イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

カネ充(じゅう)

2011-11-11 00:15:18 | 朝ドラマ

だいぶ前にここで“リア充(じゅう)”というネット用語(←すでにして死語?)について軽く考察めいたことを書きました。

“実生活=リアルが充実していると、ネットとの付き合いやネットでの発信には熱心でなくなる”という前提あっての用語なのかな?と書いた記憶がありますが、最近、これに限りなく似た気分です。

 あまりにどストライク、ピンポイントで、ズレも外れも皆無に近いドラマだと、逆にブログで解体しようとか、分析しようとか、レヴューを書こうなんていう邪念が出ませんね。

 もちろん『カーネーション』の話です。書いてる暇があったらリピート視聴して、前回視聴で見逃したディテールや小ネタをねぶり尽くすほうがいいもんね。今季はここも“実質カーネーションブログ”化してもいいやとハラくくっていたのですが、はまり過ぎると、逆に書けない。と言うより、書いてる時間が惜しい。

 いままでここで、数々の連続ドラマを連続追尾して来ましたが、「おもしろかったから、堪能したから」が燃料になるのはいいとこ7割で、3割は「物足りないから、首かしげるから、もっとどうにかしてほしいから」で筆が進んでいる。

いまのところほど願ってほど叶う”状態の我らが(誰らがだ)『カーネーション』は、ただただ観させてもらってるだけで充実。食材選びも、火の通りも調味も盛りつけも十全なのに、シロウトが偉そうに切り刻んで並べ替えて「ほら、これくらい焼けてますよ」と切り口見せたり、ウスターソースだのケチャップだのマヨネーズだのかけたりして何になるか。

今日の34話は15分の前半を紳士服ウルトラ、じゃなくてロイヤル大将(団時朗さん)が持って行きました。4人いる職人さん、全員横分けでテラッと撫でつけてズボンはサスペンダー。個性的な髪型にすると大将がひがむのか。なんだかいまにもクリケットでも始めそうな“なんちゃって英国風”で、いかにも日本の糸物職人!といった風情だった桝谷パッチ店とは対照的。ひょんなことから糸子(尾野真千子さん)が知り合ったダンスホール踊り子のサエさん(黒谷友香さん)と大将の、それぞれ別方向に飛び出た“東京コンプレックス”の対比も愉快でした。そぉなんだよ~。

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パッチ パッチ ここにパッチ

2011-11-05 00:28:25 | 朝ドラマ

昭和9年=1934年のお正月。小原家の茶の間にどでんとラッパ拡声器つきラジオはあり、善作お父ちゃん(小林薫さん)は毎朝毎夕、カンロクづけを兼ねて?新聞を読んでいるけれども、まだまだメディアの時代ではなかったんですね(@『カーネーション』)。

心斎橋百貨店って、構えからして大手のようだし、富裕層、関西圏の名士も多くご利用になる憧れのショッピングスポットに違いない。その売場の、看板女子店員さんたちの制服が一新、それも東京・黒田屋火災をきっかけに急速に高まっていた世論にジャストミートな最先端の洋装で初売りの人出をお迎えしたのですから、もっと世間の話題になってもいいのに。

 「心斎橋百貨店で話題沸騰のモダン制服、意匠製作はなんと芳紀十九歳、岸和田の超美人呉服店総領娘!」

 「火災で失はれた娘さんたちの命に報いたい!燃ゆる使命感!」

 「自腹で見本品を製作、みづから着用し支配人に直談判!」

 「頼りはミシン一台!わづか一週間で二十着を仕立て期日に納品!」

 「娘の熱意を支えたい!店の商品を換金しミシンを買い与えた父親の愛!(何でここだけ太字だ!)

 「お姉ちやん頑張って!夜なべで手伝つた母と祖母、年若い妹たち!」

 「だんじり大好き、彼女の素顔とは!?祖父はなんと大紡績王!」

 ……てなオッタマゲーション大増発の見出しが女性週刊誌表紙や東スポやゲンダイ……は無くても、“黄系”新聞の一面に躍りまくり、小原呉服店には「意匠縫製の天才・糸子嬢のお姿をひと目」「我が社の制服のデザインもぜひ」と長蛇の行列ができそうなものなのに。

