イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

桜斬るバカ

2011-04-03 19:41:11 | 昼ドラマ

こちらも震災で一週間お休みがはさまって放送が延び、新年度スタートですでに世の中フル回転の4月の、第2週まで盲腸みたいにぶら下がって“残業”する格好になってしまいましたが、『さくら心中』もそろそろまとめておきましょう。ここまで来たら、昼帯ドラマ恒例“最終週でのもう二転三転”で全体的視聴感が大きく変わることもなさそうです。

脚本中島丈博さん、“大家(たいか)の最晩年作”、ひとことで言ってそういった印象がいちばん強かった。

水面の睡蓮の連作などで知られるクロード・モネ、バレエの踊り子のステージや楽屋裏姿などを数多く描いたエドガー・ドガ、いずれも19世紀から20世紀にかけ活躍した、日本でも中学高校の教科書に載る級のメジャー画家ですが、晩年は絵描きさんにとって最もつらいことに、視力が致命的に衰え、それでも制作意欲だけは失われることがなく、死の直前の数年間の作品は、それぞれに若い頃から好んでいた色彩たちと、殴りつけるような筆触とが朦朧渾然と溶け合いぶつかり合い絡み合って、“万全に見えていたならば描きたいと願ったもの”が“でも見えない悔しさ”の間から熱く濃くにじみ出て溢れて来るような、健康で思い通りの作品が描けていた全盛期とは違う、独特の切実なパワーあふれる画面になっています。

中島丈博さんは御年まだ75歳、平均寿命的にも“最晩年”なんて修辞は失礼かもしれないし、画家の視力にあたる“筆力”が“衰えた”“後退した”かのような比喩もどうかと思いますが、今作『さくら心中』、独特過ぎるパワーのにじみ出かた、溢れ方が、上記の大画家さんたちの畢生の作品群によく似ている気がしてならない。

「コレを書きたい、台詞にしたい」「こういう状況を作って、その中でこういうキャラの人物にこういう行動をとらせたい」という単発の、瞬間風速的な意欲が、ありあわせ廃材で組み立てて釘打って急造したような、隙間スカスカでタテヨコ合ってないような枠組みのその隙間から、不規則に、あるときは連打で、あるときは忘れた頃に、顔面シャワー的にガッと噴射してくる感じなのです。

千年桜のオーラに理性を奪われ滅びの道を進む老舗の当主(村井国夫さん)、そのオーラを擬人化したような魔性の娘(笛木優子さん)、カネカネの唯物主義者だった高利貸し(神保悟志さん)も、いつしか彼女の人知を超えたフェロモンに魅入られて行き…という前半の主展開もそうでしたが、血縁のない妹に寄せる、責任感と欲情の混じり合った義兄(松田賢二さん)の屈折した執着や、育ちの違う幼なじみの青年同士(真山明大さん佐野和真さん)の、友情・共感にくるんだ嫉妬とコンプレックス、幼い日、自分を残して心中しようとした母に抱く、多感な娘(林丹丹さん)のやりきれなさなど、人物の突拍子もない言動や、そこから引き起こされるあり得ないシチュエーションの間を埋めるべき要素、“こういう感情が底流にあるとしたら、この言動もわからなくはない”と観ていて納得でき得る要素が、ほとんど観客の想像と深読みに「任せた」と丸投げされている。

直近の展開を例に挙げると、非業の巻き添え心中を遂げた実父そっくりの男(徳山秀典さん)が現われて、娘と母、ともに心ざわめくものを感じるまでは自然に入ってきますが、“彼は娘には興味がなく私に惚れている”と知った母が、女として満ち足りた気持ちをさておき、娘を連れての3Pデートに持ち込むとなると、かなりな勢いで行間深読みが必要です。

まして母のほうを抱く気満々だった男が「娘を愛してやって」とその母に請われ、「アナタはいい母親なんですね」と笑顔で素直に娘のほうに乗り換える段になると、想像力にもんのすごいハイジャンプをさせなければ、完全にドーンと壁に突き当たって立ち直れなくなります。

