たぶんこんな風に終始するんだろうな、と大方が思った風に本当に終始してしまいました、佐川宣寿元・国税庁長官の国会証人喚問です。
結局、得した人はいたのか?という時間の使い方です。何より、佐川を呼べ佐川を呼べとついこの間まで息巻いていた議員諸先生方が、一問一答でひとつも状況をコントロールできなかったのがいちばん時間のムダ感を増幅させました。
将棋じゃないけれど、こう訊けばこう答えるだろうから次にこっちを訊こう、答えの中にこれこれのワードがあったらこう訊き、なければこっちの角度から・・と、少なくとも三~四手は先を読んで、想定できる答えとそれに対する反攻質問の選択肢をさらに三~四パターンは用意して頭に叩き込んだ上で質問に臨んでいるなという良き緊張感がほとんど伝わってこなかった。
さすがに午前中三時間、午後四時間テレビに釘付けというわけにはいかないので、ポケットラジオで音声だけ拾っていましたが、さすがに最後のほうの質問者残り三人ぐらいになると声に張りが無くなっていましたね佐川さん。委員会答弁のときはいちいち挙手して答弁者席まで歩いてきていたと思いましたが、昨日は座りっぱなしだったのかな。腰が痛そう。
この件、財務大臣が辞めるべきだ更迭すべきだ、いや内閣総辞職だという所謂政局事案ではなく、虚心坦懐に「なんで本来9億円の国有地が、いち学校法人に8億円も値引きされて払い下げられたんだ」「なんで大勢の政治家や現職総理夫人の固有名詞がずらずら公文書に記載されて、ある時点を境に一斉に削除されて、記載されたことも削除されたことも隠蔽されてきたんだ」という疑問に迫る気が、与党でも野党でもマスコミ媒体でも本気であるのだったら、どうでしょう、月河の所感ですが、“土地に訊いてみる”のがいちばんではないでしょうか。
絵画や彫刻、刀剣や陶磁器などの美術工芸品の真価を問うとき、“来歴”を調べるという作業が一丁目一番地です。何年に誰がどこで制作したのか、誰のために制作し誰が買ってどこに収蔵されたのか。古くはたいてい時の王、君主や王侯貴族、近世近代ならブルジョア、あるいはキリスト教会、修道会、寺院。注文して入手したクライアントがそのままの地位と場所で保管し現代に至った例は稀で、戦争や天災、革命による政権交代や経済変動でもともとの持ち主の手を離れて転々とすることが多いのですが、“この世に二つと同じ物がないオリジナル”という動かぬ軸を唯一の手掛かりに、戸籍をたどるようにして、いま手元にある作品の現在から、作品がこの世に誕生した時点までをトレースすることで“ナンボの価値のある物か”を明確にしていくわけです。
今回の物件は作品ではありません。旅客機や軍用機や潜水艦などの工業製品でもありません。土地です。日本の地面の一隅です。絵画や刀剣の様に転々とはしません。“不動”産ってくらいですから。当たり前か。こんな騒ぎが起きるずーーーっと前からそこにあったのです。
大阪・豊中市の地理はわかりませんが何度かの報道画面で見る限り人跡未踏の山野ではなく結構な市街地で、近隣に高速道路も通りその向こう側は住宅地とのこと。小学校開校したら生徒さんがちゃんとかよってこられそうな、人間の生活感のある立地のようです。
日本にずっとあって人が暮らし家族を持ち、生計を立ててきた地面の一郭なら、人とともにあった“歴史”“来歴”を持っているはずです。いまも脈々と続いているはずです。税法上の所有権の移転の追尾という意味だけではなく、いつごろ開墾されいつごろどんな形で人間との関わり、人間が築いた村落や自治体、国家との関わりを持つようになってきたのか。農耕地だったのか。どんな作付けがされてきたのか。耕す人々はどんな暮らしをしてきたのか。豊かだったのか食うや食わずだったのか。収穫物はどんな主体に徴税されていたのか。
地中何メートルの深さにどれくらいのゴミが埋まっていて撤去に幾らかかるとか、そんな表層的な事に拘泥していては何も解明できないと思います。なんならそのゴミの内容を分析してみることも必要です。新しいゴミなのか古いゴミなのか。無機物か有機物か。
まずは無心に“土地の履歴書”をひもとき、土地の語る物語に耳を傾けてはどうでしょうか。それによって9億円だ1億円だという抽象的な金額にも具体性と立体感が出て、妥当なのかそうでないのかの座標も鮮明になってくるだろうし、売られる買われる貸し付けるの取引の正当性、或いは不当性も明らかになってくるのではないかと思います。まずは皆さん、政治家の名前や夫人の名前や、内閣支持率、政党支持率等々はコッチに置いといて、打算や予断を取り払っていったんクチを閉じて、静かにくだんの土地そのものに答えを見出すべく努めてみては。