 百貨店員の服装なんてそれほどニュースヴァリューはなかったということなのか。いまなら大手の“ユニホ市場”って結構地元経済を動かす物量のはずですが。世界大恐慌が1929年、糸子(尾野真千子さん)も翌年に桝谷パッチ店をリストラされていますから、その頃職を失って立ち直れなかった人も多かったでしょう。世間がそれほど“ちょっと小奇麗なヒマネタ”的話題を欲していなかったのかもしれない。身につけ着飾る物への興味関心より、日々食べる物、住む所に精一杯な人のほうが大多数だったか。完徹明けで昏々と眠った後ほとぼりが醒めると、糸子も、洋服に関する“自己体温”の熱さと、世間の微温との差を思い知らされ、しばし茫然となったことでしょう。自分を突き放して見る。若いうちにしておいたほうがいい経験です。

 それにしても正味二十四時間ない段階でパッチ100枚って。反物の生地を台車に載せて持ち込んできたあの眼鏡のおっちゃんも、「何屋やねんここは」な小原呉服店の店内と、ミシン一台きりに助手もいない糸子ひとりなのを見たら、「たいがいこらアカンわ」とUターンしそうなもんなのに、静子(柳生みゆさん)の押し、請け合いっぷりがよほど強かったのか。断わられたパッチ店がひょっとして桝谷の大将(トミーズ雅さん)のところなら、かつての仕込みっ子“目打ちの小原”のためにと応援を買って出てくれるかもしれませんが、“無茶な仕事は引き受けたらあかん”という教訓を得て終了かな。停まることも覚えないとね。結論篇放送まであと7時間少々。

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叩けば誇り

2011-11-02 00:05:00 | 朝ドラマ

うはは、出た善作お父ちゃん(@『カーネーション』)の必殺「ない。(軽ドヤ顔)」。

もう、最近、お父ちゃんと糸子(尾野真千子さん)との差し向かい場面のたび、このトボケドヤ顔ゴールデンスペシャルがいつ出るかと、思わず前のめりになってしまいますね。先週の“糸子が女学校やめ→次女静子が女学校に行けるようになった”“パッチ店で働いて給料→三女清子も女学校に”“糸子製作アッパッパ売れる→四女光子も(略)”さて、それでは糸子パッチ店給料もアッパッパ製作も絶えたらどうなるでしょう?「清子と光子が行けんようになる。」「そうや、そのとーり。」のクイズ論法も、「心斎橋ぃ?ミシンー?神戸?」の三段助走カミナリも笑いましたなあ。謡(うたい)をよくするかただけあって、どっか思考回路や、感情のテンションアップも、知らず知らずリズムをとるんでしょうな。

百貨店員制服の注文を取らんと時代の先行くアイディアひらめき、全速前進頑張っている愛娘のために軍資金を提供できる財力が「ない。」というのは父親として、一家の長としてさぞかし情けなく不甲斐ない思いでしょうに、「(ないけど)お父ちゃんに任しとけ、家財売り払うてでもどないかしちゃる!」てな頼もしい啖呵を、ウソでもいっぺんはきめてみようなんてこたぁ微塵も考えない。

速攻「ない。」。虚勢も修飾もなくシンプルに「ない。」。ないと言ったら「ない。」。

句点“。(まる)まで、音として聞こえてきそうなくらいきっぱりと「ない。」。

実の娘、しかも幼いときから男まさりの度胸と才覚で親を頼もしがらせてくれた糸子の前で、カッコつけるのは逆にカッコ悪い、思うさまぶっちゃけたほうがお互いにラクだという開き直りともとれるし、“糸子は自分のやりたいことは人さまに甘えず頼らず自力でどうにかしてきた子だから、逆風ハザードだらけの茨の道のほうがようけエネルギーが出る”“ほなら出さしてやろうやないか、どうする糸子、できるやろ糸子なら”との、娘の個性と先行きを見通した、親らしい課題出しともとれる。

後者なら、情けないどころかあっぱれ賢い父親だし、前者ならまた、善作さんらしくてそれはそれでチャーミング。あるいは彼自身、自分の偉くなさ、不甲斐なさを楽しむ術を身につけてしまっているのかもしれません。“家族全員から尊敬される、強くて甲斐性のある模範的な家父長”を「オレのガラじゃないわい」と照れて避けているのかもしれない。夢に向かってまっしぐら、日々是努力と向上!という人生から“敗退”したのではなく“降りた”からこそコンニチがある自分。

馬力じゅうぶん、まっしぐら型“夢追い人”のヒロインのそばに、善作さんのような“夢降り人”代表がドンと構えていてくれるおかげで、ヒロインいや増しに輝く輝く。しかも、「かりに、降りたってホラこんな行きかたもある」保険というか、見本がいるのですから、ヒロインが多少オーバーランしたって、高所に上り過ぎたって大丈夫、墜落致命傷なんて心配はない。

