イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

むべ山風を

2009-10-08 15:12:32 | ニュース

『嵐がくれたもの』の製作情報をネットやスポーツ紙で初めて見かけた頃、「910月のドンズバ台風頻発シーズンの放送では、偶然伊勢湾クラスのヤツがリアルに来襲して水害風害、海難、死傷者行方不明者多数の大惨事になり世論にかんがみて放送自粛中途打ち切り…なんてことにならないだろうね?」と不謹慎なことを一抹考えたりしたものですが、本当に潮岬→伊勢湾→東海中部地方という“伝統のコース”に乗っかっちゃいました、18号。

伊勢湾台風当時とはいろんな環境が違いますが、でっかい暴風圏をまとったままの本土上陸、ただ北東太平洋方面への“ハケ足”が速そうなのが救いかな。当地は北国で日本海側寄りなので、遠出の予定がない限り交通途絶等の直接的なトバッチリはなさそうですが、実りの秋、とりわけ北陸東北のおいしいお米の収穫、ふじりんご、つがるりんごなど果樹園農家の皆さんに影響が大きくなければいいのですが。

日本海側の住民老若男女が、いっせーのせーで団扇でバタバタ西風送って、18号くんを太平洋にふっ飛ばし追い出してしまうってのはどうだろうか。

…それはともかく、『嵐がくれたもの』本編は、「別に嵐、なかんずく伊勢湾台風が契機でなくてもよかったじゃないか」ぐらいの、普通の“子供取り違えモノ”と化してますね。幼い乳飲み子のアイデンティティが書き換えられて別人の人生を生きはじめ養親のもと成長して物心ついてから、生き別れの実親と再会、親子ともに混乱と葛藤が生まれるていの話なら、きっかけは戦争でもテロでも大火でも、夜逃げでも某国拉致でも何でもよかったようなもんです。

 それぞれの事情で自らのお腹はいためない幼子の母となり、実親以上の母性愛をはぐくんでいく節子(岩崎ひろみさん)と百合子(宮本真希さん)、境遇も信条も背負っているものも違うふたりの成人女性の目くるめく運命翻弄より、もっぱら亜弓(実は節子実娘の順子。山口愛さん)・順子(出生は謎。三浦透子さん)、二人の少女子役さんたちの、対照的ながらともに目いっぱいの演技達者ぶりを鑑賞する趣きのドラマになっちゃいました。

伊勢湾台風の昭和44年、そこから運命が狂い出しての10年間、10年後…という“時代の物語化”がお座なりになった結果でしょうね。その間には東京オリンピックも、吉展ちゃん事件も、ビートルズ来日も、三億円事件もあった。

ヒロイン節子と娘、夫の家族が被災したという設定以外、伊勢湾台風をひとつの代表とする“時代のうねり”がまったく描出されていない。先日の記事でも書いた、風俗やインテリア、ファッションなど時代考証のごちゃ混ぜキッチュさもその端的な表れです。

この東海テレビドラマ枠の作品全般、家族や異性間の欲望や嫉妬・愛憎がもたらす情念ドロドロの物語化は一応得意なのですが、一歩そこから踏み出して、社会や歴史と人とのかかわり、とりわけ事業やビジネス組織がらみとなるとまったくお留守、判断停止に近い。今作もきれいにそこが手抜きです。

ただし見どころもじゅうぶんある。死別したと思っていた節子夫・恭平(永岡佑さん)の、圧倒的な昭和っぷりが突然の交通事故死で見られなくなってからは、亜弓役・山口愛さんが見事に後継をつとめていますよ。ロリ趣味のお友達ならこたえられんであろう華奢な身体に、エクボふっくら二重瞼に細い目の日本的なお顔立ち、お手入れの行き届いたツヤツヤ黒髪をアイロンで撫でつけ飾りピンで留めた“昭和のお嬢様”。

いやもう、当節“大人俳優さんが裸足で逃げ出す”級の達者な子役さんなら、加藤清史郎さん以外にも石を投げれば当たるくらいTV界にはうじゃうじゃいますが、この山口さんくらい“自然体”と距離のある、演技演技した子役さんも稀有でしょうな。いや、台詞が棒読みだとか、生硬だ、あるいは稚拙だという意味での“演技演技”じゃないですよ。カツゼツはいいし、表情にも起伏があって、うまいの。あくまでうまい。ただ、発声から挙措から目線の切り方から何から、すべてが様子様子している。これだけ隙間なくみっちり“自然でない”演技もなかなかできるものではない。

1974年頃、『花物語』や『三色すみれ』『黄色いリボン』を歌っていた頃の桜田淳子さんの唱法を、そっくり“演技”というフィールドに平行移動したような感じ。

ところがね、伊勢湾台風の昭和34年秋に乳飲み子で、昭和44年頃には小学生という亜弓・順子世代はほぼ月河と同年代ですが、幼稚園の年長さんぐらいから、こういう様子様子した所作が身についてる女の子って、クラスに1人ぐらいずつ実在したんですよ。いやほんと。必ずしも亜弓のような、名だたる家系の跡取り娘などに限りません。公営団地2DKや官舎住まいのサラリーマン家庭にだってじゅうぶんいた。魚屋さん、お蕎麦屋さん、床屋さんなど、日頃お客さんが出入りする個人商店の子には逆にあまりいなかった。

昭和30年代後半から急速に一般家庭に普及したTVの影響を、育ち盛りでまともに受けた“元祖・TVの観すぎ世代”と言ってもいいかもしれませんが、それより、母親である節子世代が、“夢見る乙女時代が、戦争で灰色になった”年代の女性たちであるということが大きいと思う。言わば“お姫様過剰コンシャス”娘たちなんですね。

当時物心つくかつかないかの女の子たち自身より、その母親たちのほうが“蝶よ花よのお屋敷お嬢さま育ち”に限りない渇望を抱いていた。女の子の中で、或る種のアンテナを持って生まれた子は、2DKでも六畳四畳半風呂なしのアパートでも、母親の中のそういうコンプレックスを的確に自分の内面に取り込み咀嚼消化して、親戚・ご近所にも、級友たちにも、表現して見せていたのです。

山口愛さんの演じる亜弓、と言うより、台本の中の亜弓を読み込んで表現しようと頑張っている山口さんからは、たくまずして“あの時代”の気分の一端が透けて見える。先に書いたように考証的な時代表現はまことにラフなドラマですが、山口さんの亜弓に注視している限り、とりあえず興味は失せません。

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