イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

仮面の酷薄

2011-01-06 17:43:02 | アニメ・コミック・ゲーム

こういうご時勢に、珍しく心温まるニュースではあるのですが、「心温まる」と思ったその後に思わず「けど…」が付いてしまった。昨年暮れに群馬・神奈川の児童相談所に相次いで届いた、ランドセルのプレゼント“fromタイガーマスク”。

ピュアに善意の人というのは、根っからシャイなのでしょうかね。シャイがシャイのまま地味に終わらず、“仮面”“仮想”“コスプレ”をまとって、やっと安堵する心理。

一件めの報道で、「あの漫画&アニメで育った世代の男子だな」と思いました。ってことは上か下か、どっちにせよ月河とあまり変わらない年頃のはずです。

普通に匿名でいいし、群馬のなんかはクリスマスシーズンだったようだから、「サンタクロース」でも良かったのにね。何ゆえアニメから持ってくるか。児童相談所のお世話になり、ランドセルをもらって喜ぶ年代のいまどきチビっ子が知ってるかな。親しみ持ってるかな、タイガーマスク。「ただの匿名より、子供たちが喜ぶように」と考えての名乗りだったとしたらなんだかズレてて、せっかくのピュア善意に“名乗ってるほうの自己充足”って余計なニュアンスが乗っかっちゃったような。4代目だか5代目だかのリアルプロレスラータイガーマスクは現役活動中とのことだし、少なくとも三沢光晴社長なら、健在だったら喜んではくれたと思いますが。

先行の群馬で伊達直人を名乗られたから、「いい話だ、オレもやろう」と思った神奈川の人もつい追随しちゃったのかな。だったらウチの世代の影響されやすさがもろ出てしまったようで、これも微量恥ずかしい。

照れくささ”とか“含羞”といった、自意識のプチ軋轢、葛藤に悩んだとき、“フィクション”特に“アニメ”に救いを求めて走ってしまうのがウチの世代なのです。

なんだか、1970年のよど号事件の犯人グループが、人質とって日本を離陸する際にいろいろごちゃごちゃ声明した挙句「…最後に確認しよう、われわれは明日(あした)のジョーである」と付けた、って話を思い出しました。「確認しよう」って言われてもね。「すれば」としか返しようがない。

ピュア善意にせよ、イカレ革命思想にせよ、いいオトナが、自分をなぞらえるのにアニメ持ってくるのはどうなのか。自分の中で自己確認して「オレって伊達直人みたいだなあ」「矢吹丈じゃん」って悦に入ってるぶんにはいいけど、クチにして言葉にして不特定多数にさらしたら、一気に失笑もの化する。

子供たちへの善意、チャリティなら古典の“あしながおじさん”なんてもう死語なのでしょうかね。“ドラえもん”じゃテレビ朝日のまわしもののよう。

余裕ないしガラじゃないからしないけど、月河が子供たちにランドセル、仮名で寄贈するとしたらどうするかな。“魔法使いサリー”じゃ目線下げすぎだし、“妖怪人間ベム”じゃあり得ない(“ベロ”なら「ボクも背負うからホラ!」と気さくに持ってきそうだ)。

“紫のバラの人”………おい!どんどん失笑に拍車かかってるし。

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もの言わずに思っただけで

2011-01-02 16:19:11 | 夜ドラマ

NHK正月時代劇『隠密秘帖』11920~)がなかなかいい出来でした。最近の舘ひろしさんは石原軍団臭があまりなくて、“基本棒読み役者”(←断固、褒め言葉です)の中年以降のいい化け方を感じさせる。『ゲゲゲの女房』継続視聴中にも何度も思ったのですが、ドラマの中で、“演技が達者な人でこその役”って、実はそんなに多くはないのです。要所要所に、ポン、ポンと散在しているほうがいい。特にヒーロー役は、“芝居が巧いとあまりカッコよくなくなる”ことも多い。

『秘帖』で舘さんが扮した神谷庄左衛門の次男・又十郎成長後、35年後の物語として、8日からの土曜時代劇『隠密八百八町』に引き継がれるようですが、その又十郎役がまた舘さん。なんか、逆・『天地人』みたい(直江兼続幼少期を演じた加藤清史郎さんが、兼続長男役で後半再登場)。又十郎幼少期が『龍馬伝』の子供龍馬の記憶が新しい濱田龍臣さんだったので、35年間で顔の上下が伸び過ぎのような気もしますが、まあ昼帯のヒロイン一代記ものなんかじゃよくあることなのでね。庄左衛門の同僚の役人役で、六角精児さんカンニング竹山さんのメガネレス顔も楽しかった。メガネなしで丁髷ズラ着けると、気持ちいいくらい普通な、ぽっちゃり顔のおっちゃんになりますな。

