バイオの故里から

バイオ塾主宰・Dr.Kawanoの日々、収集している情報(DB原稿)をバイオ塾メンバー向けて公開しています。

焼酎<桝形>が完成

2005年03月13日 | 腸内細菌 プロバイオティクス

 地元の酒造メーカーに委託していた試験的焼酎<桝形>が届きました(カット写真)。先ほどまで桝形の当主・粟倉社長と長い時間の焼酎談義に話は続きました。粟倉さんのバイオビジネスの入り口になる記念作品に相応しいできばえだ。花の舞酒造の森さんのセンスには改めて敬意を表したいです。 
 先日のFOODTEXでは、同郷(伊豆・大仁)の先輩穂積忠彦さんの開発により輸入販売されたフランス焼酎「パリ野郎」にも触れることになる。この酒、甜菜糖(砂糖大根)を原料とする甲の焼酎に属するもので、アルザスの水が使われているという。http://www5e.biglobe.ne.jp/~horoyoi/  
 平成9年に穂積さんは亡くなったのですが、弟の隆信さんは韮山高校(当時中学)の先輩でした。よく覚えている。映画TV悪役、「積み木くずし」で有名。忠彦さんの家は隣街の吉田で、西洋の匂いのする広い庭のある際だった存在でした。お父さん忠さんは詩人としても全国的に知られた方だと聞いてます。その家の近くに竹馬の友・和多善之さんのお寺がある。大仁は父の勤めていた東洋醸造(蔵元:脇田家)があり、醸造学では名を残す杉山晋作先生も三福の出身。製パン工房ドイツパンの「ベラケイダンケ」http://www.backerei-danke.com/の杉山旭さん(高校の1年先輩)とご子息の太一さん親子との交流も続いている。杉山パンを戦後早々に製造販売に踏み切ったのは正雄博士で、わが親爺を小豆島から呼び出した人。 戦中,戦後の酵母,微生物の研究開発の先端を走ったわが街でもある。いまは医薬の研究センターを旭化成が開発拠点として残してはいるが、かつての面影は失っている。最盛期には、バイオ故里の主人と言われた坂口謹一郎、朝井勇宣,有馬啓など草々たる大御所先生方の姿をお見かけできた。高橋貞造先生の蔵書の疎開先に東洋醸造を選んだのですが、2回にわたる航空燃料工廠でもあった工場が全焼し,終戦を迎える前に焼失してしまった。当時、海軍から監督官として赴任されていたご子息・雅弘さん(元・味の素食品研究所所長)とは、のちにアミノ酸発酵のシンポジウム,酵母細胞研究会などで直接ご指導戴いたご縁もあった。なつかしい私ののバイオの故里としての原点ともなっている。森田正英(元・富久娘酒造社長)、松田哲朗(元・東洋醸造副社長)のお二人には微生物、醸造技術を直接指導いただいたことも付け加えなければ大仁の章は〆ることはできない。