たとえばフィギュアスケートなら、技(ワザ)の名前がスーパー戦隊並みにありますから、繰り出されるたびワザ名を挙げてるだけで4分ぐらいすぐ過ぎてしまいますが、ただ走ったり滑ったりしてるだけで、最終的に出たタイムだけで決着するような競技の場合(そういう競技のほうがまた圧倒的に多い)、実況アナも実況席サイドの解説者も、実際問題、しゃべることがそんなにないわけです。応援しているファンや観客も「いいから黙って画面見せろ」と言いたいでしょう。
ところが、競技だけならスタート前のウォームアップやコース整備入れても正味30分かそこらで終わるものを、放送時間が2時間近くあったりするから、どうにかして間を持たせなきゃならない。民放の場合特に、30分じゃスポンサーを入れ込めないからでしょうが、はっきり言って殺生です。生殺しです。
そこでスポーツ専門でないキャスターや、ド素人同然の元アスリートレポーターが、無い知恵を絞った苦しまぎれの、あるいは何も考えない与太話延長線での“余分なひと言”がボロボロ出て、暖かい日本のお茶の間や、片手スマホで見ている暇な視聴者がいちいち食いついて、片っ端から炎上する。
いいじゃないですか小平奈緒選手が「獲物を狙う獣の様な瞳」だって。生きとし生けるものが一点に全神経を集中すると人間も動物もなくなるんですよ。前に進む。ひたすら速く、より速く前に進む。ものを考えちゃダメだからね。考えたら考えた分だけ、前に進む以外の神経にブドウ糖その他が行くから。これは獣の世界です。36.94秒間、奈緒さんは獣になったのです。獣を獣と表現して何の文句があるのでしょう。ぶっちゃけそんな事でも言って胡麻化してないと時間が余ってしょうがないんですよ。
開会式を「閉会式」と言い間違ったからってどうだって言うんでしょう。その前2時間半以上も見てりゃサルでもわかるでしょうよ、これは開会式だって。“開”と“閉”って似てるじゃないですか、夜目で見ると。活字原稿あったんだかわからないけど。鯨と鮫とか、井と丼とか、瓜と爪とか、ぱっと見で大勢間違える漢字なんぼでもあるわ。スキーの荻原選手だって、初めは何度も「ハギワラさん」て呼び間違えられたはずです。しかも彼ら双子だから、下の名前まで間違えられっぱなしだったはず。それは別の問題か。
ようするに、無くもがなの言葉実況なんかにいちいち目くじら立ててないで、虚心坦懐に選手の競技っぷりだけを堪能したらどうですか、ということを言いたかったのでした。
ちなみに、羽生結弦選手と宇野昌磨選手のワンツーフィニッシュ成った17日の男子シングルFSは、月河はフィギュアスケートでは初めて、ラジオ(NHK第一)のナマ実況で聴いてました。夜、帰宅したらTVでも飽きるほどリプレイ観られる前提でしたけど、コレなかなかいいですよ。サッカーのラジオ実況よりいいかもしれない。動いてるのが一人だし、とにかく技名が豊富で、絶えずワザに次ぐワザで、ワザとワザの間も音楽がずっと流れていますから、間が持てないという事と無縁です。
アナが技名を言う→女性解説者「きれいに決まりました」「着氷踏ん張りました」「二回転になりました」「シングルでした」「体が開いてしまいました」「両足(着氷)になりました」「転倒です」「(体の)軸が斜めでした」等と技の成否・首尾を言う・・の流れで、バックに観客席の反応も入るし、“とりあえず、羽生選手なりお目当ての選手の出来は良かったのかダメだったのか”はつぶさにわかる。
日本の両選手のメダルはあっぱれめでたいの一言ですが、それにしてもフィギュアスケートっていつからこんなに“ワザまたワザ”の競技になったんでしょうか。