その六角さんもご活躍の『相棒』元日SP“聖戦”がまた、格別の読みごたえと読後感のドラマでした。ここ最近の『相棒』拡大枠SPでは珍しい、テロや政治家絡みも、大量殺人もない、普通の子持ち主婦の、長年月をかけての変貌と、加速する逸走を主軸にした、『相棒』の中でも異色の味わいを持つ好篇だったと思います。

プライムタイムの2サス+αの枠に嵌め込むためにか、類型的な謎解き叙述や土壇場犯人説得シーンなんかもあって、全体の印象が“ありがち”になってしまったのが惜しかったけれど、いま少しいろんなところのカドを鈍角にして、方向を散乱させれば、月河が愛してやまないパトリシア・ハイスミスの世界、特に『イーディスの日記』(1977年)や『愛しすぎた男』(1960年)にも相通ずる、人間の深奥を覗く奥行きあるミステリになった可能性も。

犯人・寿子(南果歩さん)のひとり息子が幼い頃から心臓をわずらい、長い入院生活とリハビリ療養後に復学し少年野球チームでプレーできるまでになったものの、中学校ではいじめに遭い、担任は無理解、登校拒否となり進学も就職もままならず苦闘した日々が、変則時系列で“○年前”のテロップつきでフラッシュされます。「あ、そういうことか、んでそうなって…あれ?」と、概略がつかめたかつかめないうちにスライドショーのように次へ進む、観客に慌しさを強いる回想演出が実にクレバー。引きこもりになって「いじめたヤツらと担任を殺す」と爆弾製造を試みるまで歪んでしまった最愛の息子と格闘するうち、徐々に母親の寿子のほうが“息子依存”を深めて行く過程が、観客の心理をも切迫させる。幼時の長い療養生活で、愛情濃やかな母親に構われ慣れ、庇われ慣れて育った息子は対人能力が弱く、どうしてもいじめられ体質になってしまう。

それでも基本まじめで、闘病にも耐えた努力家の息子は、「(人と話さないで済む)機械相手の仕事だから今度は続けられる」と工場の就職口を自力で見つけ、社長から「夢は?」と訊ねられて「おふくろを幸せにすること」と答え、“これからは自分のために生きて”とカードを添えて口紅をプレゼントするまでに立ち直りました。

そんな矢先、その最愛の息子が雨の夜バイクにはねられて死んだのです。加害者は麻薬使用で朦朧としていた大学生。彼は反省し、寿子夫婦に弁護士を通じて自筆の謝罪文を送り、服役しましたが、寿子の傷は癒えず、うつに陥って家事放棄、自宅はゴミ屋敷状態に。激務とストレスで体調を崩した夫は家を出て行き、再会したのは癌に冒された死の病床でした。

結局寿子には、息子の存在、息子のためにする粉骨砕身、息子がもたらすささやかな喜びがおのれのすべてだった。息子が消えると同時に、妻としても主婦としても社会人としても、地滑り式に自分を支えられなくなっていくプロセスが乾いた映像筆致で振り返られます。

「いるかいないかわからない人だった」と店長が評する働きぶりで、抜け殻のようにウェートレスを勤めていたファミレスで、出所していた加害者・折原(しかしバイクで事故る役とはなんとも。スリップストリームか?仮面ライダーギャレン天野浩成さん)を客として12年ぶりに偶然見つけ、衝撃を受けます。妻と幼い娘を連れた折原は、事故当時麻薬で朦朧としていたからか、寿子の顔を見ても被害者の母親と認識せず、ひたすら「娘が火傷したらどうするんですか!」と怒る父親になっていました。

夫の死に際に「私、やっぱり(息子を殺した加害者を)殺したいんですよね…」とあてどなくつぶやいていた寿子に、ここで劇的なスイッチが入ります。出所後消費者金融の回収担当として更生していた折原の後を尾け、行きつけの店をつきとめ、サウナの清掃員になってロッカーから自宅の鍵を持ち出して合い鍵を作り、妻子の留守に侵入して盗聴器を設置。ついには息子の遺品の工具を使って爆弾を作りはじめます。