今日(111日)の26話では、糸子に制服サンプルセルフ着用プレゼンを「そのほうが絶対オモロイ」と推奨したり、なにやら善作さん“一か八かの博才寄りの商才”まで眠りから醒めてきた様子。叶うまで夢の途上にい続けた人にはわからない、夢から降りた地上の足場を知る者の強みでもうひと花咲かせてください。娘の裏で糸引いての花でも、この際いいじゃないですか、ねえ。

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レッツ・ドゲザー

2011-11-01 01:00:04 | 朝ドラマ

好調『カーネーション』を牽引する“だんじり本体”が尾野真千子さん扮する糸子だとしたら、屋根の上で舞っている大工方は小林薫さんの善作お父ちゃんではないかと思うこともたびたびです。

幼い頃(二宮星さん)から自分の志向、夢がはっきりしていて、夢に向かって実行あるのみ、前進あるのみのオットコマエな糸子ちゃんに対し、善作さんは“夢から降りた人”代表のようなポジションを劇中つとめています。

岸和田生まれの岸和田育ちな男子なら、一度はだんじりの上で舞ってみたいと夢みない子はいない。でも皆が皆、夢を叶えられるわけではない。叶えられないまま人生を終える人のほうが実は圧倒的に多いのです。別にぐうたら怠けていたわけではない、努力しなかったわけではない。できる範囲内で頑張ったのだけれど、環境、時流、巡り合わせ、天賦の才と性格と向き不向きなど、十も二十もの条件がプラスマイナスして、結局はいちばん低い条件に見合った結果しか出ないのが人生というもの。チャンスは山のようにあって、つかむ努力も山のように積んだとしても、才能が丘ほどしかなければ丘の地位までしか登れないものです。

天辺で舞えなかった身を恨んでも仕方がない。運もあまりなかったが根性も足りなかった。善作さんもときどき落ち着いて考えるとつくづくわかっているのです。

それでも後悔や、登りつめた他の誰かへの妬みやっかみをなるべく引きずらずに、第二志望第三志望……第五十二志望ぐらいの人生でも笑って折り合いをつけて、夢ではない現実の日々の幸せだけはあきらめずに生きて行く。ドラマ化も小説化もコミック化もされない普通の人の普通の人生。普通ではあってもどこからおしても平々凡々平穏無事、清廉潔白性格円満というわけではなく、ときどき癇癪を起こしたり、カラ威張りしたり、一転デレたり反省したりのデコボコ道は、意外と糸子ちゃんのような、才能と個性に太っとい根性とキモッタマで発破かけて驀進する人生に負けず劣らず、実は起伏と彩色に富んでいたりもするのです。

努力努力、前へ前へ、ワタシを認めて認めて!な頑張りっ子ちゃん一代記はもう見飽きた朝ドラ枠ですが、『カーネーション』夢を追う若い主人公の傍らで、“夢から降りた者”をしっかり生きさせ、輝かせているから面白い。しかもそれがヒロインの女友達でなく、姉でもなく、母親でもなく、父親だというところがいちだんとユニーク。

そして、夢から降りることを必ずしもネガティヴに描写していないのも素晴らしい。大工方にはもちろんなれず、商才もちょぼちょぼ、そもそも呉服業界自体が長期低落なところへ、狙ったように欧米発の大不況という何重苦なお父ちゃんですが、爆発させきれなかったエネルギーはとりあえず、少なくとも一時期は恋愛方面で盛大に燃焼した模様で、番頭時代に上得意だった神戸の紡績王(宝田明さん)の、嫁入り支度までととのえ済みだったお嬢様・千代さん(麻生祐未さん)と駆け落ちの荒業を敢行し今日に至る。燃えるときは燃えるし、掴むモノは結構掴んでいるのです。

で、商売は下手なので一応一軒のあるじにはなったものの年じゅうカネ詰まりで、さらう様に一緒になったその千代さんを、さらった実家に足運ばせては借金申し込み、借りるだけ借りて一銭も返せないという、苦笑でなければ激怒するしかない状況なわけですが、人間はさても矛盾のカタマリ。4週の、糸子を前に座らせて差し向かっての「カネが、ないからや(ちょっとドヤ顔)。」は地味に名場面でした。

夢から降りたって死んだわけではない。どっこい生きてる、生きられる。自分は降りた夢追い道に、踏ん張り続ける娘を応援することもできる。観ていて自分の父親だったら、家族にいたら、身近にいたらちょっと手に負えない、勘弁だなあと思う善作さんですが、一周して、一周で足りずに何周かして、結果どこかカッコいいのです。この人が糸子のそばにいるから、お話が努力努力、前へ前へに塗り潰されず風通しがいいのだと思います。

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