いとなっています。

地震に備えました。
 今日は2階に置いていた妻のタンス2棹を1階に移しました。洋服タンスと整理タンスですが双方とも凄い重さで、しかもその大きさから階段を
利用出来ず、窓を開けて其処から下ろさねばなりませんでした。30年以上も前になりますが、2階に運び込んだ時もその窓からでした。今日は、偶々、家屋の修理に来て戴いている大工さんお二人にその作業を特別にお願いしました。勿論、私も手伝いましたが本当に血管が破れはしないか、と思えるほどの力が必要でした。しかし、お陰様で3人とも事故もなく家具にキズをつけることもなく無事、終了させて戴きました。

外壁の修理
 昨年の台風と今回の地震で傷んだ家屋の土壁の修理が本日、終わりました。当初は左官さんによる補修を考えていましたが、築78年にもなる家屋で、全体が老朽化していることから白色のトタンを張って戴くことに変更しました。出来上がりが純白一色ですので、其処に絵でも描いたら良さそうです。ただ、私にはその才がありません。 

桑の実 初収穫

2016年05月18日 | 歳時記
 食べ頃を迎えた桑の実を収穫しました。木が小さいため実の大きさも小さく、しかも数も20個も着いていないようです。中にはまだ、未熟なものがありますので初回は写真に収めた量に留まりました。味は申し分ありませんでした。




「メッシュ友」  無題

保育

2016年05月17日 | 社会
 保育園から撮影のお誘いを戴きました。昨日がいわば初日です。これまでは夏の行事「お泊まり会」は記録させて戴いていましたが、日常の保育の様子を撮らせて戴くのは初めてです。子どもたちと頻繁に顔を合わせていれば今までにない写真に繋がることも考えられますのでシャッタ-を切るのが一層、楽しみになります。

  写真1      2       3
写真1:お祈り 1日の保育の始まり 
写真2:運動
写真3:折り紙

 

“その方”

2016年05月16日 | ブログ
 人はそれぞれですからあまり触れたくはないのですが、今はどうしてもその考えを破らねばなりません。その理由は内容が血税に係る極めて重要なことだからです。
 “その方”はその職に就かれる以前も、その職に就いておられた間もずっと、借家住まいでした。それも古い木造家屋でした。年数にして20年以上になる、と思います。何れにおいても公務に携わっておられたのですが、その姿勢は正に公私の峻別そのものでした。東京出張時も宿泊されるホテルは私達が泊まる素朴なホテルを利用されていました。これらのことは私が直接、接し目にしたことです。また、“その方”の近くで仕えていた人達の話では海外視察に於いても奥様を同伴されることを拒まれ、周囲の者が奥様同伴が礼儀となっている旨を伝えてようやく、首を縦に振られたとのことです。しかし、それでも奥様の経費は自費とされたとのことでした。勤務外で使用される僅かなタクシー代等についても必ず、ご自分で負担されていた、と聞いています。
 これらのことに象徴されるように“その方”は人格高潔、清廉潔白、公私峻別で、そのお言葉・表現は簡易ではありましたが、その意味するところは極めて極めて奥深いものでした。
 そういう生き様の方でしたが“その方”は人から尊敬されることはあっても決して、侮蔑を受けられることはありませんでした。
 それに比べてどうでしょうか。報道によると、公費を私用に充てたり海外で高級なホテルに泊まって超高額の料金を払ったりしたうえ、その理由を、高級ホテルに泊まらないと来訪者から馬鹿にされるから、と説明する公職の人物が出てきているようです。
 その財源が血税であることを忘れ去り、人の本質とは無関係の“見た目”“外見”で判断してもらおう、との考えを私は全く、信じられません。

k氏提供写真 (終)

2016年05月15日 | 写真


何故、熊本なのか?
 日本中に活断層は無数に存在するようです。それらの何処で今回のような地震があっても絶対にいけません。そういう中で何故、どうして熊本が発生の対象になったのでしょうか。発生の必然性を科学的に解明することはできないのでしょうか。また、緊急地震速報が地震の発生より遅かったのも今後の大きな研究課題だと思います。