引きこもり期の息子が、いじめ級友たちへの怒りや憎しみを紛らわす捌け口にしていた爆弾作りに手をそめることは、母親の寿子にとっては、他人に報復反撃できなかった優しい息子への、ゆがんだ鎮魂でもありました。訪ねる友人知人もない、夫の遺した一軒家の居間をビニールシートで囲い、関係書籍を読みあさって試作した爆弾の起爆実験場を求めて、アクション映画のスタッフクレジットから制作会社の名を見つけ、発破のプロである社長をこれまた尾行して愛人関係の写真を盗撮、自宅に押しかけ脅迫して採石場に案内させる。事故当時の記事から、折原に麻薬を密売し事故の遠因を作った常習売人・江上(びっくり激痩せチョロ中野英雄さん)を犯人に仕立てる計画も併せて立て、爆薬原料の粉末を彼のアパートに持ち込み床に撒く。江上がかつて左翼活動に加担し爆弾製造の前科持ちなのも調べ上げ済み。痕跡を残さず二階の窓から侵入するため、ランニングに懸垂、ひとり鉄板焼き肉で体力も鍛えます。

『相棒』でときどきやる、ティピカルな倒叙型エピソードなら、“ここまで綿密にやった犯行を、右京さん(水谷豊さん)がどこからどう切り崩す?”がメインの興味になっていくのですが、今回ばかりは南さん扮する寿子の、凄絶な“ひとり戦争”が物語のおおかたを圧しました。

神戸くん(及川光博さん)との連携よろしくわざと読まれる罠を仕掛けて、寿子が最後の目的のために隠していた第二の爆弾の在処に誘導したものの確保に失敗。間一髪、捜査一課の急行前に期せずして救援になったのは、折原の子を身ごもったその妻・夏実(白石美帆さん)の“夫を殺した犯人を、絶対自死させない、生きて後悔させる”という執念でした。神戸のGTRから手錠を奪い(中盤、寿子の容疑を伝えられた夏実が直談判するとゴネて、困った神戸が咄嗟に録音機を渡す場面で、夏実がGTR内の手錠の収納場所を目視記憶する伏線あり)、みずから寿子と繋いで胎児のいる腹に触れさせると、極頂に達していた寿子のテンションは風船に針を刺す様にはじけ、リモコンは無事右京さんの手に。

冒頭、折原の寝室を公園の高台から双眼鏡目視しリモコン起爆のタイミングをうかがっていた寿子が口ずさむピンクレディー『UFO』、媒体での次回予告で“寿子の息子の事故死は12年前”とありましたから、30年以上前のこの曲をなぜ?…とずっと思っていたら、ラスト拘束されてパトカー移送され、収監されるまで寿子が再び口ずさみ始める場面で、やっと明らかになりました。息子が赤ん坊の頃、抱いて歌って聴かせていちばん機嫌を良くする歌だったのです。

虚弱で母親に依存気味だったが、どうにか自立して苦労に報いようとしていた息子よりも、実は寿子のほうがはるかに深く、抜き差しならなく息子に依存していた。男性には成長しても母胎回帰願望が永遠に残存し、それが性欲、繁殖欲となって自分の家庭を築くことにつながると言いますが、事故で断ち切られた寿子の息子依存は、永遠に宙ぶらりんな“子を自分の胎内に戻したい、せめて赤子に戻して抱きたい”願望に変形した。だから夏実のお腹の胎動に手が触れたとき、自他の境界が消え、殺意も一瞬空白になって、リモコンを握るもう一方の手から力が抜けたのです。

♪手を合わせて見つめるだけで 愛し合える話もできる…『UFO』は、身も心も息子とひとつでいられた、寿子の幸せの頂点の記憶そのものでした。

中盤で寿子の捜査誘導通り容疑をかけられる江上と、病身で余命幾許もない老母と、間に入って心を砕く姉(石野真子さん)との脇エピもじんわり効いていました。特命コンビはこの時点ですでに本ボシは寿子、江上は利用され嵌められただけと目星をつけているので、神戸くんは「(あと数日しか生きられないであろう母親をせめて安心させるために)江上の容疑は晴れたと言ってあげましょう」と提案しますが、同情の嘘をよしとしない右京さん(season 5 “赤いリボンと刑事”を思い出します)は「まだ確たる証拠がない、事実上の嘘になる」と却下。姉は「私も嘘なんかついてほしくありません」と2人を見送りますが、病室に戻るとやはり「容疑は晴れたって、警察の人が謝りに来た」と嘘を。しかし母親は娘の嘘などすぐにお見通しで「ありがとうね」と微笑みます。

