イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

『バルカン超特急』~邦題で盛るか盛り下げるか

2018-03-07 21:38:31 | 映画

 『ベルリンへの夜行列車』(1940年)を観たら、このジャンルの先輩格ともいうべき『バルカン超特急』(The Lady vanishes)(1938年)も間髪入れず観ないわけにはいきません。もちろんかのアルフレッド・ヒッチコック監督作品でもあり、こちらは戦後の1970年代になって遅ればせながら日本でも劇場公開されていますからよりメジャーでしょう。

 この作品は今回が再見です。1980年代後半~90年代前半の個人的レンタルビデオブームの頃、モノクロのクラシック、特にヨーロッパ製映画ばかり観ていた一時期に、『第三逃亡者』や『逃走迷路』等ヒッチコックのイギリス時代の他作品と一緒に観た・・はずが、再見すると忘れてる箇所の多いのなんの。原題と、車窓のガラスに指で書いた文字と、何かの証拠物件が飛ばされて進行中の列車の窓に貼りつく場面と、あとはラスト前に、重要な楽曲を口ずさもうとしてもウェディングマーチしか出て来ないくだりだけは結構鮮明に覚えていましたが、あとは見事に忘れていて、ほとんど初見気分の鑑賞になりました。

 不思議なのは、この邦題とはかけ離れて、本編に“バルカン(半島)”感も“超特急”感もほとんど無いことなんですよ。舞台はバンデリカという中欧の架空の国。もちろんナチスドイツの活発化で、風雲急を告げるヨーロッパ情勢を下敷きにした足掛け三日ほどの物語で、中盤以降は食堂車つき急行列車内での捕物、銃撃戦が主体になるのですが、“超特急”というほどのノンストップ密室感、そこから噴出する切迫感でもたせるたぐいのサスペンスを期待するとちょっと違う。

 アルプスっぽい急峻な山容の俯瞰から、ミニチュアの鉄道と駅に隣接する別荘街のパノラマへと下降し、、カメラはとあるこじんまりしたリゾートハウス風のホテル内に入る。

 序盤は、話がどっち方向に行こうとしているのか、と言うより“何が、誰がどうなれば解決なのか、ハッピーエンドなのか”がすぐには掴めないので、わりとのんびりしたスタートです。

 鉄道が雪崩で一日運休となり急な足止めでホテルはごった返す。長く滞在しているらしい高齢のイギリス婦人と、独身さよなら旅行の若い娘(『ミュンヘンへの~』でも主演のマーガレット・ロックウッド)だけが早くに部屋をキープしてあったらしく余裕で、イタリア語・ドイツ語・英語が飛びかうフロントは押すな押すなの騒ぎ。とぼけたイギリス紳士二人組(これまた『ミュンヘン~』でも大活躍のおなじみコンビ)は「いよいよイギリスも危ない(開戦)らしい」となかなか届かない情報にやきもきしながらも、結局クリケットの試合結果ばかり気に懸けている。

 足りない部屋の割り当てでひと揉めしたあと、夕食にもありつけなかった二人組はイギリス老婦人と相席し、この国に六年滞在して音楽の家庭教師をつとめてきたが教え子の卒業で退任し母国に帰ること、ここバンデリカは小国だけど、窓から山が見え月も見える良い所であまり離れたくないのよ・・と問わず語りに聞かされる。老婦人と若い娘がそれぞれの部屋に戻ると窓の下でギター弾きが甘く切ないセレナーデを弾き語っているが、階上からはクラリネットとダンスの靴音でドカスカうるさい。若い娘がたまりかねてフロントに苦情を言い、支配人が文句を言いに行くと、民族舞踊音楽研究の旅をしているという鼻ヒゲの軟派そうな男だ。「下の階のお客かが怒っています、うるさくするなら立ち退いて」と支配人が頼むと、鼻ヒゲ男はなんと娘の部屋に押しかけてきて、キミの苦情で上を追い出されたから僕もここで寝る、部屋シェアしようととんでもない提案をする。娘は憤激して上の部屋を使うことを許す。

 この後初めてサスペンス・スリラー映画らしい事件が密かに起こる。深夜まで美声を聴かせていたギター弾きが背後から首を絞められ姿を消す。口ずさみながら聞き惚れていた老婦人はそれを知る由もなく小銭を投げてやり窓を閉める。拾う者のいない硬貨が石畳にむなしく残る。