このドラマは、一事が万事こういったふう。陽光にさざめいていたモネの花の色、ポーズを取るドガのバレリーナたちの伸びやかな肢体や衣装の躍動感が、残り少ない時間をいや増しに生き急ぐような荒々しいタッチで、造形や遠近法の整合性などものかはとばかりアトランダムにぶつけられ、“きっとこういうモノが、こういう絵が描きたかったのだろうな”と、鑑賞する者が想像するしかない晩年作そのものです。

モネの絵がどれだけ好きか、モネの若い時分からの制作姿勢や画歴にどれだけ理解と思い入れが深いかで、最晩年の、いきなり初見で見ればもはや何が描いてあるのかすら判然としない朦朧パワー作の評価・捉え方が決まってくるように、『さくら心中』は“昼帯ドラマというものにどれだけ興味があるか、愛しているか”“その昼帯ワールドに唯一無二の一時代を築いた中島作品に、どれだけ関心と敬意を持てるか”を観客に問いかけてくる、言わば踏み絵的作品だったように思います。

これほどの究極作はもうこれきり、二度と出ないかもしれない…なんつって、来年のいま頃には中島さん76歳、また涼しい顔(知らないけど)で、もっと朦朧エスカレートした作を「この前はよくぞついて来たな、ホレこれならどうだ、ここまでならどうだ」と喉元につきつけてそうな気もしますけどね。ともあれ、見ごたえのある、と言うより、“ついて行きごたえのある”ドラマではありました。

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愛アンプレート

2011-04-02 23:18:46 | 朝ドラマ

震災のため、ラスト212話分の地上波放送が一週延びた『てっぱん』も本日をもって完。昨日富司純子さんの『あさイチ』プレミアムトークゲストインでVTR紹介されていたように、撮影自体は218日に無事クランクアップ・打ち上げ解散していたので、321日の再開時に、ドラマ本編前に放送された、キャストから被災地への激励VTRメッセージ収録のために再度集合することになった以外は、震災によるイレギュラーも支障もなく完パケできた模様です。
 長丁場多話数の連続帯ドラのつねで、全篇を通して高完成度とはお世辞にも言えず、途中何度も弛んだり、どうでもいいところに話が低回したりはしましたが、一貫して“元気系”を通し、家族愛・隣人愛を軸に人と人とのつながり、良きお節介焼きぶりをとことん称揚し抜いて明朗快活にまとめた、NHK朝ドラのスタンダードとして褒めてあげていい好作だったと思います。

配役面でも、“この人が出てくると台無し”みたいなお荷物キャストもなく、達者なベテランさんはベテランなり、演技歴の浅い、初々しい人は初々しいなりに、劇中での輝きはありました。大阪放送局製作の朝ドラによく見られる、舞台人、喜劇人系の、アクの強過ぎる人が起用されなかったのもプラスだった。

何より、突慳貪で強情なベッチャーばあちゃんを演じていてもどこかおっとり品があって、観る者をギスギスすさんだ気分にさせない富司純子さんの輝きは全篇を照らしました。孫娘役ヒロインが決まる前に「とにかく何をさておいても富司さんに祖母役を」「孫とダブルヒロイン物語で」との企画だっただけのことはある。意外と早めにあかり(瀧本美織さん)と歩み寄り、普通に孫思いのお祖母ちゃんになってしまったのは少々拍子抜けしましたが、ひとり娘・千春(木南晴夏さん)との衝突→家出から心を閉ざし人と打ち解けることなく肩肘張って生きてきた初音さんが、あかりちゃんの素直な熱っつさに触れて、徐々に柔らかくなり、もともと持っていた情の深さや良い意味での義理堅さ、軽妙な機転や人を思いやる優しさが開花していく過程は、富司さんの表現力なればこそだと思う。