結局神戸くんの願いもむなしく母親は江上の勾留中に亡くなってしまうのですが、ラストに江上が姉とともに墓前で合掌する場面が入り、せめて姉との和解、遅きに失したが更生成ったか?の救いはありました。

右京さんが花の里で「敗北かもしれない」「富田寿子という人間が、最後まで掴めませんでした」と述懐してエンドとなりますが、ひとたび“母親”を踏切板にすれば、正にも邪にも、貴にも卑にも、美にも醜にも、無限の振幅で飛翔もでき、墜落もできる女性の潜在エネルギーを、男性は結局理解できないのかもしれません。

season 4 『監禁』や7『密愛』で、女の心理の深淵を時にカリカチュアっぽく、時に箴言的に描いてきた脚本古沢良太さんが、NHK土曜ドラマ『外事警察』2009年11~12月放送)を経て到達した新境地と言ってもいいと思います。

寿子の役は『外事』の石田ゆり子さんでもよかった気もしますが、生きてれば30歳過ぎになる息子の母親に、さすがに見えないか。南さん起用に特に異議はないけど、のっけからあからさまに“手ごわい!”“一筋縄でいかない!”との印象が強すぎるもんでね。

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本当は怖い紅白

2011-01-01 16:37:54 | テレビ番組

ぬむむ、うわずってましたなあ、『紅白歌合戦』司会の松下奈緒さん。全体的に。

『ゲゲゲの女房』ヒロイン起用のきっかけは、チーフP&Dがドキュメンタリー番組で耳に留めた“落ち着いた声質”だったというオトコマエヴォイスの松下さんですが、やっぱりあれだけの大バコに客席満員、応援団ぎゃあぎゃあ、背景装置は始終ガタゴト入れ替え、スタッフはどかどか走り回ってるし、合間でMCしてても自分の声がよく聞こえないんでしょうな。どうしてもともすれば“張り上げ声”になってしまう。アーティスト名も結構、言い切れてなかったりしませんか。どりーむ“ズ”Come Trueなのに「どりーむかむとぅるー」って言ってたし。主語が三単現になると動詞に-s‐がつくんだぞ。“あんじぇら あき”も怪しかった。

その点、嵐は、気心の知れた同士が5人集まってる強みで、少しゆるいんじゃないかってぐらい落ち着いて見えました。バラエティでなくバラ売りでなく、お揃いの衣装の嵐の歌と踊りを、フルで視聴したのは初めてのような気がしますが、あれだな、グループアイドルとしては巷間言われるほどの迫力はないな。からっ下手でないのはわかるけど、佇まいが二次元的というか、平板な気がする。デビュー11年か。1988年結成、91年デビューのSMAPの、19992002年頃はこんなもんじゃなかった。

メンバー中いちばんの年かさ同士で比べれば大野智(さとし)さん1980年生まれ、中居正広さん1972年生まれで8歳差。ヤンゲスト同士なら松本潤さん1983年生まれ、香取慎吾さん1977年早生まれで7歳半弱差。大した違いじゃないようにも思うけれど、少年から青年へ、さらに中年へという時期をアイドルとして露出し続けていくと、やはり大きな質感の差になっていくようです。バブルをはさんだ11年間と、おおかたミレニアム後の11年間とでは、男の子アイドルの歩く道を取り巻く風景も変わった。

…しかし、こうしてざっとプロフィールを見て行くと、嵐って全員、松下奈緒さん(1985年生まれ)より年上なのね。松下さんが年上顔なのか、あるいは、やはり、「アイドルは老けるのが難しい」と言うべきか。

直前に話題をさらった桑田佳祐さんの中継ゲストインは、結局誰か得した人はいたのだろうか。いや、月河なんかは、そう高体温じゃないけど、10代から常に人生の傍らに桑田さんの曲があった世代のひとりとして、「無事に声出せるようでまずはよかった」とは思うことができるのですが、とにかく1978年のサザンオールスターズデビュー以来、30余年にわたり邦楽シーンの先頭集団をキープしてきた人。その人があれだけ“病みあがり感”に満ち満ちたルックスで一生懸命扇子踊りしたりバニーガールとからんだりして見せてくれると、有難みはあるんですよ、あるんですけど、どうしても“頑張った昭和おっさんの、最後のチカラふりしぼっての、もうひと花”という空気が漂ってしまう。