 翌朝、無事鉄道は復旧し客たちは乗車。実はここまでの約23分間(全編94分)に、本筋の伏線はほとんどすべて過不足なく埋設を完了している。互いに母国語の違う行きずりの客たち、イギリスに帰朝する“音楽”教師の老婦人、こちらは趣味で演奏もよくする民族“音楽”研究家。この両方と知己を得たのは当時のイギリス良家子女の例に倣う、嫁入り前の箔つけ欧州旅行も終わり名門子息の婚約者が待つ帰国途上で早くもマリッジブルーな若い令嬢。欧州諸国情勢とイギリスとの緊張した空気をちらつかせ、客たちがそれぞれの事情を抱えつつ、内心は先を急いでいる。一刻も早く目的地に着きたいと願っていないのは、令嬢と風来坊の音楽家だけだ。

 乗車の直前に老婦人が手荷物を見失い、令嬢が手伝おうと並んで身をかがめると、テラスから何者かが落としたプランターが誤って令嬢の後頭部に当たる。令嬢は見送りの女友達に大丈夫よと安心させて、老婦人に介添えされて乗車。劇中人物たちは誰も気づかないが、これで観客にははっきりする。老婦人が狙われている。このお話の焦点は老婦人だ。

 令嬢はタラップから友人たちに手を振るが、列車が走り出し見えなくなるとさっきの打撲で意識がぼやける。老婦人が介抱してくれて車室に入る。

 ここから列車内でのミステリアスな事態が始まるのだが、“令嬢の意識混濁による錯覚かもしれないし、そうでなくても(他の劇中人物に)そう思われても仕方がない”というミスリードが付けられた。令嬢は何を見聞し何を知る?味方はいるのか?老婦人の運命は?

 月河が初見以来二十年余りを経ても記憶していた“車窓ガラスの手がかり”を謎解きの転換点に、“超”は付かないけれども機関車的な驀進力で、ときに轟音と悲鳴のような汽笛とともに物語は走ります。

・・・・・・・・・

 ・・・・欧州大陸鉄道の車内密室ミステリーというと、日本でもたいていの人がアガサ・クリスティ『オリエント急行の殺人』を思い出し、令嬢が直面した事態に「これ、『オリエント急行』のアレ式のトリックじゃないの?」と一度は考えるはずです。調べたのですが『オリエント~』の本国イギリス初版はこの映画に先立つこと4年の1934年。ヒッチコック御大ともあろうお人が(当時はまだ39歳の新鋭ですが)、4年も前の小説とかぶる結構にするわけがないじゃありませんか。心配めさるな。密室で完結する典型的列車ミステリーと見せかけて、典型を打ち破りちゃんと外に“も”敵はいます。列車から外に出てちゃんと解答があり解放感のうちに着地します。車窓の手がかりと並んで月河が奇跡的に記憶していた“どうしてもウェディングマーチしか浮かばない”くだりが何ゆえ、どんなふうに出て来るか、くだんのクリケットマニア二人組は(二年後に別の映画でミュンヘン~スイス国境とどえらい冒険をさせられるはめになるとはつゆ知らず!)無事念願のクリケット観戦に間に合うのか?・・・

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 ちなみに本作にも小説の原作があります。映画化の2年前1936年刊『The Wheel spins』(エセル=リナ・ホワイト作)。“車輪は回る”という意味で、ここにも“バルカン(半島)”も“超特急”も出てきません。

 思うに、この邦題、“欧州でつねにいちばんキナ臭い所”として、火薬庫バルカン半島のイメージがよほど強かったから、当時の映画配給会社が命名したのかな?と思います。劇中の架空の国バンドリカは、例のおとぼけ二人組の会話の端々からしてオーストリア~ハンガリーからチェコ・スロバキア辺りが国境を接し“もうちょっと西進すればスイス”という地帯付近に想定されているように思え、ブルガリアや旧ユーゴスラビア諸国っぽい匂いは漂ってこないのですが。邦題のいきさつ、ご存知のかたがおられたらぜひうかがいたいところです。 

 もうひとつ。本作は1979年に、日本ではTVシリーズ『こちらブルームーン探偵社』のヒロイン役で知られるシビル・シェパード主演でリメイクされていますが、こちらの邦題は、題だけでオリジナルごとネタバレしてしまう酷いものです。日本人専用とはいえ、題を付けるということは、作者をさしおいて作品に名前を付けるということですから、オリジナル未見の人への気遣いという意味でも最低限の敬意は払ってほしいものですがね。

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