そんなわけで間もなく国会招致に応じざるを得なくなりそうな佐川宣寿前国税庁長官、というより元・財務省理財局長ですが、野党の皆さんは“刑事訴追の恐れバリアー”で逃げられない、鋭く巧緻な質問計画をちゃんと練っているでしょうか。
月河がこの佐川と言う人を報道で見ていて、まず衆目の一致する俊英の能吏であるという評価、また改竄動機や指示命令系統の際どいところを赤裸々に語ってくれるかどうかという問題とは別に、鮮明に印象づけられた特徴がひとつあります。
この人は低身長です。もちろん俳優やアイドルじゃないので財務省のウェブを見てもプロフィールに載ってたりはしませんが、先週の辞任会見でぎっしり詰めかけた記者団の前に、後ろに何人か従えて(というより、つきまとわれて)歩いて出て来る場面を見て初めてわかりました。並みはずれてと言っていいくらい小柄です。最近TVで顔出し報道されたいろいろな組織のトップ級の一般人の中では、東京電力の廣瀬直己前社長・現副会長と並ぶ、あるいは上回る(“下回る”?)低身長ではないでしょうか。記者団から回り番に発せられるありきたりな質問に、絶対言質を与えないぞという勢いでことさら事務的にちゃっちゃと答えるたびに、沿道のビルの三階ぐらいの看板を「あそこだっけ?」と見上げるかのように小首をかしげて上目遣いになるのが実に印象的でした。
小さいにつけ大きいにつけその他につけ、“規格外の体格”が、人間形成に微塵も影響を与えなかった例を、月河は知りません。特に他人から言葉でからかわれたりあてこすられたりせずとも、日常の細かい不便、不都合、普通体型の級友や家族が何の苦も無くできる動作が自分にはできない、できるが苦痛を伴い努力を必要とするという体験の絶えざる積み重ねは、確実に人格の或る部分に影を落とし変形させます。
佐川さん1957年(昭和32年)生まれ、月河よりちょっと先輩ですが、月河がピカピカの小学一年生の時この人も小学生で、月河が中学に入ったときこの人も中学生で、地域や家庭環境や学業成績のレベルは違えど同じ日本の同じ空気を吸い、同じニュースを見聞し同じ流行を体感して青春を過ごし大人の階段を上ってきたはずです。
数ある身体的特徴項目の中でも、低身長は、男子におけると女子におけるとでは大幅に意味や重さが違います。成人男性としての歳月の大半、目上からも目下からも、親しい人からも通りすがりの人からも、好感持ってる人からも憎たらしい奴からも、とにかく会う人会う人のほとんど全員から“見下ろされる”人生、自分から話しかけるときに“見上げざるを得ない”人生だった佐川さんには、必ずやそのことによって形成された人格の凝固部分が存在するはずです。
月河が想像するに、この人の人生のテーマは「何が何でも気(け)おされないこと」ではないでしょうか。相撲の親方が新弟子に教えるように「とにかく引くな、圧倒されるな」と自分を鼓舞し続けていなければ、物理的に踏み潰されたり吹き飛ばされたり無視されたりして終わりですから。昨年の予算委員会でのあの圧倒的ゴリゴリ強腰答弁も、何かよほど不動の根拠があったからというより、この人の“負けてない、劣勢を受け入れない”に凝り固まったキャラから自然と出てきたものではないでしょうか。忖度があったにせよなかったにせよ、いっそもっと露骨な圧力があったにせよなかったにせよ、この人は政治家に対応するときにも、“負けてると見せない、負けてないぞオレ・・・”と、呪文のように腹の中で唱えて向き合ったに違いない。
(ここまで来ると完全に月河の妄想ですが、こういう人がたとえば安倍総理や麻生財務相らの意向を下から仰ぐように忖度して何かするというのはいかにもそぐわない。決裁するにせよ改竄するにせよ、それらを部下に指示するにせよ「ケッ」もしくは「これでも食らえ」という気分でやりきったように思うのですが)
ともあれこういう人に国会質問で切り込むには野党の皆さん、普通に考えて、佐川さんが対峙し慣れている“本人より高身長”の質問者を並べても無駄です。何の圧力にもならない。“売り手市場”の喚問になってしまう。
逆に彼が「勝手が違う、喋りづらくてしょうがない」と思うような、そうです、ご本人より低身長メンバーをぶつけて攻めるべきです。横綱大関でも、的(まと)が小っさい分、小兵の嘉風や宇良、往年の舞の海に苦戦するのです。大きい連中と向き合って心理的に圧倒されないことを肝に銘じて官僚人生歩んできた人には、小兵こそ最大の攻撃効果を出すはず。居るのか。居るでしょう。さぁ全員集合。身長順に前へならえ。こういう時に鈴木宗男さんも山口敏夫さんも居られないのは惜しいなぁ。