もちろんその熱源・光源たるあかり役の瀧本さんの、オーディション勝ち抜き新人さんにありがちな、見ていて疲れる生硬さや、未熟ゆえのこねくり回したクセがまったく無い、直球で健康さあふれる演技も褒めねばなりますまいぞ。一歩間違えれば「こんな暑くるしい、元気押し売りみたいなのヤだ、毎朝見たくない」と、特に月河みたいなヒネた視聴者にはネガキャンになりかねないキャラをよくぞもたせた。“素直”はすべてを圧倒する、とでも言いましょうか。瀧本さん現在19歳、今年あかりちゃんと一緒の満20歳。おかしな言い方だけど、このまま、あんまり、無駄に演技力向上したりしないでほしいくらいですね。いや、いろんな作品のいろんな役でご活躍してほしいことはほしいけれど。

ドラマとしては、あかりと初音お祖母ちゃんとの出会いと葛藤、衝突と理解を通じての互いの成長が一段落してからはテンションも一段落どころか十段落ぐらいしてしまったことは否めない。特に駅伝くん=滝沢さん(長田成哉さん)とのほのかな恋愛は、まぁ登場人物の中でいちばん年齢が近くともに発展途上人同士、可愛い子ちゃんとイケメンの取り合わせということでお似合いでなくもなかったけれど、あかりが滝沢をとれば普通の、スポーツ選手の糠味噌世話女房にならざるを得ず、トランペットとお好み焼き店、いままで夢を抱き努力してきたことがすべて“嫁入りまでの腰掛け”化してしまうのが視聴者にもわかるので、「がんばれ」「くっつけ」「幸せになれ」と応援する気はしませんでした。

途中からいきなり浜勝かつお武士社長(趙珉和さん)があかりラブモードに入って滝沢を仮想敵視し出したのも無理筋なら、まだしも“音楽と食”という接点はあったこちらを「駅伝に負けるな」「攻めろ、押せ」と応援したくなる流れにもならず、とにかくひと言で言えば“恋愛偏差値むちゃくちゃ低いドラマ”でした。若い世代の現在進行形、親世代の回想話を問わず、叙述が色恋に触れるたびにスベってましたから。これも、清潔を旨とするNHK朝ドラとしてはスタンダードか。

終盤にかなり唐突に割り込んだ小早川のぞみさん(京野ことみさん)のキャラ立てや扱いもいまいち、いま2、いま200ぐらいでした。初音&あかりと周りの人々、尾道のあかり養い親一家に、“もうひと組の千春&あかり”=父のない子を身ごもったシングルマザーを投入することで、命・親子愛・家族愛、人の人への情という一貫テーマを、別角度から照らし出す狙いだったのでしょうけれど、母子家庭育ち、男社会競争社会の業界で、初音さんとも、千春さんとも、もちろんあかりちゃんとも違う、リキんだ生き方で突っ張ってきた、よくいる都会のキャリア女性のぞみさん、あそこまでトゲトゲ可愛げない挙措に描かなくてもね。鰹節職人神田さん(赤井英和さん)が実の娘同様に思っているという設定も、都合よく出てきたり後退したりし過ぎ。“必要以上にかわいそがられるキャラにしない”という演出上、京野さんの役づくり上の工夫だったのかもしれませんが、ご都合とは言え2人の男性から言い寄られるのだから、もうちょっと女として愛嬌があってもよかった。

最終盤、いちばん盛り上げたいところにきて震災→放送中断という洒落にならないハザードが挟まったのが最大の危機と言えば危機でしたが、ここで先の記事でも書いた様に“連続ドラマを連続して視聴できる人生”の幸せを、期せずして気づかせてくれた節目の朝ドラともなりました。

災厄を乗り越え、今日より確実に明るい明日を、来週を、数ヵ月後を希望してやまぬ日本人の精神の強靭さも“鉄板”でありますように………うん、このブログも今日は珍しくきれいにまとまりました。

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