さなきだに明るくなかった1年を締めくくり、来たるべき新しい年を展望して皆で元気になろうという目論みの、超大型番組の話題賞クライマックス人選として、あれはアリだったのだろうか…という気がしてなりません。もともと、ぼんや…いやその、アバウトな顔立ちの人で、輪郭サイズがデビュー当初期に戻っただけとも言えるけど、肌に張りがなくなると出る独特の妙なしわが口の周りに出まくりだし、稚気とシャイさに狂気をまぶしたトレードマークのシャウト目剥き顔になると、目周りの落ち窪みも露わに。

そして何より、ボートピープルか脱北者かというあの歯の色ばっかりはもうね。出演決まった時点でどうにかできなかったのかな。歌い手さん喋り手さん、クチ動かしてなんぼの職業の人は、歯が汚くなるとガツンと“過去の人”感が強まります。ましてお茶の間もめっきりデジタル大画面の時代。チョコレートとか、食べ物系のCM来なくなるだろうに。

つくづく思う、“昭和”は重く、長く、濃く、パワフル過ぎたAKBとかいろいろ、“平成しか知らない”年代のアーティストもがんばっているけれど、やはりエンタメのここ一番というところでは、郷ひろみさんとか加山雄三さんとか、“昭和”を何としてでも引っ張り出してこないと、如何せん間が持たないのです。

そして昭和は年年歳歳、日々刻々、老い、衰えて行く。2曲終わって垂れ幕も出て、NHKホールへのブリッジに「次は石川さゆりです」と言ったところがいちばん、やっと気兼ねなく笑えましたね。まだ台本入るぞと。『紅白』のような、回顧含みのオールスター番組では、“ここ一番盛り上げようと仕掛ければ仕掛けるほど、観てて一抹、気が滅入る”傾向は当分続くでしょう。

FMで断片的に小耳にはさんでいた植村花菜さん『トイレの神様』は、確かに素直でいい曲、好感持てる歌唱だけど、いかにも長い、長すぎる。もう感動の歌だということがわかっているので、途中で飽きる。あれでも短縮ヴァージョンだったらしい。要するに“いい孫でなくてお祖母ちゃんごめんね”ってことなのか“小3からお祖母ちゃんと暮らすような複雑な家庭事情の子供だったショボーン”なのか“いまだにトイレ掃除で別嬪さんになりたいと微量思ってる自分、笑ける”なのか。

“要するに”って、要しちゃいけないのかな。とにかく前々回のジェロさんでも思ったけれど、世の中高齢化社会なので、子から親へより、孫から祖母(祖父より断然祖母)への思いのほうが、感動させやすいことは明々白々です。

最後まで聴かないと意味が完食できないじっくりした楽曲もいいけれど、やっぱり短時間でどわーーとテンション上げてストン!と終わる“瞬発力”もエンタメ音楽には欲しいところ。ドリカムも演出ともどもしつこかったですね。氷川きよしさんが思い切り良くB級全開で楽しかった。歌唱力に余裕のある、ただ歌うだけでどうにでもできる人こそが、あえてB級をやって映えるんですよね。松平健さんがサンバやったぐらいの年代になったらどれくらい“南方”へ行くんだろう。腰ミノ着けて槍とか持って踊るかも。

松下奈緒さんもおなじみのいきものがかりの歌で、源兵衛お父さんミヤコお母さんと並んで聴けてやっと本調子を取り戻せたかなと思ったらもう終盤でしたな。古手川祐子さんのセルリアンブルーの着物が美しかった。大杉漣さんは相変わらずモノトーンお洒落。

『紅白』も回をかさねて61回だそうですが、なんとなく、この先もう61年は続きそうな気もしてきた今回でした。とりあえず、いまAKBAAAといったアルファベットユニットの客になっている若い衆が、お父さんお母さんになるまでは安泰で続くのではないでしょうか。“歌”と“歌がらみ”で年の瀬という企画、気がつけばNHK以外のTV屋さんたちはみんな下りているんですよね。『レコード大賞』も一日ずらされたし。

ただ、放送形態は変わるでしょうね。放送より“配信”が中心になるかもしれないし。中国・韓国との相乗り番組になっているかもしれません。

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